第5話 誇るべき行い※
ユージアルの奴、何だってこんな平日に下町に来てるんだ?
しかも見た感じあいつ一人で、護衛も連れていないようだ。伯爵家の跡取りがやる事ではない。
「…俺の弟はなあ、あのガキ共にぶつかられたせいで、ここんとこに痣ができたんだよ。兄ちゃん、この落とし前をどう着けてくれるんだ?」
「子供にぶつかられたくらいでできた痣なんか、大した事ねーだろ!いい大人がぎゃーぎゃー騒ぎやがって!!」
ユージアルは必死で声を張り上げているが、モジャモジャの大男を相手にちょっと腰が引けているのが後ろから見ても分かる。
あいつは意気がっちゃいるが、中身は育ちの良いお坊ちゃまだ。しかも魔術も剣術も下手。
それが何故あんなガラの悪い男と揉めているのか。
あたしは、近くにいた野次馬の男に訊いてみる事にした。
「これ、一体何の騒ぎなんですか?」
「見ての通りだよ。ガキを庇おうとしたどっかの貴族のお坊ちゃんが、チンピラに絡まれてる」
「なんだか多勢に無勢みたいですけど」
「最初にガキに因縁をつけてたのは、後ろにいる顔色の悪い男だったんだよ。でもお坊ちゃんが止めに入った途端、あのでかい男が出てきた」
確かにモジャモジャ男の後ろには、ひょろっとした弱そうな男が立っている。あっちが事の発端だったらしい。
あんな弱そうな男がこんなガタイの良いチンピラ仲間を呼ぶのは、ユージアルにとって想定外だったんだろう。
「…そのガキってのは、さっきあっちに逃げていった二人組の子供?」
「ああ。でもまあ十中八九、ガキ共もあいつらの仲間だろうな。似たような騒ぎ起こしてるの、前にも見たよ」
…なるほどね、とひとりごちる。
チンピラ達があんな貧しそうな子供に絡んだ所で一文の得にもならない。子供は、別の人間を釣るための単なるエサなのだ。
子供のせいで怪我をしたと騒ぎ、揉めているふりをする。それを見かねた善良な人間が割り込んで来たら仲間を呼び、「だったら代わりにお前が治療費を払え」と脅すという寸法だ。
野次馬達が諍いを止めようとしないのは、チンピラの狙いがただの小銭稼ぎで、ユージアルを傷つける目的はないと察しているからだろう。
世間知らずの貴族のお坊ちゃまがチンピラに小金を巻き上げられた所で、ちょっとした勉強料を支払っただけ、という訳だ。
これが暴力沙汰だったらさすがに誰かが止めるか、あるいは衛兵を呼ぶのだろうが、軽く揉めている程度ならわざわざ関わることもない。
その考えもまあ、分からなくはないのだが…。
「…や、やろうってんなら、相手になるぞ!!」
あちゃあ…とあたしは顔を覆う。
ユージアルは世間知らずで、子供で、しかも意地っ張りなのだ。
ついに腰の剣を抜いてしまった。これじゃ荒事は避けられない。
ユージアルがここまで強情を張るとは皆思っていなかったのだろう、モジャモジャ男が眉をしかめ、野次馬達が色めき立つ。
「おい、兄ちゃん。そいつを抜く意味は分かってんだろうな?」
「当たり前だろ…!」
モジャモジャ男が凄むが、ユージアルは剣を引っ込めようとはしない。
舌打ちをした男が懐からナイフを取り出す。
…全く、しょうのない。
ケツの青い小僧共が暴走するのを止めるのも、年長者の役目だ。
「覚悟しろよ、兄ちゃん!!」
男がナイフを振り上げると同時に、あたしは鋭く叫んだ。
「…右に避けな!!」
ハッとしたユージアルが右に動き、男のナイフが空を切った。
「こいつっ…!」
「身体強化!足に魔力を集めな!…左!!」
「お、おう!」
ユージアルは戸惑いながらもあたしの言葉に従い、地面を蹴った。
その身体強化は下手くそで、足に力が込められるのに一瞬時間がかかったが、何とか間に合ったようだ。再び振り上げられたナイフを、辛うじて避ける。
「相手の動きをよく見るんだ!落ち着いて見ればちゃんと避けられる!!」
「……っ!!」
ぶんぶんと大振りで振り回されるナイフを、ユージアルが次々に避ける。いい調子だ。
「手加減してやってりゃ調子に乗りやがって…!」
モジャモジャ男の太い眉が吊り上がる。その片手に、小さい炎が生まれた。
…まずい、あの男、魔術を使おうとしてる。
何度も攻撃を躱されて頭に血が上ったか。大人げない野郎だ。
素人丸出しで下手くそ極まりない、威力なんて殆ど無いだろう火球の魔術だが、当たったらまずい。
ユージアルのように戦闘に慣れていない人間は、炎が身体に当たったというだけで驚いて混乱し、大きな隙ができてしまうからだ。モジャモジャ男もきっとそれが狙いだろう。
それに、周辺の野次馬に流れ弾が飛ぶかもしれない。平民は魔力が少なく魔術への耐性も低い者が多いから、あの程度の火球でもまともに当たれば危険だ。
一瞬で風の魔術構成を組み上げたあたしは、男が火球を撃とうとする瞬間を狙って風の刃を射ち出した。
弧を描いて飛んだ刃はモジャモジャ男の手元の火球に直撃し、ボン!と音を立てて弾ける。
「ぐわっ!?」
驚愕の声を上げるモジャモジャ男に構わず叫ぶ。
「今だよ!!奴のナイフを狙いな!!」
「はあっ…!!」
ずっと男の動きを注視していたユージアルは、男にできた隙を見逃さなかった。
すくい上げるように振るわれた剣がナイフを高く弾き飛ばす。
…くるくると回転しながら落ちてきたそれは、野次馬の一人が慌てて避けた所で、音を立てて地面に転がった。
「…く、くそっ!覚えてろ…!!」
「あ、兄貴ぃ!待ってくださいよ!!」
武器を失い不利を悟ったモジャモジャ男は、まるでお約束のような捨て台詞を吐いて逃げ出していった。
仲間のチンピラ達も慌ててその後を追う。
途端に、野次馬達からわっと歓声が上がった。
「貴族の兄ちゃん、やるなあ…!」
「大したもんだ!!」
「あ、ああ…?」
さっきまでは興味本位の顔で見ていた者達から急に褒められ、ユージアルは困惑顔だ。
だがまあ、野次馬などこんなものだ。面白ければそれでいいのである。
貴族に対し特別反感がある訳ではないが、肩入れするほどに親しみを持っている訳でもない。そういう者が、この王都では大半だろう。
…さて、騒ぎは無事収まったのだし、長居は無用だ。
あちらこちらに散っていく野次馬に紛れてあたしも立ち去ろうとするが、後ろからユージアルに「待ってよ!」と腕を掴まれた。
チッ。やっぱり気付いたか。
この場で魔術師っぽい格好をしているのはあたし一人だしな。
あたしが放った風の刃は飛ぶのが速い上に、炎などと違って目立ちにくい。
戦っている二人にばかり注目していた野次馬達は、モジャモジャ男の火球が突然弾けたのは単なる失敗か、あるいはユージアルの妨害魔術にでも見えただろう。
しかしユージアル本人には、あれが誰かの助けによるものだと分かってしまった。
「あの、ありがとう。俺を助けてくれたの、君だろ?」
「あたしはちょっと手助けしただけですよ。あの男に勝ったのはあなたです。…強いんですね」
これは半分お世辞だが、半分は本音だ。
相手が初めのうちは手加減気味だったというのも大きいだろうが、あたしが思っていたよりユージアルは強かった。
慣れない実戦に戸惑ってはいたものの、男のナイフを避けるすばしっこさは大したものだったし、最後の一撃も見事だった。
勝てたのはちゃんとユージアルの実力によるものだとあたしは言ったが、奴は眉を曇らせた。
「俺一人じゃ勝てなかったよ。それにどうも俺、あいつらに引っ掛けられてたみたいだし…。あの逃げた子供達、あいつらとグルだったんだろ?…本当、間抜けだな、俺…」
ユージアルは、いつものわがまま小僧ぶりが嘘のような暗い目をして言った。
あたしと野次馬の会話が聞こえていたのだろうか?
人助けのつもりが騙されていたと知って、柄にもなく落ち込んでいるのか。
…ふむ。ここは先生として、一言言ってやるべきかね。
あたしはすすっとユージアルの横に進むと、腕を振り上げ思い切りその背中を叩いた。
ばちーーーん!!と景気のいい音が響く。
「いっってええええ!!!」
痛みで飛び上がったユージアルは、目を白黒させてあたしを見た。
「な、何すん…」
「……胸を張りな!!」
腰に手を当て、その間抜け面をまっすぐに見返す。
「あんたは何も悪い事はしてない。むしろ誇るべき事をやっただろう」
「…ほ、誇る?俺、騙されてただけだろ。誰も助けてないんだぞ」
確かに、ユージアルは誰も助けられていない。
そもそも助けるべき人間などここにはいなかったのだから当たり前だ。
…だけど。
「騙されてたからなんだってんだい!!子供を助けようとしたあんたの行動は、誰に恥じることもない立派なものだ。何も間違ってなんかない!!」
こいつは普段はわがままで、不真面目で、口も悪い。本当に困った小僧だ。
でも、あたしにとっては大事な生徒でもある。
あんなチンピラ風情に理不尽に傷付けられ落ち込む所なんて、黙って見ていられるものか。
…良い事をしたのならば、ちゃんと褒められるべきなのだ。
「あんたは立派な騎士だった。…胸を張りな。子供を守ろうとした自分を誇りな。騙された事を反省するのは、その後でいいんだよ」
「……」
ユージアルはぱちぱちと瞬きをすると、ぽかんと口を開けた。
ただ無言で、あたしの顔を見つめる。
…いや、何か反応はないのかい。
あたしに褒められたのがそんなに驚きだったんだろうか…。
って、そうか。今のあたしは王宮魔術師でも家庭教師のババアでもなく、通りすがりの若い魔術師なんだった。
仮にも貴族相手に、馴れ馴れしく偉そうな口を利きすぎたかもしれない。
「そ、それじゃ、私はこれで…」
踵を返してそそくさと立ち去ろうとすると、ユージアルが慌てたように後ろから追いすがって来た。
「ま、待ってよ!俺、ユージアル。ユージアル・ゲータイト!君は?」
な、何だそのキラキラした目は…。
ここで名乗れば、面倒な事になる予感しかしない。
「…名乗るほどの者じゃありませんよ!」
思いっきり愛想笑いをして、今度こそあたしはそこから走り去った。