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精霊姫は予見の未来に瞳を閉ざす  作者: 永井 華子
精霊姫は予見の未来に瞳を閉ざす
10/26

10.『計画通り』

 フェルディナントの密かな訪問から数日後、シャルロッテはベーヴェルン領の精霊殿が運営する孤児院へ向かった。


 フェルディナントからの連絡はまだない。シャルロッテが顔を知らない貴族はかなり多い。その中から条件に合う人物を絞り込むのに、時間がかかっているのだろう。


 領地を持つ貴族は、自領に福祉施設を設置する義務が課されている。ノルトシュヴァルツ鉱山のおかげで、経済的は豊かなベーヴェルン領でも、貧困家庭や親を失った子どもは存在する。そうした子どもたちに衣食住を提供し、読み書きを教えて、将来的に自立させるための孤児院を設けている。


 中心街から少し離れた鉱山近くにある孤児院は、何度も訪れており、世話役も子どもたちもシャルロッテに親しんでいる居心地のよい場所である。


「おじょうさまはいつけっこんするの?」


「え? だれがそのようなことを言っているの?」


「先生や食堂のおばちゃんたちも言ってたよー」

「お城で王子さまと踊ったんでしょう?」


「おじょうさまはきれいだから、きっとおうじさまのおよめさんになるんだって」


「おうじさまはどんな人?」

「おひめさまになるの?」


 中庭でおやつの準備を待つ間に、子どもたちに囲まれて質問攻めにされる。大きく息を吐き出して世話役たちをにらみつけるが、皆、微笑んでにこにこするばかりである。


 社交界などまったく無縁の子どもたちが、どうして王都の噂話を知っているのか。周りの大人たちが耳に入れたのに違いない。

「うちのお嬢様が王太子様に見初められた」ことが嬉しいのだ。

 喜ばしい、と思っているからこその言動だとわかるから、とがめようがない。しかし、目を輝かせる子どもたちをがっかりさせるのはしのびない。


「結婚式はいつですか? わたしたちも見られますか?」

 集まった中では年長の十歳くらいの少女が、緑の瞳をきらきらと輝かせながらきいてくる。

 シャルロッテは苦笑しながらこたえる。

「一度だけ王子様が踊ってくださったのは本当だけれど、そのようなお話にはなってないのよ」

「えー、でも……」


「さあさあ、おやつですよ。今日はお邸の料理長が焼いてくれたお菓子がたくさんありますよ。小さい子から順番に取りにいらっしゃい」

 エルケがトレーに積んだお菓子の包みを見せると、子どもたちはわっと群がってシャルロッテを解放した。

「お嬢様はそろそろお帰りになりませんと。馬車ですから時間がかかりますよ」

「……そうね」


 嬉しそうな子どもたちの様子を見て、満足して帰途についた。『予見』以降、さすがに騎馬ではなく馬車で移動するようになったため、移動の時間は長くなる。


 侯爵家の護衛は、いつも通り騎馬で並走している。拉致されるにしても、易々とさらわれてやる必要はないだろう。

「『予見』を得たことで行動し、未来は変わっている」とフェルディナントは言った。なにかが変わる可能性はある。

 夏の日が少しずつかたむきはじめる時間、小窓から差し込む西日が眩しい。


「馬車は息苦しいから嫌だと仰っていたのに、どうなさったんですか? 私たちは助かりますけど」

「んー。ちょっと騎馬に飽きたのよ。馬車にも飽きたらまた考えるわ。……そういえば、最近変わったことはない?」

「領内でですか? 特にないと思いますけど、夏場は商人の出入りも増えますし、坑夫はもともと入れ替わりが激しいですからね。いつも通り騒がしい、といった感じですね」


 そうした領民以外の人たちの中に、シャルロッテを狙う集団や、フェルディナントの部下たちが潜んでいるのだろう。行き交う人びとに必要以上に注意を向けて、疲れてしまう。それも馬車で移動することにした理由のひとつであった。


 そう、とこたえたシャルロッテに対して、エルケはにやにやと笑っている。

「なあに、変な顔して」

 もの言いた気なエルケに、なんとなく嫌な予感を抱いて顔を向ける。


「衣装部屋の奥の箱には触らないように、メイドたち言っておきましたけど、それでよろしいですか?」

「えっ、あ、へっ?」

「また奥様に叱られますよ」

 慌てて手で口を押さえて、恨みがましく問いかける。

「開けたの?」


「お嬢様のお衣装の管理は私の仕事ですから、それは確認いたしますよ。先日のお返事が届いたんでしょう? 王族の方は自在に転移の魔法を使えるって本当なんですねえ」


 フェルディナントが訪れたことには、気づかれていないようだ。それでもばつが悪いシャルロッテは、わざとらしく顔をそむける。エルケには返って真っ赤な耳がよく見えていた。

「……大切な預かりものなの。お返しするものだから丁寧にしまっておいて」

「承知しました」


 馬車で移動すれば、街中でフェルディナントとすれ違うこともないだろう、とも思っていた。彼の顔を見てしまったら、素知らぬ振りをすることはできない。


 大きな不安の中、それでも落ち着いていられるのは、王都の薫りが留まるあのマントが残されていたから。衣装部屋の奥に隠していても、毎日寝る前に箱を開けて黒い生地をなでる。そのなめらかな手触りが、不思議とシャルロッテに安心をくれる。


「王都よりここのほうが好きなのに……」

 ぽつりとこぼした言葉に、エルケが目尻を下げているのに気づいたシャルロッテは、少し腰を上げて座り直そうとした。

 そのとき、馬車がガタンっと大きな音を立てて急に止まり、座席から滑り落ちそうになった。


「お嬢様!」

「だ、だいじょうぶよ。まだ邸まで距離はあるわよね?」

 背もたれにしがみついて体を支えたシャルロッテは、ゆっくり体制を戻して、再び座ろうとした。

「そうですね、どうしたのかしら。ちょっとお待ちくださいませ」


 エルケが扉の掛け金に手を伸ばす様子が、妙にゆっくり見える。その違和感にはっとして、シャルロッテは大きな声で制した。

「待って、エルケ!」


 しかしひと足遅く、掛け金を上げた瞬間、扉は乱暴に外に開かれて、バランスを崩したエルケは転がり落ちた。

「エルケ!」

「おっと、こっちじゃないな」

 扉を開けた男がエルケを受け止めたが、そのままひょいと放り出し、馬車に乗り込んでくる。


 黒髪に濃い青の瞳は『氷の精霊』の加護。瞳の色合いは器の大きさに左右されるものではないが、目の前の男の器はかなり大きいと思われる。

 貴族の中でも大きな器を持つシャルロッテと同等、あるいは修練によって、彼女よりも強い魔法を使えるかもしれない。


 ――これほどの器なら確実に高位の貴族なのに、どうしてわたくしは覚えていないの! ――


 整った顔立ちの若者には、鋭い視線がひどく不似合いにみえた。しかし、それに射すくめられたシャルロッテは、身動きがとれない。

「さて、我々の目的は貴女なんですよ。おわかりですね?」


 男の後ろ、開いた扉の隙間からエルケと護衛、馭者が荒っぽい男たちに捕まっているのが見える。

 暴れるエルケの口を、手で塞いでいる浅黒い肌の男の顔が一瞬目に入って、はっとする。

 ()()()()に見た男たちのひとりだった。


 しかし、目の前にいる若者は『予見』のあの場にはいなかったはずだ。

「歳の割になかなか頭のいいご令嬢だときいていますよ。貴女の振舞いで彼らの処遇が変わる。わかりますね?」

「……わたくしが大人しくしたがえば、彼らに危害は加えないと約束してくれますか?」


 眉一つ動かさずにうなずく男は、値踏みするようにシャルロッテを見据える。馬車の外から、はやくしろよ! と叫ぶ声が聞こえた。

「わかりました。あなた方にしたがいます」

「ものわかりのよいことで、助かりますよ。彼らはここに残して、馬車ごと貴女を運びます」


 口の端を上げた男が、ぐっとシャルロッテに身を寄せる。思わず身構えたが、耳もとにささやかれた言葉に瞠目して、男の青い瞳をのぞき込む。


「大人しくしていてくださいね。彼らの命は保証しますよ。縛り上げて置いていきますが、死にはしないでしょう」

 男が外に出ると、ガキンと大きな音がした。外から扉を塞がれたのだろう。窓と馭者台側の小窓にも外から黒い布がかけられて、薄暗くなった車内にシャルロッテはひとり残される。


 馬車が動き出すと、今までに経験したことのない速度でがたがたと大きく揺れた。

 外の音はもう聞こえない。エルケたちが無事であることを祈るしかない。そして、耳に残ったあの男の言葉を反芻する。


 ――ここまでは()()の計画通り――


 シャルロッテは胸もとを押さえて、金の雫を確認する。必ず守ってくれるという言葉を信じている。怖くない。


 でも、まだだ。今、彼らを捕らえても依頼主にはたどり着けない。

 フェルディナントの期待にこたえるために、覚悟を決めたではないか。大人しくさらわれて、依頼主につながる証拠を押さえなければならない。


 そして、『予見』の未来が回避されるかもしれない、という希望がシャルロッテを奮い立たせた。


 シャルロッテは激しい揺れにおののきながらも、恐怖だけではない心の動揺を抑えるためにフェルディナントの精霊石(いし)を握りしめた。


 ――大丈夫。アルのことを知る人が「計画通り」と言ったのだから――


 しばらく走った後、少しずつ揺れが小さくなった。目的地に近づいたのだろう。シャルロッテはあらためて緊張に身を固くする、と同時に馬車が停まった。

 馬のいななきに首をすくめる。車体が揺れ、ドンと大きな音とともに扉が開いた。先ほどの青い瞳の男がまた乗り込んでくる。

「ご案内します」


 深い青の『氷の精霊』の加護の色。美しいが冷たいその瞳をじっと見て、シャルロッテは大きく息を吸い込んで吐き出した。

「はい」

 男は黒い布でシャルロッテの目を覆うと、手を引いて丁寧に馬車からおろした。

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