第11話 これからの人生
「…という訳でだ。小僧が次のテストで50番より上に入ったら、お前さんは小僧とデートをする事になった」
「という訳じゃないよこのクソ爺!!!!何勝手にそんな約束をしてるんだい!!」
しれっとした顔で言ったハロイスに、あたしは思い切り拳でテーブルを叩いた。
セピオと何をコソコソ相談しに行ったのかと思えば、まさかそんな約束をしていたなんて。
「せっかくミートパイを焼いてるってのに…あんたにはもう食べさせてやらないよ!」
「待て待て!あれを食わせてくれるって言うから代役を引き受けたんだぞ儂は!!」
部屋の中には既に、パイが焼ける香ばしい匂いが漂いつつある。
この匂いを嗅ぎつつお預けを食らうのはさぞや苦しいだろう。
ちなみにここはあたしの家だ。
ハロイスには礼として、あたしの得意なミートパイとちょっと良いワインをご馳走する約束になっていた。
なので、授業を終えた後帰ってきて、下ごしらえしておいたパイを焼いている所だったんだが…。
「エリー、まあ少し聞け。こいつはお前さんにとっても悪い話じゃない」
「はあ?」
「儂の目から見ても、小僧は『エリス』に入れ上げておる。だからお前さんもエリスの姿で家庭教師をしようと考えたんだろう?」
「そうだけど、必要以上に煽ってどうしようってんだい。ユージアルは次の伯爵なんだよ?あたしなんかに熱を上げて、嫁探しが遅れたら困るだろう」
家庭教師の件がなければはっきりと振ってやれるんだが、今そんな事をしてやる気を無くされても困る。
適度に愛想良く対応しなきゃならないが、それでうっかり勘違いでもされたら大変だ。
「問題はそこだ。どう見てもあの小僧はモテんだろう。阿呆な上に女の扱いなぞ何も分かっとらん。ありゃあ今どきの若い娘にはモテん」
「…まあね…」
それはあたしも思っていた。こいつ、絶対モテないなと。
貴族令嬢の男を見る目は厳しい。ゲータイト伯爵家は裕福な名家だというのを差し引いても、あの小僧の嫁になりたいかと言うと恐らくNOだ。
そもそも今の時代は、代々当主が魔術師である家系…つまり魔術師系貴族の優男がモテるらしい。
昔は騎士系貴族の権力が大きかったし、男らしく逞しい方が魅力的だとして騎士の方がモテたのだが、王家が数代続けて魔術師系貴族から王妃を娶ったあたりで風向きが変わった。
魔術師の権力が増し、貴族の間での地位も向上したのだ。
それに腕力が物を言う騎士系貴族は、未だに男尊女卑の気風が残っている家が多い。対して、魔力が物を言う魔術師系貴族は女性の地位を認めてくれやすい。
平和な時代が続いているのもあり、穏和な魔術師系貴族の方が結婚相手として望ましいと考える貴族令嬢が、ここ数十年ですっかり増えたのだそうだ。
今代のゲータイト伯爵はそういう新しい価値観にも理解があるタイプの貴族なのだが、ゲータイト家そのものは由緒正しい騎士系貴族であるために、古臭い家だというイメージがどうしても抜けないらしい。
そしてユージアル本人はいかにも悪ガキで、成績は下から2番めという酷さだ。見た目はまあ悪くないと思うんだが、ハロイスの言う通り阿呆な時点で台無しだ。
つまりユージアルが貴族令嬢からモテる要素は、家が金持ちである以外特に見当たらない。
金目当てで近付いてくる者などろくな人間ではないのはいつの時代でも同じで、そりゃあ伯爵やセピオも頭を抱えるだろうと思う。
思うのだが。
「だからって、あたしに期待されても困るんだよ!」
「それは儂も分かっとるわい。だが、伯爵とあのセピオって若造に頼まれたんだ。小僧がおかしな女に騙される前に、少しは女の扱いに慣れさせてやって欲しいとな」
「…別にその気はなくてもいいから、デートくらい付き合ってやってくれって事かい?」
「そういうこった」
やっぱり伯爵が考えた事だったか。食わせ者のあの男らしい。
ユージアルのやる気も引き出せるし、向こうからすれば良い事ずくめなんだろうが…。
「…気が進まないねえ…」
たかがデート、深く考える必要なんてないんだろうが、ユージアルのあのキラキラした目を思い出すとねえ…。何しろこっちにはその気は一切ないのだし。
それに単純に面倒臭い。若返ったとは言えついこの前まで老人だったあたしは、基本的に出不精なのだ。
渋るあたしの肩に、ハロイスが手を置く。
「安心せい、向こうもお前さんが嫌がるだろう事を見越して、それなりの補償を提示してきておる」
「補償…?一体なんだい?」
ハロイスは実に良い笑顔で答えた。
「デートの日は、特別ボーナスを気前よく支給してくれるそうだ!!」
「金で何でも解決できると思うんじゃないよ!!!クソ貴族が!!!!」
それから、焼き上がったパイを切り分けてちょっとしたつまみも並べ、ワインの栓を開けた。
少しばかり癪だが、ハロイスにはいつも世話になっている。本気でパイを取り上げるほどあたしの心は狭くない。
「…じゃあ、悪い話じゃないってのは要するに金の事かい。あたしゃ別に金には困ってないよ」
あたしはずっと独り身で働いてきた。
趣味と言えば果実酒や薬草酒作り、後はちょっとした研究もしてるが、どれもそれほど金はかからない。
おかげで蓄えは結構な額になっている。遺す相手もいないので、死んだら昔世話になったあちこちに寄付しようと思っている。
「それはただの冗談だ、ボーナス自体は本当の話だがな。家庭教師の件だよ。これを餌に小僧がやる気を出すのは間違いないだろう?」
「だけど、あんまり即物的なのは逆効果になりかねないよ。今は良くても、小僧がエリスに興味をなくしたらおしまいだ」
「そこはお前さんの腕の見せ所だな。あんな小僧の一人や二人、上手く手玉に取ってやりゃあいい。お前さんならできるさ」
「あんたねえ…。あたしの中身はもうババアなんだって言ってるだろ!」
思わず睨みつけたが、ハロイスは真面目な顔であたしを見返した。
「儂も言っただろう、今のお前さんは若い娘だと。…お前さんにはきっと、この先何十年もの人生がある。しかもちゃんと五体満足だし、あの頃とは世の中だって随分変わっとる。好きな生き方を選べるんだ。昔とは違うんだよ、エリー」
「……」
「若返ったのはたまたま偶然だが、守護竜様のお恵みでもあると儂は思う。お前さんは今まで十分に苦労をして生きてきた。こうしてせっかく若返った幸運を、自分のために活かしてもいいはずだ」
ハロイスの言いたい事は何となく分かる。こいつなりに責任を感じ、あたしを案じているのだ。
だってこうなってしまった今、ハロイスはきっとあたしを置いて逝く事になる。こいつはもう爺で、あたしの肉体は17なんだから。
エリスがエリトリットだと知っているのはハロイスだけ。他にこの事を打ち明けられるような友人なぞいない。
ハロイスが死ねば、あたしは一人秘密を抱えたまま、残りの長い人生を生きなければならない。
「…でも、それとデートにどう関係があるってんだい」
「別にあの小僧はどうでもいいんだ、あんな阿呆にお前さんを任せられるものか。だが、こういう機会でもないと、お前さんはろくに出歩きたがらんだろう。若い者はもっと外に出て経験を積めと、お前さんも言っとらんかったか?」
「むぅ…」
痛い所を突かれ、あたしは一瞬黙り込む。
確かに王宮魔術師団では、研究に夢中になって篭りがちな若者たちに、よくそんな小言を言っていた。
「儂は、お前さんがこれからどう生きていくのか、もっとしっかり考えるべきだと思っとる。隠居するだとか言っとるが、まさかあと何十年も引き籠もって過ごす気か?」
「あたしがどう生きるかなんて、あたしの勝手だろうが」
「ああ。だが、わざわざ最初から可能性を狭める必要などあるまい。もう少し、今の自分の人生を楽しむ事を考えてもいいんじゃないのかね」
あたしは無言のままじっとハロイスを睨んだ。
だが、奴は目を逸らそうとはしない。
「…やれやれ。爺ってのは、すぐに若者に説教したがるから嫌なんだよ」
「だったら素直に儂の言う事に耳を傾けるんだな」
ため息と共に言ったあたしに、ハロイスは澄まし顔でパイにかぶりついた。
「…うむ、やっぱりお前さんのミートパイは美味いのう。儂も同じように若返っとったら、お前さんに求婚したんだがなあ…」
「そりゃ光栄だね。ありがとよ」
そう答えてグラスにワインのお代わりを注ぐと、ハロイスは「にひひ」と妙な笑い方をした。




