お掘割
今回は掘割について。
柳川の川下りって言っていますが、実は川を下るのは、ほぼ最初だけです。
ほとんどがお掘割を舟は進みます。
川下り詐欺ですね(笑)・・・今回はそんな掘割のお話です。
もし、興味のある方がいたらジブリ映画の「柳川掘割物語」を観てください。
ほとんどのことが描かれていて、分かり易いです。
ただ、何も知らないでジブリ映画と思って観たら・・・ナニコレってなること間違いないです(笑)。
では、では、専門ではないので、私の知る範囲で、ざっくりと分かり易くを心がけてまいる~。
遙か遥か大昔、柳川あたりのほとんどは海だったそうです。
それから陸が出来き、湿地帯のこの土地は、ほとんどが火山灰の粘土質で、水を汲みあげると地盤沈下を起こす脆弱な土地だそうです。
水が汲みあげられないから、川からひき込むという発想ですね。
弥生時代になると、この地にも稲作農業がはじまります。
湿地帯に土を盛り、ムラや環濠集落を形成していったようです。
それから平安時代の条里制により、水路で土地が区分けされます。
戦国時代、九州の有力大名たちがこの地の覇権を争いました。
豊臣秀吉の九州平定で大活躍した立花宗茂公がこの地をおさめますが、関ケ原の合戦で豊臣方に加担した為、領地は没収、この地には東軍で活躍した田中吉政公が入封します。
この方、城や町づくりの名人で、柳川掘割の基礎を築いた方だと言われています。
これにより、柳川のお堀が整備されました。
後に立花宗茂公がこの地に返り咲くと、川やお堀の整備がさらに進みます。
掘割の主な用途は生活用水、運搬、城の防御、農業用水、食料(魚、鰻)、防火防水(火事、水害)など多岐に渡ります。
ところが現代、昭和に入り、水道の普及など、高度成長期時代になると、川やお掘割の役割が薄れ、人々の水に対する認識も薄れていき、滅茶苦茶に汚れました。
川やお堀にはうず高くゴミが積み上げられ、悪臭漂う川やお堀だったそうです。
それから先人の方々の努力によって、再び美しい景観の川やお堀が戻ってきて、現在に至ります。
一見すると、柳川は水に恵まれた土地のようですが、ところがどっこい水に不自由しているところだったのです。
そこで人々は知恵を絞ります。
どうやったら水が行き届くのか、それが掘割なのです。
全長930㎞といわれる大中小様々な縦横無尽に広がる水路が、柳川の地にくまなく水を行き届かせる役割を担っています。
そんな掘割、今では観光(川下り)それに自然保全、レクレーション(遊び、憩い)などさらなる用途が生まれています。
水との暮らし、今なお柳川にとってかかせない大事なものなのです。
真面目な回でした。