冬戦【_WAVE_0】こんにちは、世界
・0
この数日、雨の日が続いていた。この夜もまた重たそうな厚い雲に覆われていた。時に季節を感じさせることもある雨音には、現在激しさのようなものはなく、大地に大粒が降っているのではない。
午後八時半過ぎ、女は自宅から窓の外を見て、世界の光に目を向ける。
ご飯は食べた。お風呂はあと。ほかにやることって、あったっけ? 見たい映画もなかったはずだし。明日は。
女は部屋着で静かな時間を過ごしていた。しかし、それもあとすこし。予定がある。
コップの水を飲む。テレビを消す。リビングの明かりを消す。女は部屋を移動する。
現代ではとくべつ珍しくもない部屋、女は時間を意識しながら入ると、左側壁際の棚から黄色のブレスレットを手に取る。見た目はシリコン製のリストバンドに似ている。今でもテレビなどで時々見られる、スポーツ選手が身につけているものに近い。
片隅で、プログラムの金魚が泳いでいる。鮮やかな赤と濃い黒、ひれを揺らしている。
女は状態を確かめて装着していると、女の声が部屋から聞こえてきた。
金魚と同じで、プログラムで動いている。指定した時間だった。
『こんにちは、みふゆ。』
「こんにちは」
『体調はどうですか?』
「元気だよ。どこも問題なし。あるとしたら、体重がちょっと増えたかなってぐらいかな」
これからの女の予定とは仕事だった。午後九時から、ぴったり始まることになっている。身なりを整えて自宅を出て、向かう必要はない。この部屋から行ける。
アルバイトだった。その女には少しだけ悩みどころのあるバイト。身近な人には言えない。ゲームのアルバイト。
しかも『用心棒』って。どう人に言えばいいのだろう。アルバイトで用心棒やってますとはなかなか人に言えたものではない(その女はそうだった)。えっ、何? と言われるに決まっている。
女は部屋の中央へと歩いてブレスレットを触りながら言った。「ねえ。これ。手袋のやつに変えようかなって思ってるんだけど」
『手袋に、ですか? それは、どうしてでしょう?』
「えっと、気分?」女はあるものを握るような素振りを見せる。「それに、これももうそろそろ替え時だと思うから。試しにそういうのもアリかなって」
『わかりました。では、好みに合うものを探しておきます。製造元は。そうですね。』
「ありがと」
女は準備を整えると宙を泳ぐプログラム金魚を一瞥する。
「それでバイト、リストの話だけど、更新はある?」
『このようになっています。』
「この人たちか」女は目の前に広がった一覧表に目を通していく。「なんでゲームでそんなことするんだろ。おもしろいのかな。いや、おもしろいのか」
『いつの時代も、さして変わりません。』
「うん。じゃあ、お仕事開始」
彼女は手を伸ばし起動させると――照明を落とした――『WAVE』という名の世界に入っていく。
「こんにちは。世界」