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第13話 エリトリットと青薔薇の魔女・2

 それが起こったのは、あの男と婚約した年の暮れの事だった。


 ずっと学生寮住まいの生徒達も、年末年始の休みでは実家の領に帰省する者が大半だ。

 長距離馬車の運賃は高いので、領が近い生徒同士で金を出し合って乗っていく場合が多い。

 あたしも帰省のために長距離馬車に乗っていたのだが、その道中で突然馬車が急停止をした。


「…魔獣です!!前方に襲われている人がいます!!」


 御者の叫びを聞き、あたしや乗客の生徒は慌てて窓から顔を出した。

 数百メートル先で4人の男が狼魔獣の群れと戦っている。その後ろには横倒しになった馬車が転がっているのが見えた。

 小型の魔獣ばかりだが、一匹だけ中型が混じっているようだ。苦戦している。


 あたしの前に座っていた上級生が剣の柄を掴み、「助けに行くぞ!」と叫んだ。

 幾人かの生徒が「おう!」と応え、あたしもまた立ち上がる。


「私も行きます!魔術で援護します…!」


 魔獣とはまだ訓練でしか戦ったことがない。恐怖はあったが、それ以上に使命感に突き動かされていた。

 青薔薇の魔女ならば、魔獣に襲われている人を見捨てる事など絶対にしない。

 今日までずっと魔術の修業に打ち込んできたのはこういう時のためなのだ。必ず役に立ってみせる。



 上級生が中心になって魔獣に攻撃をし、あたしともう一人の生徒が馬車の中にいる人の救助に当たった。

 壊れかけの馬車の中には、怪我をした母親と子供がいた。二人共、幌や折れた柱が邪魔になって動けないらしい。

 身体強化も使って親子を何とか引きずり出した所で、誰かが叫んだ。


「気を付けろ!!そっちに魔獣が行った!!」


 見ると、黒い狼が2匹向かってきていた。

 しかも口の中に炎を溜めている。こちらに向かって飛ばすつもりなのだ。


『光の壁よ!』


 親子を後ろに庇いながら、防御魔術を展開する。2つの炎が壁に当たって散った。

 続けざまに、風の魔術の用意をする。あたしの隣にいた生徒が剣を片手に走った。


『旋風よ、敵を切り裂け!!』


 放たれた旋風が刃となって一匹を切り裂き、もう一匹は剣によって斬り捨てられる。

 やった、とそう思った瞬間。


「…危ない!!右だ!!」


 咄嗟に使った防御魔術は、親子を守るだけで精一杯だった。右足に灼熱の激痛が走る。

 斜めに傾いた視界の端に大きな狼の影が映り、そのまま意識を失った。





 …後で聞いた所によると、この事件での死者は1人、重傷者が3人。

 その重傷者のうちの1人があたしで、目が覚めた時にはあたしの右足は脛の途中から先がなくなっていた。

 中型の狼魔獣がこちらに素早く回り込んでいて、そいつの放った炎が足に直撃したんだそうだ。

 足首が取れかけていて、もはや切断するしかなかったのだと言う。


 泣き崩れる両親を見ながら、ベッドの上であたしはただ呆然としていた。

 それまで思い描いていた、ありとあらゆる未来が崩れ去る音を聞いた。



 あたしはその後一週間ほどで退院し、王都内の屋敷に移った。

 治癒魔術があるので傷そのものは塞がるのが早い。だがもちろん右足は失われたままだし、痛みも激しい。

 何よりも動く気力が出ず、あたしはずっとベッドの上にばかりいた。


 婚約者だったあの男が屋敷に見舞いにやって来たのは、さらに何日か経った頃だ。


「君の身に起こったのは本当に不幸な事故だし、僕にとってもこれは凄く辛い決断なんだ。だけど分かって欲しい、このまま結婚した所で、君は悲しい思いをするだけだろう」


 そう言って、多額の見舞金を置いて婚約解消を告げて行った。


 …分かっていた。こんな身体では侯爵夫人などとても務まらない。

 パーティーや社交に行くどころか、屋敷の女主人として使用人たちに差配をする事だってまともにできはしない。

 今ならともかく、あの時代はまだ身体が不自由な者への差別が強かった。誰もが奇異や哀れみの目であたしを見るだろう。


 彼の言う事はもっともだ。

 あたしは打ちひしがれながらも、黙って受け入れるしかなかった。

 …だけど。




「…ねえ、彼、今度はカルコス家のご令嬢をお相手に選ぶつもりみたいよ。まだ婚約解消して半月も経ってないってのに」


 皮肉な笑みを浮かべて言ったのは、見舞いにやってきた彼の()()の一人。あたしともそれなりに親しくしていた令嬢だ。


「さすがに私も、もう愛想が尽きたって感じ。彼とは別れるわ。…だから、あなたも…」


 彼女はその先を言わなかった。

 あるいは、単にあたしの耳に入らなかっただけかもしれない。彼女が部屋から出て行ったのも気付かないまま、ひたすらぐるぐると考えていた。


 カルコス家の娘は、丁度あたしと同じような境遇だった。

 美人で、成績はそこそこ優秀。魔力も十分に高い。…だけど実家は、事業が失敗しかけていて火の車。

 本当に、そっくりな境遇だったのだ。



 ようやく理解した。

 あの男はただ、見栄えが良くて従順な妻が欲しかっただけなのだ。

 自分が遊び回っていても文句を言わず、ただ妻としての仕事を果たしてくれる、そんな結婚相手が欲しかった。


 あたしの家は経済援助を必要としている。それを盾に取られれば、どんな不貞を働かれても逆らえない。

 しかもあたしは世間知らずで馬鹿だった。婚約者が浮気をしているのにも気付かなかった程の。

 口先で簡単に騙せるような女だったのだ。



 あたしは絶望し、怒りと悲しみに暮れた。あの男と、それを信じていた自分が憎くて仕方なかった。

 屋敷から一歩も外に出ず、毎日ずっと部屋に籠もって過ごしていた。


 そんなある日。両親は落ち込むあたしに、とどめを刺すような提案を持ちかけた。


「エリトリット。実はお前に、縁談が来ているんだ」

「……え?」


 耳を疑って聞き返すあたしに、両親は作り笑いを浮かべてみせた。


「お相手の方は昔奥様を亡くされていてね、後妻を欲しがっておられるんだ。少しばかり年は離れているが、とても素晴らしいお方だよ」

「あなたの足の事もちゃんと知った上で、面倒を見てくださるって」


 相手の名前は知っていた。もう40も半ばで、あたしよりも年上の子供がいる伯爵。

 確かあの男の家と、親しい関係だったはずだ。


 …この縁談を持ってきたのはきっと、あの男の両親だ。

 不幸な事故に遭った令嬢を見捨てるような形で婚約解消をした、その世間体の悪さを気にしたんだろう。

 あたしに新たな嫁ぎ先を紹介する事で、それを取り繕おうとしているのだ。

 両親がそれを受け入れたのは、提示された支度金や祝い金に目が眩んだからか。



 怒りのあまり息が止まり、歯を食いしばった。

 目の前が赤く染まり、頭ががんがんと鳴った。


 あの男も。両親も。

 誰もあたしの気持ちなんか考えない。自分の事しか考えていない。

 その癖、さもあたしの事を思っているかのような口ぶりで、気の毒そうに話しかけてくる。


 …どこまで人を馬鹿にすれば気が済むのか。


「それ以上聞きたくないわ!!!出て行って!!!!」


 叫んで枕を投げつけた、その後のことはよく覚えていない。





 …もういい、死んでしまおう。これ以上生きていたって、ただ苦しみ絶望するだけだ。

 不自由な身体で、親子ほどにも年の違う相手の後妻になんかなりたくない。


 刃物を使うか。それとも魔術か。でも自分を攻撃する魔術は難しい。

 そんな事を考えていると、部屋のドアがノックされた。


 そこにいたのはセレンだった。あたしの親友。ずっと、3日と空けずにお見舞いに来てくれていた。

 彼女は一つ息を呑むと、すぐにこちらへ駆け寄ってきた。

 あたしの顔色を見て、何かがあったと察したんだろう。涙を浮かべあたしの身体を抱き締めた。


「エリー、お願い、馬鹿な事は考えないで。一体何があったの?」


 懇願するように言うセレンに、あたしはぽつりぽつりと事情を話した。

 セレンは激しく憤った。「許せない、酷すぎる」と。

 それから、あたしの手を強く握り締めた。


「私があなたを助ける。友達だもの」

「…セレン…」

「大丈夫よ、当てがあるの。だから少しだけ待って。お願いよ」




 それから2日後、セレンは再び部屋を訪れた。


「行きましょ、エリー。あなたを助けてくれる人のところへ」


 そう言ってあたしをベッドから起こすと、肩を貸して部屋の外に出た。足元を気遣いながら、急いで廊下を歩く。

 先導しながら「急いで、早く!」と言ったのは、うちの数少ない使用人の一人だ。今日までずっとあたしの世話をしてくれていた。

 玄関から出た先には、一台の馬車が停まっている。


「どうぞ、中へ!」


 手を伸ばしているのは、あの日壊れた馬車から助けた母親と子供だ。

 すっかり忘れていたけれど、そう言えば無事だったと聞いた事を思い出す。

 どうしてここにいるのかという疑問と共に、無事で良かったという気持ちがほんの少しだけ浮かんだ。


「…あの時は、本当にありがとうございました」


 深々と頭を下げる親子に向かいあたしは笑い返そうとしたが、きっと上手く笑えていなかっただろう。

過去編はあと1話になります。

本日夕方に続きを投稿する予定です。

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