第18話 デート・2※
店の中に入ると、さまざまな靴がずらりと壁際に並べられているのが目に入った。
すぐに40代半ばほどの金髪の男がやって来て、あたし達を出迎える。
「ユージアル様、いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「この人に一足見繕ってほしいんだ」
「これはこれは、美しいお客様。私はソーマス、この靴店の店長です。お客様のご要望にぴったりと合った一足を提供する事を何よりの生き甲斐としております。どうぞお見知りおきを」
「エリスと申します。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げたあたしに、ソーマスはにこやかに微笑んだ。
「では、どのような靴をお求めか教えていただけますか?」
「普段から履いて歩く用。だから丈夫で軽くて、歩きやすいやつがいい。できれば、今日このまま履いていけると良いんだけど…」
あたしの代わりにユージアルが答え、ソーマスは「承知いたしました」と言って店の右奥の方を示した。
その辺りだけ絨毯が敷かれ、いくつかのスツールが並べられている。
「エリス様、裸足になってこちらに掛けていただけますか。まずは足のサイズを測ります」
「はい」
靴を脱いで裸足になりスツールに腰掛けると、メジャーを取り出したソーマスが「失礼いたします」とサイズを測り始めた。
長さだけじゃなく、幅や甲周りまで細かく測っている。更に足の裏やら指までじっと見ていて、年甲斐もなく羞恥を覚えてしまう。
「ごく一般的なサイズですので、在庫品の中からでも十分にお選びいただけるかと思います。…裸足のまま、この絨毯の上を歩いていただけますか?なるべく、普段通りの歩き方で」
「はい」
あたしは言われた通り、絨毯の端まで歩いてから戻ってきてもう一度座った。
何だかジャローシス領で義足の試作を手伝っていた頃の事を思い出す。毎日のように、こうして職人の前で歩いて見せていたっけ。
ソーマスはじっとあたしの歩く様を見た後、あたしが履いていたボロ靴を手に取り、ひっくり返して靴底を調べた。
「こちらの靴は、元々エリス様の物ではありませんね?」
「はい。履いていた靴がだめになったので、代わりにと貰った物です」
「やはりそうですか。靴底の減り方と、歩き方の癖とが合わないようでしたので…。エリス様は以前、右足を痛めた事があるのではないですか?」
「ええ。分かりますか?」
「わずかに右側を庇うような歩き方をしていらっしゃいましたので」
どうやら義足だった時の癖が未だに抜けていないらしい。
しかし、ほんの少し歩いただけでそこまで見抜けるなんて大したもんだ。ユージアルの言った通り、信頼の置ける店らしい。
「ご要望に合いそうな靴をいくつか見繕って参ります。少々お待ち下さい」
やがて、3足の靴があたしの前に並べられた。
黒のショートブーツ、ベージュのローファー、それからふくらはぎまである赤茶のミドルブーツ。
どれも質の良い革を丁寧になめして作られたものだと一目でわかる。
「どうぞ、履いて試してみて下さい。ご自由に店内を歩き回られて構いません」
早速、順番に履いて歩いてみる。
ショートブーツは足にぴったりとはまる感じがした。少しばかり革が固いが、丈夫そうな感じがする。
ここ十数年で普及したローファーは、形の違いがあるにせよ驚くほど軽かった。軽すぎて頼りないほどだが、歩き心地は良い。
ミドルブーツは意外に柔らかい革でできているようだ。少し踵が高くて格好良いが、そのせいかちょっと重い。
「どれもそれぞれの良さがあって、迷いますね…」
一番サイズがぴったりなのはショートブーツだが、格好良さではミドルブーツ。軽さではローファーだ。
顎に手を当てたユージアルが3つの靴を見比べる。
「俺はミドルブーツかショートブーツが良いんじゃないかと思うな。ブーツなら道が悪い所でも歩きやすいし」
「なるほど、そうですね」
確かにローファーじゃ、雨でぬかるんだ泥道なんかは歩きにくいだろう。王都と言えども石や煉瓦で舗装されている道ばかりじゃないし。
的確なアドバイスだが、移動を馬車に頼りがちな貴族らしくない観点だね…と思ってユージアルの顔を見ると、「何?」と首を傾げた。
「いえ。ユージアルさんは、本当に歩くのが好きなんだなと思って」
「あっ、うん。さっきもちょっと言ったけどさ、知らない場所を歩くのってワクワクして好きなんだ。自分の好きなペースで進めるし、周りにあるものだって馬車の窓からよりずっとよく見える。匂いとか空気とか、そういうのって馬車からじゃ分かりにくいだろ?」
へえ…。ユージアルにそんな趣味があるとは知らなかった。
勉強している時のあの集中力のなさも、強い好奇心の裏返しなのかも知れない。家庭教師としては困りものなんだけどね。
「なるほど、そうして見聞を広めていると…。日頃からフラフラと下町を歩かれているのも、もしかしたら無駄ではないのかもしれませんね…」
「嫌味かよセピオ!」
「おや、分かりましたか?」
セピオに横から突っ込まれ、ユージアルが怒った。
余計な口は挟むなと念を押されていたため、店に入ってからずっと大人しくしていたセピオだが、どうやらそろそろ我慢できなくなったらしい。
「小言なら後にしろよ、今はエリスさんに歩くのは楽しいんだって話をしてるんだから!」
「これは失礼いたしました。申し訳ありません」
全く悪いと思っていなさそうなセピオに苦笑しつつ、ふと自分の両足に視線を落とす。
「…歩くのは楽しい、か…」
自由に、思うがままに歩き回る楽しさ。
それは、あの時右足と共に失った気持ちだ。
…ああ、そうか。
ハロイスの「今の自分の人生を楽しむ事を考えてもいいんじゃないのか」という言葉の意味が、ようやくちゃんと分かった気がする。
今のあたしにはちゃんと両足があり、若い体力だってある。
どこにだって歩いて行ける、走り回る事だってできる。
かつてのエリトリットができなかった事、諦めてしまった事が、今ならばたくさんできるはず。
なのにあたしは、せっかく手に入れたこの健康な身体をちっとも活かしていなかった。それどころか、わざと粗末に扱うような真似すらしていた。
サイズの合わない歩きにくい靴じゃ、どこにも行く気にはなれない。
疲れや痛みばかりが気になって、その先に足を進めようって気持ちなんか起こらなくなる。
靴の事だけじゃない。服、食べ物、本、人、景色、他にもたくさん。
もっと色んな物に興味を持ったって良いはずなのに、あたしはほとんど目を向けようとしていなかった。
それは与えられたこの奇跡に対し、あまりに罰当たりではなかったか。
もっと精一杯に今を楽しもうとしたって良いじゃないか。
昔の、無邪気だった頃のあたしみたいに。
…あたしも、歩く楽しさを感じたい。
そんな思いを胸に、さっきまでよりもずっと真剣に、2つのブーツを見比べる。
「…こっちのショートブーツの方がぴったり来る感じがするんですけど、ちょっと硬いんですよね。ミドルブーツは柔らかくて動きやすいけど、少し重くて」
「うーん」
ユージアルはしゃがみ込むと、2種類のブーツを片方ずつ持ち上げた。
それぞれの重さや感触を確かめているようだ。
「だったら、ショートブーツの方が良いんじゃないかな?やっぱ軽い方が足が疲れないし、今は少し硬くても、履いてるうちに革が柔らかくなってくるはずだし」
ユージアルの言葉に、後ろに控えていたソーマスが「私もそう思います」とにこやかに同意する。
「使い込めば使い込む程に馴染むのが革製品の良いところですからね。履いていくうちに程良い柔らかさになっていくかと思います」
艶のある黒のショートブーツをもう一度手に取り、あたしは一つうなずいた。
「では、これにします」
「…ありがとうございました、ユージアルさん」
新しい靴を履いて店を出たあたしは、そう言って頭を下げた。
ユージアルが「いや、そんな」と照れたように手を振る。
「これ、あの時のお礼だからさ。気にしないでよ」
「でも凄く嬉しいです。それに、とても勉強になりました」
「そうなの?」
「ええ」
よく分からないという顔をするユージアルに笑い返す。
あたしだって驚いてるんだよ。まさか、あんたから人生を学ぶ日が来るなんてねえ。
「それで、この後はどうするんですか?」
「あっと、この先に大きな公園があるんだ。花壇に色んな花が咲いてて、キレイな所」
「それは良いですね」
公園は、この新しい靴に慣れるための散歩に丁度良さそうだ。
石畳の上を一歩踏み出すと、こつんと軽やかな靴音が鳴った。