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第29話 戦いの前

 武芸大会の朝、ユージアルは目覚まし時計の音で目覚めた。

 時刻は6時半。とりあえず洗面所に行き、顔を洗う。

 もしかしたら大会前日は緊張してよく眠れないかも…なんて思っていたが、意外にぐっすり眠れた気がする。多分、一昨日の夜全く寝ていなかったために眠くてたまらなかったせいだろう。


 嵐の夜、呆然とこちらを見ていたエリスの姿が頭に浮かぶ。

 昨日セピオがやって来て、竜の秘薬がどうとかあれこれ説明していたが、半分くらいしか耳に入って来なかった。

 分かったのは、エリスの正体がババア…エリトリットだったという事。

 そして、ユージアルの成績を上げるために家庭教師代理になったという事だ。


 言われてみれば、確かに心当たりはある。

 時々口調がそっくりだったり。

 勉強の教え方がよく似ていたり。

 歩いた時の靴音が、同じにしか聞こえなかったり。


 …当然か。同じ靴履いてたんだもんな。

 俺がプレゼントした靴なんだから、聞き間違えるわけない。


『ありがとうございました、ユージアルさん』


 あの時の嬉しそうな顔が、嘘だったなんて思えない。思いたくない。

 でもやっぱり、俺のご機嫌を取るためだったのかな。

 デートとか。応援とか。パイを焼いてきてくれたりだとか。




「…ねえ、ユージアル君。ユージアル君!」

「えっ?」


 呼びかけられている事に気付き、顔を上げる。

 眼鏡をかけたそばかすの少年。ルームメイトのヨルダンだ。


「ユージアル君、武芸大会に出るんでしょ?出場者は集合時間が早いから、そろそろ着替えて朝食を食べに行った方がいいんじゃないかな」

「あっ…そ、そうだな…」


 洗面所から戻った後、ベッドに腰掛けたままボーっと考え込んでいたらしい。

 時計を見る。7時。少し急いだ方が良さそうだ。

 慌てて立ち上がり、寝間着のボタンを外して着替えていると、ヨルダンがじっとこちらを見ている事に気付いた。


「…何だよ?」

「ユージアル君さ、ちょっと逞しくなったよね」

「そりゃ、まあ…最近鍛えてたし…」


 戸惑いながら答えると、ヨルダンは少し笑った。


「試合、頑張ってね。応援してるよ」

「…おう」





 着替えを終え、食堂に向かって歩きながら思う。

 …ヨルダンの奴、急に何だよ。

 いつもは全然話なんかしないのに。


 入学したばかりの頃は、ルームメイトとして結構仲良くしていた。

 しかしユージアルがガドリンに睨まれていると分かったら、何だか余所余所しくなってしまった。

 その気持ちは理解できる。巻き込まれて自分まで虐められたくないのだ。

 だからこちらも、あまり話しかけないようにしていたのだが…。


 食堂に着くと、いつもより少し早い時間にも関わらず結構生徒がいた。きっと大会参加者とその友人だろう。

 彼らの横を通り過ぎ、ビュッフェで適当にパンやベーコンエッグなどを取って、隅の目立たなさそうな席に座る。



 こうしていても、やっぱりエリスの事が頭から離れない。

 ぼんやりと考え込んだままモソモソと食事を頬張っていると、聞き慣れた嫌味な声が聞こえてきた。


「おはよう、ユージアル君。随分と辛気臭い顔をしているなあ!」

「…ガドリン…」


 ユージアルは顔をしかめた。今はこいつの顔なんて見たい気分じゃない。

 と言っても、ガドリンの顔を見たい気分だった時なんて一度もないが。


「君、せっかく僕が忠告してやったと言うのに、出場を辞退しなかったんだってね?今頃になって後悔するくらいなら、さっさと辞退しておけば良かったのに」

「…あ?後悔?」

「後悔してるから、そんな顔をしているんだろう?…見てみなよ、周りをさ。君みたいに自信なさそうに暗い顔をしている生徒なんて、一人もいないよ!」



 言われてユージアルは、食堂内を見回した。

 ボーっとしていてまるで気付かなかったが、いつもの和やかな食堂とは雰囲気が違う。どことなくピリピリとした空気が漂っている。


 やる気に満ちた表情で次々にハムやソーセージを口に運んでいる者。

 少し強張った表情でゆっくりパンを噛み締めている者。

 自信ありげな表情で友人と言葉を交わしている者。


 一人一人表情は違ってはいるが、それぞれから大会に向ける緊張感が伝わってくる。

 皆、今日の試合に万全の状態で臨むために栄養を取り、集中を高めているのだ。

 全ては、後悔しない戦いをするために。



「…そうか。そうだった…」


 自分だって、今日この日のためにずっと努力して修業してきたのだ。

 別に彼女のためじゃない。

 ガドリンを見返してやるために、自分の名誉を守るために、戦って勝つと決めた。


 こんな集中を欠いたままぼんやりと試合に臨んで、勝てる訳がない。

 実力を出し切れずに負けて、それで後悔するなんて絶対に嫌だ。


「俺も、ちゃんと戦わなきゃ…」

「はあ?急に何だい?君がやるべきなのは、逃げる事だろう?」

「…俺は逃げたりしない。絶対に」


 いつものように食って掛かるのではなく冷静な口調で答えると、ガドリンは驚いて目を丸くしたようだった。

 その顔を見て、ユージアルはニヤリと笑う。

 …こいつのおかげで、目的を思い出せた。緊張感を取り戻せた。


「ありがとよ、ガドリン。お陰で目が覚めた。お前も人の役に立つ事あるんだな」

「な、何を言ってるんだ、君は?試合が怖すぎておかしくなったのかい?」

「さあな。まあ、見てろよ!」


 目を白黒させるガドリンにはもはや構わず、ユージアルは残りの朝食を平らげ始めた。

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