第28話 嵐の後
嵐の翌日、ゲータイト伯爵邸に呼び出されたあたしは、エリスの姿で家を出た。
既に嵐は遠ざかっていて、まだ少し風が強いものの空は晴れ間が見えている。
道のあちこちには倒れた木や飛んできた枝、どこかの看板などが落ちている。片付けには丸一日はかかるだろう。
屋敷の門をくぐり、メイドの案内で応接室に行くと、そこで待っていたのはセピオだ。
昨夜あたしは嵐の中を無理矢理家に帰ってしまったので、その後の事を教えてくれた。
「…あのアンディという子は、風上から聞こえてきた猫の鳴き声を追って上流の方へ行ったみたいですね。それで助けようとして水路に落ちたんだそうです。自分の懐の中に入れて守っていたようで、猫は無事です。あ、もちろんアンディ本人も元気です」
「そうかい。そりゃ良かった」
今更取り繕ったってしょうがない。いつものババアの口調で返事をしたあたしに、セピオが何とも複雑な表情になる。
「本当に…本当にエリトリット先生なのですか?悪い冗談だとか、ユージアル様の妄想ではなく?」
「そうだよ。あんただって、少しは心当たりがあるだろう?」
「それは…まあ…」
その時、応接室のドアが開いた。
…ゲータイト伯爵のお出ましだ。後ろには、ガーネットもいる。
いつも通りの挨拶を交わした後、伯爵はあたしの全身をじろじろと見た。
「セピオから報告は受けているが…。まず、君が本当にエリトリット殿本人だと証明はできるかね?」
まあ、そう来るだろうね。
だからあたしは、スカートのポケットから一つのバッジを取り出した。
「あたしは正真正銘、王宮魔術師エリトリット・グリュネルです。これがその証拠ですよ」
王宮魔術師の証である、リンゴと杖のモチーフが描かれた金のバッジ。裏にはあたしの名前が彫られていて、中央には透明な魔石がはめ込まれている。
手のひらの上でゆっくりと魔力を込めると、魔石は虹色に輝いた。
この魔石には、名前を彫られた本人の魔力の波長が登録されている。
魔力の波長というのは一人一人少しずつ違うため、反応させられるのは本人のみなのだ。
盗難や偽造防止のために付けられている機能だが、こんな形で役に立つとは思わなかった。
「どうぞ、検めてみて下さい」
魔力を止めて光を収めると、あたしはテーブルの上にバッジを置いた。
伯爵がそれを手に取り、顔に近付けてまじまじと見る。
「……。ふむ。間違いなく、本物だな」
あたしにバッジを返した伯爵は、「では、次に」と改めて口を開く。
「私が初めてエリトリット殿に会った時、貴女は既に60歳近かった。そして今は確か、70…」
「74歳ですよ」
「…74歳。とてもそうは見えないが、一体どういう事かね?」
あたしは少しの間瞼を閉じ、そして開いた。
…こうなったからには、全て話すしかない。
「…竜の秘薬か。にわかには信じがたいが…こうして目の前に若返った本人がいる以上、信じるしかあるまい」
あたしの話を聞き、伯爵は嘆息した。
ハロイスの為にもあの秘薬の事はなるべく隠したかったのだが、そこを話さずには説明できなかったのだから仕方ない。
同席しているセピオとガーネットは半信半疑の様子だ。こうしてあたしの姿を目の当たりにしても、なかなか信じられないんだろう。
「こんな姿になっちゃ、今までと同じように暮らすのは難しい。家庭教師の契約がなけりゃとっくに王都から出ていたんですがね。…でも、今となっては後悔してる。あたしはもっと早く、ここを離れるべきだった…」
唇を噛みしめ、拳を握りしめる。
…ユージアル。
昨夜は結局あの後、一つも言葉を交わさなかった。
ただただ驚愕してあたしを見ているあいつに、何て言えばいいのか分からなかったからだ。
本当はあたしも気付いていた。
あいつはきっと、本気で『エリス』の事が好きなんだと。
しかしユージアルの事を思うなら、こんな風に真実を知られる前、傷付ける前に去っておくべきだった。
…後悔した所で、もう遅い事は分かっているけれど。
「エリトリット殿、そしてエリス殿をユージアルの家庭教師にすると決めたのは私だ。エリトリット殿だけを責めるわけにもいくまい。…エリス殿はユージアルを変えると、私自身もそう期待をかけてしまった」
伯爵がそう言うと、セピオとガーネットが気まずそうな顔になった。
この2人も、エリスに同じ期待をしていたからだろう。
「しかし、エリトリット殿が私に正体を偽り、隠していたのも事実だ。この責任は取ってもらわなければならない」
「ええ。どのような処罰も受けるつもりです」
「ふむ。流石に潔いな」
そう言いつつ、伯爵はしばし考え込む。どう処分すべきか悩んでいるようだ。
その間もじっとあたしの事を見ていて居心地が悪いが、甘んじて受けるしかない。
「…ところで、その竜の秘薬の効果はいつまで続くものなんだね?いずれは元のエリトリット殿に戻ったりするのか?」
「秘薬の効果は『どんな病や傷もたちどころに治す』ものです。右足が完全に治った時点でその効果はもう終わっているので、元の姿に戻ったりはしないだろうと…。ハロイス曰く、老婆になりたきゃもう一度50年かけて年を取るしかないそうです」
「ふむ…なるほど…」
伯爵はそのまましばらく考え込んでいたが、やがて立ち上がった。
「…今日のところは、一旦ここまでだ。エリトリット殿の処遇についてはまた後日話そう。…では、失礼するよ」
「あっ、伯爵!」
立ち去ろうとする伯爵を、あたしは慌てて呼び止めた。
「あの、ユージアルは…どうしてますか?」
「今は寮に戻っている。腕の傷はしっかり治療したので問題ない。明日の武芸大会に向け、しっかり身体を休めるように言ってある」
「…そうですか…」
きっとショックを受けているだろうね。憧れの人の正体がババアだった訳だし。
武芸大会を控えたこんなタイミングで、本当に悪い事をしちまった。
うつむくあたしを一瞥すると、伯爵は今度こそ応接室を出て行った。
…あたしも家に帰ろう。
そう思って立ち上がりかけたが、今度はガーネットがあたしを呼び止めた。
「ねえ、明日の武芸大会、見に行くわよね?」
確かに、見に行くと約束した。
でも一体、どの面を下げて見に行けるというのか。
「あの子、本当に毎日頑張ったのよ。だから見届けてあげて」
「……。失礼します」
それには答えず、あたしは一礼して部屋を後にした。




