第15話 セピオから見た二人
ゲータイト家の騎士セピオの朝は早い。
使用人たちもまだ大半が寝ている時間から起き出し、鍛錬をするのが日課だ。
セピオは正騎士の称号を持っている。学院を卒業する時に授与されたものだ。
と言っても、ゲータイト家においてセピオが求められているのは剣の腕ではない。当主の補佐役としての頭脳、実務能力だ。
騎士の称号は単なる箔付けに過ぎない。
それでもこの鍛錬の日課を続けているのは、健康や体力の維持のためでもあるが、セピオ自身の騎士としての矜持もあるだろう。
たとえ箔付けのためでも、セピオはきちんと実力で称号を得た。
剣の師匠もそれをしっかり保証してくれたし、実際セピオは同級生の中で真ん中くらいの腕前はあった。
…自分はちゃんと努力をし、厳しい修行を乗り越えて騎士になった。
その事はセピオの中で、大きな自信になっていると思う。
だからセピオは、今でも騎士としての鍛錬を欠かさないのだ。
朝日が照らし始めた庭に出て、セピオは清々しい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
いつも通りに木剣で素振りをしていると、後ろから「おーい」と声をかけられる。
「…ゆ、ユージアル様!??」
「どんだけ驚いてんだよ…ふぁ、ねむ」
あくびをするユージアルの手には木剣がある。なんと稽古をするつもりらしい。
こうして早起きをしてきただけでも驚きだと言うのに。
今は水霊祭…守護神である水霊神に感謝を捧げる祭礼の時期で、学院は一週間休みになっている。
その間は王都内の屋敷で過ごす生徒が大半で、ユージアルも昨日からゲータイト邸に帰ってきていたのだが、まさか自分から朝稽古のために早起きしてくるとは思わなかった。
「これが愛の力…まさか無限に力を引き出せるとでも言うのか…!?」
「ヒーロー小説の敵役かお前は。俺の事ばっかあれこれ言うけど、お前だって大概だぞ…」
ユージアルは顔をしかめると、準備運動もそこそこに素振りを始めた。
「大概とは何ですか、人が感心しているというのに…あ、駄目ですユージアル様、剣先がぶれていますよ!もっと脇を締めて!」
「はあ?」
「基礎は大事なんですよ!エリスさんも言っていたでしょう!」
「うっ…」
ユージアルは渋い顔をしたが、エリスの名前を出すと大人しく従い、セピオの言った通りに姿勢を正した。
効果てきめんだ。
そもそもこうして自主的に鍛錬をしているのも、エリスが「ユージアルさんには剣の才能があると思いますよ」と言ったからだろう。
セピオは心の中でエリスに感謝を捧げた。
彼女と出会ってから、ユージアルは明らかに良い方向へと変わっている。
エリスはセピオと同い年だと言うが、実に賢いし落ち着いている。しかも年下の扱いを心得ているようだ。つい先日会ったばかりのユージアルの事をよく分かっている。
ある程度はエリトリットから聞いているのだろうが、それにしても理解力が高い。まるで昔から知っているかのような手慣れた応対ぶりだ。
きっと観察力に優れた人なんだろうとセピオは思っている。
「…ええ、その調子です。良い感じですよ」
「おう!」
型通りに剣を振るユージアルは楽しそうだ。
元々身体を動かすのは嫌いではないはずだが、いつの頃からか人前で剣を振るのを嫌がるようになってしまった。
こんな表情で剣を持っているのを見るのは久し振りだ。
…また汗を流す楽しさを思い出してくれたのなら嬉しい。
未来の主君であるこの少年は、凡人の自分よりも遥かに剣才に恵まれていると、密かにセピオは思っている。絶対に調子に乗るので一度も言った事はないが。
そうして少し見守っていると、ユージアルが剣を振り下ろしながら声を上げた。
「…どうだ!?俺はかっこいいか!?」
「はあ?…ええ、まあ…そうですね…?」
「そうか!おいセピオ、この事をエリスさんに伝えてくれてもいいんだぞ!!」
「びっくりするくらい下心丸出しですね!!」
セピオは思わず脱力したが、「わはは!」と笑うユージアルはやっぱり楽しそうで、ついつられて笑ってしまった。
この少年のこういう屈託のない所が、セピオは結構気に入っていたりする。やはり言った事はないが。
「…分かりました、いいでしょう。僕と手合わせをして5本中1本でも取れたら、ユージアル様が頑張っていたとエリスさんに伝えてあげますよ」
「よっしゃ!!やってやろうじゃねえか!!」
ユージアルはやる気満々だが、セピオとて負けるつもりはない。
凡才だろうと、こちらは毎日欠かさず鍛錬を続けてきたのだ。地味な積み重ねも力になるのだと、この機会に教え込むのも悪くない。
「行きますよ…!」
「ちょっ、待て、その前に一休みさせろ!!俺は素振り終わったばっかりなんだぞ!!」
「問答無用!!!」
「お、お前ぇー!!!」
…それから数時間後。
「ええー!?今日エリスさんじゃないのかよ!??」
「悪かったね、ババアの方で。あの娘にだって都合ってもんはあるんだよ」
がっくりと肩を落とすユージアルに、エリトリットが皮肉げに笑った。
連休明けのテストに備えるべく、連休の間はずっと家庭教師を頼んであるのだが、今日はエリスではなく先生の方が来たらしい。
「俺のかっこいい所をアピールする予定だったのに…」
「かっこいい所?」
「ユージアル様は今朝、早起きして剣の稽古をなさってたんですよ。まあ手合わせでは5戦全敗した上に泣きの一回でも負けたんですが」
「そこは言わなくて良いんだよ!!」
ユージアルも頑張りはしたのだが、正騎士であり鍛錬も欠かさないセピオに敵うはずがない。
しかもセピオは手加減など一切しなかった。
剣は命を守る事も奪う事もできる物なのだ。こればかりは甘やかさない方が良いだろうと思っている。
「ふうん…感心だねえ。朝のうちから身体を動かしておけば、頭の回転だって良くなる。いつもより頭がシャッキリとしてるんじゃないかい?」
「そうかな…そうかも…?」
「そうだよ、試しに何日か続けてみな」
「うーん」
首を捻るユージアルの背中を、エリトリットがばしっと叩いた。
「ほら、いい加減に授業を始めるよ!明日はまたエリスを寄越す予定だ。もちろん、今日どこまで教えたかはあの娘に伝えておく。…もし何も覚えてなかったりしたら、あの娘はどう思うだろうね?」
「何!?」
「幻滅されたくなきゃ、せいぜい頑張るんだね」
「おう!…しかしババア、具合悪いって言ってた割に元気だな?咳もしなくなったし」
「ん?まあね、新しい薬が効いたんだよ。…じゃあ今日は、教科書の62ページから…」
そう言えば、近頃先生は咳をしなくなったなとセピオは思う。
動きもきびきびとしていて若々しい。体調が悪いというのはエリスを呼ぶための嘘だと知っているが、それにしても前よりずっと元気そうだ。薬のせいだけとは思えない。
今はエリスと一緒に住んでいるそうなので、もしや彼女のおかげなのだろうか。
「先生、もしやエリスさんは料理が得意だったりするのですか?」
「は?何だい急に」
「いえ、先生が近頃元気な理由を考えていまして」
「あー…まあ、そうだね。人並みにはできると思うよ」
「ふむふむ」
近頃は趣味の一環として料理を嗜む貴族令嬢も増えてきている。
まあ令嬢たちは肉や魚には触りたがらないのでお菓子作りがせいぜいなのだが、家庭的であるとして歓迎される趣味だ。悪くない。
…実のところ、セピオはエリスに期待しているのだ。色々な意味で。
話を聞いていたユージアルがぱっと顔を上げる。
「え、エリスさん料理できるの!?得意料理何!?」
「…ミートパイかねえ」
「ミートパイ!俺ミートパイ好き!!」
「だから何だってんだい、勉強に集中おし!!セピオも、雑談なら後にしな!!」
「も、申し訳ありません。僕は用事がありますので失礼。後でまた様子を見に来ます」
エリトリットに叱られ、慌てて勉強部屋を退出する。
あの様子ならエリス本人がいなくてもちゃんと勉強しそうだ。
次のテストが楽しみだと思いながら、セピオは廊下を歩き出した。