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第6話 お願い

 ついに次の日曜日がやって来た。

 今日はユージアルの家庭教師をやるために、ゲータイト伯爵邸を訪れる日だ。


 ユージアルは現在王立学院の学生寮に入っているので、平日は屋敷にはいない。あたしの授業を受けたり剣術の練習をするために、毎週日曜だけ戻って来るのだ。

 あのわがまま小僧の事だから、面倒がってなかなか屋敷には戻らないんじゃないかと思っていたが、ほぼ毎週ちゃんと通って来ているのが意外だ。

 入学後最初のテストの点が奴なりにショックだったのだろうかとも思ったが、その割にやっぱり授業態度は不真面目なのだから、奴の考えている事はさっぱり分からない。


 だがまあ何にせよ、授業の度にわざわざ学生寮まで行かなくて済むのはありがたい。

 年寄りにはあそこの階段はキツイのだ。今の身体なら軽々登れるだろうが。

 変化の首飾りを服の下に着けてエリトリットの姿に変わり、杖と鞄を持って家を出る。




「エリトリット先生、いらっしゃいませ」


 ゲータイト家に着くと、すぐに騎士のセピオが出迎えてくれた。

 いつも通りの出迎えだ。玄関をくぐっても何も起こらないし、誰にも咎められない。

 首飾りはしっかり仕事をしてくれているなと安心するが、セピオは予想外の事態をあたしに告げた。


「実は、お部屋で既にユージアル様がお待ちになっております」

「…は?ユージアルが?」

「はい。驚いた事に」


 いつも授業の時間になると逃げ出し、どこかに隠れようとするはずのユージアルが、部屋で大人しくあたしを待っているだって…?

 まさか本当に勉学に目覚めたとか?いや、そんな訳はないね。あのユージアルだし。

 セピオもあたしと同じ意見らしく、不審でいっぱいの顔をしている。


 このセピオはゲータイト家傘下の貴族家の出で、ユージアルより3つ年上の19歳。幼い頃からユージアルの世話係兼遊び相手として侍従を勤めてきた男だ。

 昨年までは王立学院に通っていたので、セピオもユージアルと共にあたしの授業を受ける事が多かった。そのため今でもあたしを先生と呼ぶ。少々頭は固いが、優秀な人物だ。

 卒業してからはゲータイト家の騎士という立場になっているが、将来はユージアルの補佐として働く事になるのだろう。



「先生はユージアル様の行動に何か心当たりがありますか?」

「うーん…何だろうねえ?あの子の事だから何か企んでいるんだろうけど」

「またご迷惑をおかけしてしまうかも知れません」

「それはいつもの事だけどね」

「申し訳ありません…」


 勉強部屋に向かって歩きながら、セピオはあたしに頭を下げた。

 こいつも苦労するねえ…。


「まあ、何かあったら後であんたに報告するよ」

「はい。よろしくお願いします」




「…おう、ババア!待ってたぞ!!」


 部屋に入ると、本当にユージアルがあたしを待っていた。一体どういう風の吹き回しだろう。

 行儀悪く足を組んでふんぞり返っている所は、いかにもこの小僧らしいが。


「ユージアル様、またそのような姿勢を…ガーネット様に怒られますよ」

「姉さんに告げ口すんのはやめろ、セピオ!…それより、早くメイドにお茶とお菓子を持って来させろ。いいか、チョコレートタルトだぞ!」


 …おや、これは本格的に風向きがおかしい。

 あたしは甘いものが好きで、もちろんチョコレートだって大好きなのだが、あれはかなりの高級品だ。入手は難しいし、扱える料理人も限られている。滅多に口にできない代物だ。

 大貴族たるこのゲータイト家ならば入手も容易いだろうが、たかが家庭教師にわざわざ出すものではない。

 何だか嫌な予感がするねえ。



 一礼して部屋から下がるセピオを見送り、授業のために教科書やら何やらを準備していると、ユージアルがズイッと身を乗り出してきた。


「あのさ!ババア、弟子取ったんだろ!?エリスって娘!ワインレッドの髪で、すらっとした感じの!」

「……。何故それを知ってるんだい」

「実はさ、俺この前、その娘に助けてもらったんだよ!あ、聞きたい?俺とその娘が二人で力を合わせて、ゴロツキを何人も倒した話!!」

「いや全く聞きたくないね」

「いいから聞けって!きっかけはさ、小さい子供がいかつい男達に絡まれてるのを俺が見かけてさぁ…」


 ユージアルは嬉しそうに語り始めた。

 あたしの意見は無視か、そして話を盛るんじゃない。力を合わせた覚えはないし、ゴロツキを何人も倒したりもしてないだろうが。

 にしてもこいつ、どうしてエリス(あたし)の名前を知ってるんだ?

 さてはあの後、商店街であたしの事を尋ねて回ったんだろうか?何だその無駄な行動力は。



「…それでさ、あの娘が言ってくれたんだ。『あんたは立派な騎士だ、胸を張れ!』…って!」


 …ユージアルの輝く瞳に浮かんでいるのは、憧れの色だ。

 うーん、あそこで助けたのは迂闊だったかねえ…。

 窮地に陥った所を誰かに助けられるというのは、心にとても強い印象を残すものだ。あたしはその事をよく知っている。

 でも、あの状況を見過ごすなんて出来なかったしねえ。


「…という訳でだ。ババア、頼みがある」

「何だい」


 途中でメイドが持ってきたチョコレートタルトを口に運びつつ尋ねると、ユージアルはあたしの顔を見つめ、真剣な顔で言った。


「エリスさんに会わせてくれ!!お礼がしたいんだ!!」

「お断りだよ」

「即答かよ!!」

「絶対にお断りだよ」

「絶対って言った!!しかもめちゃくちゃ嫌そうな顔!!」

「だってあんた、お礼だとか言ってるけど、下心丸出しじゃないか!小僧が色気づいてるんじゃないよ!」

「そそそ、そんなんじゃねーし!!お、お礼したいだけだし!?」


 ユージアルは顔を赤くして否定した。分かりやすすぎるだろう。


「言っとくけどあの娘には恋人がいるよ」

「は…?え…本当に…?」

「嘘だけど」

「ババア!!!」

「ちなみにあの娘、あんたの事カッコ良かったって言ってたよ」

「えぇっ!?ま、参ったな~!困っちゃうなあ!」

「まあ嘘なんだけど」

「人の心とかねえのか!??」


 こいつ、からかうと結構面白いね…。

 でも今はそんな事をしている場合じゃなかったと思い出す。時間は限られているのだ。


「とにかく、お断りだよ!いいから授業を始めるよ。次回はテストするって言っておいただろう、ほら!」


 目の前に数学の問題用紙を叩きつけると、ユージアルは「ええー」と不満そうに口を尖らせた。こいつ、あたしが何をしにここに来てるのか分かってるのか?

 と、そこでふと思いつき、あたしはニヤリと笑った。


「もしこれに全問正解したら、エリスに会わせてやってもいいよ」

「ま、マジで!?いや、さてはこれも嘘だな…!?」

「そんな下らない嘘つきゃしないよ。本当だよ」

「よっしゃー!!その言葉忘れんなよ!!」


 ユージアルはやる気に満ち溢れた顔で、鉛筆を片手に用紙に向かった。

 その自信満々な様子に内心で訝しむ。まさかこいつ、今回に限ってちゃんと自習していたのか…?




 …そして、20分後。

 テストを採点したあたしは、呆然としながら「嘘だろ…?」と呟いた。


「あんた、これ…全問間違ってるじゃないか!!!!」


「……」


 ユージアルが気まずそうに目を逸らす。

 あの自信は何だったんだ、というか先週教えた事を何一つ覚えてないじゃないか!

 いくら何でも1問や2問くらいは正解すると思っていたのに。


「あんたって子は…!!」

「い、いや、今日はちょっと調子悪かっただけって言うか?」

「調子なんて関係あるかい!!少しでも期待したあたしが馬鹿だったよ。エリスに会わせるのも、当然なしだ!!」

「ま、まて、待てババア」


 わなわなと震えるあたしに、ユージアルが慌てる。


「もう一回!もう一回だけチャンスをくれ!!」

「はあ?」

「次はちゃんと勉強して正解するから、頼む!!もう一回テストをやらせてくれ!!」


 ユージアルは真剣だった。

 あたしは少し悩む素振りをし、冷めたお茶に手を伸ばす。


 この小僧が自分から「ちゃんと勉強する」と言うなんて、この3年で一度だってなかった。

 …理由が何であれ、初めてやる気を見せているこのチャンスを逃す手はない。

 ティーカップを皿に置き、ユージアルの顔を見つめ返す。


「…いいだろう。今から、あんたが間違えたこの問題をもう一回ちゃんと教え直す。それで、来週改めてテストだ。問題は変えるが、今日教える内容をちゃんと理解していれば解けるものにする」

「…わ、分かった。やる」


 よしよし。こんなにやる気を出してくれるんなら、助けた甲斐があったってもんだ。

 ノートを広げ、最初の問題を指さしながら説明を始める。


「いいかい。まず、これを解くのに使う公式は…」

評価・ブックマーク・いいねなど有難うございます!

これからもどうぞよろしくお願いします!

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