第4話 商店街
「うーん…これが一番若いデザインかねえ…」
クローゼットの中を漁り、いつ買ったのかも思い出せないブラウスとスカートを取り出す。
サイズは…まあ、何とかなるだろう。
もう何年も袖を通していなかったこれを着るのには、訳がある。
あたしがあの秘薬のせいで若返ってから数日。人前に出る時は必ず変化の首飾りを使い、今まで通りの老婆の姿になっていた。
だが今日は、この若返った娘の姿のままで出かけるのだ。
あたしはいずれ王都を離れる時までは老魔女エリトリットとしての暮らしを続ける予定だが、いくら魔導具の力を借りても、朝から晩までずっと姿を変えているのは難しい。魔力も集中力も持たない。
家の中などではやはり若い姿のままでいる事になるが、それを誰かにうっかり見咎められたらまずい。一日中カーテンを閉める訳にもいかないし。
そこであたしは、若返った姿を「エリス」という名前の少女として近所の者に紹介しておく事にした。
エリスはあたしの親戚で、魔術の弟子になるため王都にやってきたばかり。これからは一緒に住み、高齢で出歩くのが億劫になったあたしの世話もしてくれる…と、そういう設定だ。
そうやって身元をはっきりさせておけば姿を見られても問題ないし、いちいち姿を変えなくてもエリスとして出歩ける。
何しろ、この若い身体で老婆のふりをするのは案外大変だと分かった。
変化の魔術はあくまで幻影を見せるものであって、肉体そのものは変化していないからだ。気を抜くと、身体が勝手に機敏な動きを取ってしまう。
わざとゆったりした動きをするのが、これほど難しいものだとは…。
あたしをよく知っている者なら、その若々しい動きに間違いなく違和感を覚えるだろう。
取り出したブラウスとスカートに虫食いやほつれがないかよく確かめ、袖を通す。
こんなちょっとした動作でも、関節が滑らかに動くおかげで以前よりもずっとスムーズだ。
腰の痛みがなくなり、いつからかまっすぐ上に伸ばせなくなっていた腕も軽々と上がるようになった。
細かい文字も楽に読めるし、音だってよく聴こえる。全くもって、若いってのは凄い。
スカートは足首まであるものだったが、これでは若い娘が着るにはあまりに野暮ったいだろうか。
あたしが若い頃に流行っていた膝丈のスカートは、流行が一周したのか近頃また流行っている。
でもあんまり短いのも抵抗があるし、腰の所で折り込んでふくらはぎが覗く程度の長さにした。
姿見に映して確認してみる。
「…うん、いけるじゃないか」
こんな丈のスカートを履くのは何十年ぶりだろう。あの日片足を失ってからは初めてだ。
裾の所に控えめな刺繍が入った紺色のスカートと白いブラウスは、飾り気が少ない分、若く血色のいい肌を引き立てている気がする。
まあ、若いとどんな服でもそれなりに似合って見えるものなんだけど。そう思いつつ、どことなく気分が浮き立ってしまう自分がいる。
…別に、誰に見せる訳でもないのにねえ。
自分に苦笑しつつ、上から短めのローブを羽織って家を出た。今日は杖は必要ない。
まず向かったのは近くにある商店街の通りだ。
「エリス」の存在を広めるには、ご近所の噂の発信地であるここに挨拶をして回るのが一番手っ取り早い。
通りに入ってすぐの八百屋に近付く。
店番をしているのは娘のカイヤだ。果物を並べているところに、後ろから声をかけた。
「こんにちは。エリトリット先生のおつかいで来ました」
カイヤは振り向くと一瞬目を丸くしたが、すぐに笑顔を浮かべた。
「あっ、あんたがおばあちゃんの言ってたお弟子さん?いらっしゃいませ!あたしはカイヤ、よろしくね!」
「はじめまして、エリスです。よろしくお願いします」
カイヤには元々「近々弟子がやって来るからよろしく」と言ってあったので話が早い。
気立てが良く、あたしにも何かと親切にしてくれる娘だ。娘と言ってももう30近いし、子供も3人いるんだが。
さらにカイヤが「おーい!あんた!」と奥に声をかけると、中から男が顔を出した。旦那のウバロだ。
「ほらこの人、この前話した、エリーおばあちゃんの新しいお弟子さんだって」
「こりゃどうも、はじめまして。八百屋のウバロです」
「はじめまして、エリスです。エリトリット先生がいつもお世話になっています」
「いやあ、こいつは別嬪さんだ。たまげたなあ。カイヤ、お近づきの印に、たくさんおまけをしてやれ」
「あんたったら!美人と見たらすぐに鼻の下を伸ばすんだから!」
カイヤはウバロを肘で小突き、あたしは思わず笑ってしまった。
相変わらず仲の良い夫婦だ。
「おばあちゃんのおつかいなら、果物かな?今日は洋梨の良いのが入ってるよ。どう?」
「ああ、これはいいですね。そっちの一籠、くださいな」
「はいよ!多めに入れとくね!」
あたしはフルーツを漬け込んだ果実酒が好きで、自分でもよく作る。洋梨の酒もお気に入りの一つだ。
前に漬けたやつがまだ残ってるが、こういうものは年を経るごとに味が変わっていく。それを楽しむためにも、毎年新しく漬けてしまうのだ。
「夕方でいいなら、配達のついでに家に届けるよ。どうする?」
「本当ですか?助かります。じゃあ、そっちのじゃがいもと、ほうれん草も一緒に…」
「まいど!」
さらにパン屋や肉屋などに立ち寄り買い物がてら挨拶をして回った所で、遠くにちょっとした人だかりが見えた。
何やら怒鳴り声が聴こえるような気もする。
あんな往来の真ん中で何だと思ったら、人だかりの中から小さな子供が二人、走って飛び出してきた。
「どいて!!」
「おっと…!」
子供の一人がこちらにぶつかりそうになるのを、すんでの所で避けた。あたしが老婆のままだったら避けられなかっただろう。
かなりくたびれた、貧しそうな身なりをしていた子供だった。浮浪者かもしれない。
走り去る子供たちには構わず、人だかりの中の騒ぎはまだ続いているようだ。
少し迷ったが、気になったので近付いて様子を見てみる事にした。
あたしは魔術師だ。いざという時は、暴れている人間の一人や二人くらい簡単に取り押さえられる。
「…てめえのせいであのガキ共が逃げただろうが!どうしてくれる!!」
恫喝しているのは、見るからに腕っぷしの強そうな大柄な男だ。やたら毛深くてモジャモジャしている。
後ろにはガラの悪そうな男たちも数人いる。仲間だろうか。
…そして、モジャモジャ男と向かい合っているのは。
「ユージアル…?」