正しく望むように生きなさい
満足げな表情でボロボロの布の服を着たライーザが
微かな灯を放つ松明を持ち
とてつもなく広い洞穴のような場所を下へと降って行っている。
少し微笑みを湛えた口を左右に揺れる横分けの長いくせ毛が隠す。
オギュミノスによって精神体にまで刻み付けられた身体の穴は無く
五体満足なまま、完全に未練の消えた様子で足早にライーザは降りていく。
時折、身体の一部が無い亡者とすれ違うが、
ライーザは何一つ気にせずに、この冥界の黄泉への道中を
軽い足取りで降りていっている。
いきなり彼女は何かを思い出したかのように、ふと立ち止まり
そして自嘲的な笑みを浮かべた。
「……まぁ、いいか。欲張るのはいけないな」
微かに残念そうな響きをもった諦めに似た言葉を放った次の瞬間
ライーザの身体は真っ白な光に包まれていた。
彼女は気づくと日本家屋風の広い茶室の中に
赤を基調にした艶やかな着もの姿で座っていた。
目の前で茶をたてている地味な着物姿の白髪を短く刈った女性がサッと振り返る。
毅然としたその顔は老齢による深い笑い皺が何本も刻まれている。
女性はすぐに年季の入った笑みを綻ばせた。
「ライーザ、よう来たねぇ……」
「シウーズ先生……てっきり輪廻に入ったかと……」
年老いた女性は年季の入った深い笑みを湛えながら
「このカナミ・シウーズが、愛弟子の最期を見んで消えると?」
ライーザは慌てた顔で
「いっ、いや、そんなつもりは……」
シウーズと呼ばれた老女は颯爽とした動きで
狼狽した表情のライーザの前に湯呑に淹れた茶を置くと
「……結局、スガ君とは添い遂げられんかったか」
と深刻な表情で呟いた。
ライーザは口を結んで少し考えた後に
「先生。傷が癒えぬ部分は切り離せ。ではないのですか?」
真剣な表情でシウーズに問う。
老女は表情を緩めながら
「そりゃ、武術の話や。人と人についてやないな」
ライーザは長髪に顔を隠すように俯いて
「……あの人は、私の愛から逃げました」
とポツリと呟いた。
シウーズは深く頷いて、自らも茶を取り音もなく啜ると
「あんたは、二人ともバラバラなるほど抉り殺し合うように
深く、とてつもなく深く愛し合いたい人やからね。
偉くなっていくスガ君はとてもそこまで、自分を賭けられんかったかもねぇ」
「……」
ライーザは俯いたまま黙ってしまい
シウーズはその様子を実に愛おしそうに眺める。
しばらく沈黙が続いた後にシウーズは優しい口調で
「しかしなぁ、ライーザ。
物理体としてのスガ君はとっくに死んだんよ。あんたと同じでな。
そして、故郷への郷愁にひたすら縋りながら
実体も捨て、精神体にすらならずに
意識の底……つまり共鳴粒子の渦の中で、辛うじて個体として存在しとる」
「……」
俯いたままのライーザにシウーズは諭すように
「本当に終わったんか?あんたの愛は。
アグラニウスに失望したスガ君を癒せるのは
あんただけやないんか?」
「……」
黙りこくって俯いたままのライーザをシウーズは
慈愛に満ちた目で見つめながら
「子供のころからあんたはそうやったな。
言葉より拳で、男勝りで。美しいその顔もいつも傷だらけやった」
ライーザは照れたように目を合わさないまま
「……私には戦う以外に自分を……ナホンから流れてきた先生が
子供の私に剣術を……皆は我流だっていってたけど、本当は……」
しばらくまた沈黙が流れて、微笑んだシウーズが
「そんなあんたに、愛を教えてくれたのはスガ君で
あんた自身を丸ごと認めてくれたのは、タジマ君なんやろ?」
「……先生、なんで……」
驚いた顔のライーザにシウーズはニコリと笑って
「髪を横で二つに縛ったねぇちゃんが、色々教えてくれたわ。
ああ、伝言を預かっとるよ。
"私のタジマへの借りを返して欲しいから、さっさと生き返りなさい。
特別餞別までつけてやったんだから、ナーニャちゃんたちの要請に素直に応えること"
とのことや」
ライーザは黙りこくって今の言葉をかみしめた後に
涙が溢れ出した両眼をシウーズに向けて
「先生……まだ、願ってもいいんでしょうか?
本当に、殺し合いに生きた私が愛すら手に入れても……」
シウーズはニコリと笑うと
「いつも、言っていたやろ?
誰かのためじゃなく、あんたが正しく望むように生きなさいと」
「せっ、先生……」
ライーザがシウーズに抱き着こうとすると
その両手は空を切り、茶室ごと光に包まれた。
ところどころ亡者の歩く洞窟内で
粗末な格好に戻ったライーザが呆然としゃがみ込み
その手に握られた松明がその顔を照らし出す横を亡者たちがゆっくりと通り過ぎていく。
その様子を、手持ちの真っ白なスマホの画面に映し出したビキニ姿の鈴中美射がめんどくさそうに
「はぁ、アナグラムだっつうのっ!きーづーけー」
そう、手の中の小さな水晶に向けてシャウトした。
彼女はビーチパラソルの下にシートを敷いて、胡坐をかいて一人座っている。
辺りは常夏のビーチで、大量の水着姿の人間も歩き回っているが
挙動不審な鈴中を誰一人気にしていない
「うー……クラーゴン君より遥かにめんどくさかった……ダウンサイズしつつ
意識の極わずかを師匠キャラにして切り離し
武術の才能ある女の子に入れ込んで
ナホンから失踪させて、ローレシアンまで行って
探し当てた体でライーザちゃんを育て上げ、十何ラグヌスとかで非業の死を遂げて
そんで、今のベストタイミングて冥界でライーザちゃんと再開させると。
はぁ……このほぼ全知全能の私にどんだけ手の込んだことやらせるわけ?
そりゃ、ビーチに来たくもなりますよねー」
独りでブツブツと呟いている鈴中に遠くから
水着姿の爽やかな青年が走ってきて
「あ、美射、待った?」
と声をかける。
「但馬っ!ううん?待ってないよ?」
完璧な笑顔で返して立ち上がった鈴中と
但馬と呼ばれた但馬のようなよく焼けたイケメンは腕を組むと
「そっか、良かった。で、どうする?
まずは準備体操代わりに、水の掛け合いとかどう?
いかにもって感じだけど」
鈴中は水晶を自慢げに彼に見せながら
「あっ、やるやるーいこー。このスマホ防水なんだー。
みてみてー防水ケースもあるのー」
そして、一瞬哀しそうな顔をした。
「どうしたの?」
「いや、何でもないの。今はあなたとの時間を楽しみたいなと」
但馬のような青年は鈴中と肩を組んで
人の多いビーチの中、波打ち際に歩いて行った。
愕然としているライーザの背後からナーニャとクラーゴンが近寄り
そして少し距離を開け、ノア、アシン、ハルとエパータム
さらに最後尾にニヤニヤしたソウタが続いて近づいていく。
チラッと不安げにクラーゴンの顔を見たナーニャに彼が苦笑いしながら
オッケーサインを出す。
ナーニャはビクビクしながら
「らっ、ライーザさんっ……お迎えにきま、いやあがりました」
声をかける。クラーゴンたちほぼ全員が脱力して
「あのねぇ、マイプリンセス。
タカユキ様が居ない今、あなたが、我々の主君なのよ?下手にですぎでしょう?」
軽く苦言を呈したクラーゴンを皮切りに
「ナーニャ!いつでも代わるぞ!」
「ナーニャさん、普通で良いのですよ」
「ナーニャちゃ、ファイト!」
兄弟たちに続いて、エパータムがソウタに
「ライーザさんもナーニャと闘る気かなぁ?」
「いや、それはないんじゃないの?見たら分かんない?」
「なんだつまんないの」
一斉に背後の全員が喋り出して、ナーニャが慌てながら振り返り
「みっ、みなさんっ!げんしゅくな場ですよ!
あっ、あれげんしゅくで合ってたかな?けんしゅく?ひんしゅく?」
首を傾げ出して、ノアが何かをナーニャに言おうとする前に
後ろから立ち上がり、歩み寄ってきたライーザが
「ナーニャ様、ノア様、アシン様、そしてハル様
私目如きに申し訳ありません」
とナーニャのすぐ後ろで跪いた。
クラーゴンが顔を顰めて、その様子を長身から見下ろしながら
「ライーザ様、もう少しいじめても良いのですよ?
この両親に助けられてヌクヌクと好き勝手生きてきたプリンセスに
まだまだ父親ほどの器が無いのは分かるでしょう?」
呆れた顔で問うと、ライーザは顔を上げぬまま
「ナーニャ様、偉大なるタカユキ様に
私はご恩を返さねばなりません。
さあ、手を取って立ち上がらせてください」
ナーニャが顔を顰めながら、クラーゴンとエパータムを交互に見始めると
二人は爆笑したあとに
「マイプリンセス、人を見てください。
彼女が我々のように、姑息にひっかけるようなことをしますか?」
「そうだね。ナーニャ、素直に手を取りなよ」
ナーニャは意を決した顔で跪いたままのライーザの手を取った。
そして手を引いて立ち上がらせようとして、また顔を顰める。
「あの……立たないの?」
ライーザはニヤリと笑って
「私目如きが不遜ですが、能力を使わずに立ち上がらせていただけますか?
なにぶん、身体が言うことを効きませんので、手助けして頂けると助かります」
「えっ……」
ナーニャは絶句したあと、少し考えた後に、
「……あのね、私が本気で引っ張ったらきっとライーザさん
どこかに吹っ飛ぶと思う。だから、素直に……」
ライーザは首を横に振り
「それでも良いのです。どうぞ」
ナーニャは本気の困り顔で仲間たちを振り返るが
心配そうなハル以外全員ニヤニヤしながら顔を逸らした。
「うー……」
ナーニャは跪いたライーザから手を離ししばらく洞窟の高い天井を見上げ
顔を真っ赤にして考えた後に、全身の力を抜いた。
そしてもう一度、しゃがんで跪いたままの彼女の手を握り直すと
「あの、立ってもらえませんか?」
と尋ねる。ライーザは微動だにしないナーニャは少し息を吐くと
仕方なさそうな表情のあとに、真剣な顔で
「……ライーザ。立ちなさい」
静かな声で呼びかけた。
ライーザは何事もなかったかのように立ち上がると
「やはり、ナーニャ様はタカユキ様の御息女ですね」
ニコッと笑った。
ナーニャは心底安心した顔で
「よかったぁ。こないだ魔族国のテレビでさー。
こんなシーンがあったの。リングオブナオタロウズのパーシー・ヒサミツが家来にしてて
それを真似……むぐぐぐ……」
エパータムから口を塞がれたナーニャは後ろに連れて行かれ
代わりに前に出たクラーゴンが
「じゃ、スガ様のとこ行きましょうかね」
とニヤリと笑いながら、ライーザを見つめた。