やらんぞ
「はぁ、失敗か。また」
鈴中が紫色に光る空の下の漆黒の波が打ち寄せる浜辺で一人、
真っ白なビキニを着てビーチチェアに寝そべっている。
その体は端々にノイズが走って、所々揺らいでいてまるで立体映像のようだ。
背後には廃墟となったリゾートビル群が佇んでいる。
「なーんでか、但馬を創れないのよねー」
そう言いながら、彼女はビーチチェアから立ち上がる。
そして揺らめく身体で、浜辺を歩き回りながら
目を細め、空の上を見上げ
「地球歴2017年5月31日10時27分23秒範囲内の時空間の特異点に合わせ
反物質と物質の消滅作用に、暗黒物質2369……エーテルを足して
そうすれば、その時刻から枝葉のように過去や未来に広がる因果が
どこかのパラレルワールドに但馬と0.0000000000000000017しか変わらない
むりやり二体目の但馬と言ってもいい存在を発生させるはずなんだけど……」
大きくため息をはいて、浜辺を見回すと
「どう考えても、邪魔されてるよなぁ……どうせ宇宙外でしょうよ。
残った可能性はそれらしかないもの」
紫色の空を見上げる。
「何の意図か知らないけど、あんた……あんたらのせいで
何個パラレルワールドを吹き飛ばしたか」
そうして少し嫌な顔をすると
「まぁね、"窓"たちの大半も望まないんでしょうけど
そっちは、そろそろ、もういいでしょう?物語的な整合性なんて
汚い因果の入り乱れた現実には順応できないわ。
こうして、前へ進む時空へと同調するたびに、私の痛みは増えていく。
すべての存在の中に揺蕩い、揺らいでいられればいいけれど
どうしても、何度振り切ろうとしても、恋する小さく愚かな少女である根幹は残存し続けている。
矛盾……まぁ、矛盾すると思われていることは大概は違うんだけどね。
接点が極めて小さいだけで、地続きよ」
鈴中は大きく息を吐くと、顔を空へ向けて今度は吸い込んで
両手を大きく広げると、辺りの景色が一変した。
真っ青な空と、ビーチで楽しむ観光客たち、そして彼女の隣には
真面目な顔をしてビーチを眺める「但馬」と呼ばれた美男子が立っていた。
鈴中は大きく息を吐くと
「ちょっと、お花摘みに行ってくる」
とウインクして、にっこり微笑んで頷いた彼の横からすり抜けるように去った。
そして人並みの中を、滑るように歩きながら
「結局、ナーニャちゃんたち頼みか。
まだ、結果が失敗のままね。……並列の時空をいじるのもねぇ、いい加減にねぇ……。
高次元人たちもめんどうなのよねぇ……」
ブツブツとつぶやいて、ビーチハウスの陰に消えた。
数秒立って、入れ替わりにツインテールの背の高い美人が陰から出てきて
ビーチへと向かっていった、
真っ白な世界が広い窓から見える、暖かく広い木造のリビングの中
大きな丸机を中心にずらっとナーニャたちは椅子に座っている。
そのうち一脚にゆったりと長身を落ち着けているオーバーサイズのパーカーとジーンズ姿のマガノが
涼やかな目を細めて、ニヒルな笑みを浮かべながら
「ようこそ、我が家に」
落ち着いた声で言いながら、神妙な面持ちの皆を見回した。
黙ってうなづいた皆にマガノはさらに
「俺は能力的には神と言われる部類だが、知っての通り
共鳴粒子を使い、時間や空間を圧縮はできるが、遡らせることはできない」
クラーゴンが一人、頷いて
「マガノ様、歴戦の勇士である我々の前に前置きはいいわ。
私たちは、タカユキ様を復活させるためのカギである可能性の高い
スガ様の復活のため、ここまで来たのです。ライーザ様もお連れしました。
できれば今すぐ、スガ様の居る場所へといざなって頂けませんか?」
マガノは微笑みを絶やさずに頷いて
「ああ、そうだな。だが、それを叶える前に
俺の個人的な望みを先に聞いてくれないか?」
クラーゴンは仕方なさそうに頷いた。
マガノは余裕のある笑みで
「これから、このスタジオ内で最高の曲を沢山作ってくれ」
クラーゴンが顔を手で覆い、エパータムが口をあんぐりと開けながら
「あの……?マガノ、あんた何考えてんの?」
他の全員は神妙な顔のままのライーザ以外、目を丸くしてマガノを見つめている。
マガノはニヒルに笑うと
「今週のチャートがつまらない。ちょっと俺が目を離すと
猿真似と金の力と手癖で作った曲で溢れる。魔族は無暗に知能が高いからな。
快楽を構造化して、それをすぐに産業化してしまう。
あとは愚にもつかないものが再生産され続けるだけだ」
そう言い放って、さらに唖然としているほぼ全員に
「俺の好きな音楽というのはそういうものではない。
なので、インディーズレーベルを変名でいくつも運営し、
恵まれぬ才能あるものたちに出資もして
定期的にチャートをひっかきまわしている。寝ていた時すらも片手間にな」
マガノはさらに
「だが、今、それらの才能のあるアーティストやバンドたちが軒並み休眠期だ。
つまりチャートをかき回す弾が足りない。
悪いが、セイさんも連れてきて、ここでアルバム一枚くらい作ってくれ。
そうだな、シングルカットするときのカップリングも入れて
二十曲くらいあればいいかな」
エパータムが立ち上がって、何か言おうとして止め、憮然とした顔で座り込んだ。
ナーニャは腕を組んで、しばらく何かを考えこむと
「……セイさん連れてきます」
と言った瞬間に、スッとその場から消えた。
「えっ、えっと、セイさんにはチャンスなのでは?」
アシンが何とか声を出した。ノアも気づいたように
「そ、そうか、確か昔レコードリリースして、めちゃくちゃ批判されたって聞いてたな。
リベンジをさせるおつもりなのですね?」
ノアの視線にマガノはゆったりと頷くと
「ひとつでも但馬が気にしていたことを片付けてやりたい。
それが周りまわって、あいつが戻ってくる道にもなるかと思ってな。
……因果律を読んでも未来にはまだ、欠片も姿はないがな」
「パパは因果を曲げるから……」
ボソッとハルがつぶやくと、残った兄弟たちは頷いた。
十分ほど後。
「セイさああああああああん!」
段々状になっている巨大な講堂のようなホール最下部横の扉を横滑りさせて
ナーニャがその内部に名前を叫びながら入ると
最下部の講壇の背後に立ち、赤い縁の眼鏡をかけたスーツ姿のセイが
迷惑そうな顔でそちらを見た。
数百人は軽くいるであろう受講者らしき老若男女たちも一斉にナーニャへと視線を注ぐ。
最前列にはノートをとるのに必死で、ナーニャに気づいていないナンスナーも座っている。
「あっ……えっ……静かだったし……あの、他の人の気配読んでなくて
その……あの、すいません……」
次第に顔中を真っ赤にしながら、背後の開いたままの扉へと後退していくナーニャに
セイは軽くため息を吐いて、受講者らしき人たちに向け顔を上げると
「あー、ちょっと待っとけ。政府関係者だ。すぐ終わる」
と言い放つと、しどろもどろになりながら
ジリジリと後退していくナーニゃに詰め寄り、サッと手を取り
まったく無駄のない動きで、廊下へと連れ出し、そして扉を閉めた。
「タカユキ、見つかったか?」
眼鏡をかけたまま、いつにもなく知的な表情で尋ねてくるセイに
ナーニャはボソボソと何かをつぶやいた。
「聞こえん。はっきり喋ってくれ」
ナーニャはセイの肩を抱き込むと、顔を近くに寄せて
「あ、あの……ここたぶん、大学だよね……」
セイは顔を軽くしかめて
「バーグバル地方の公立中央大学だな。それがどうかしたか?」
「せ、セイさんって……ズルして魔族の大学出たって聞いたけど……なんで先生を……」
セイは一瞬唖然とした後に、爆笑し始めて
「ああ……これでも百ラグヌス(年)以上生きてきて、ここゲシウムでも長いこと苦労したからな。
ずいぶん無理はしてるんだが。それなりに見えるかー。ふっ、セイ様はやはり天才だからな」
自らの顎を触りながらセイは満足げに頷いた後に
「で、タカユキは見つかったのか?」
顔を真っ赤にしたナーニャがボソボソと、
菅の封印された場所へと行くため、マガノから要求されてヒット曲を作らないといけないので
ゲシウムまでワープしてきて、セイの気配を辿って探しに来たと言うと
セイは驚いた顔をしたあとに、苦虫を噛み潰したように表情を歪め
「……やらん」
と一言だけ呟き、ホールに戻るなりピシャッと扉を閉めてしまった。
ナーニャは扉を開いて追おうとして、その前で再び始まった講義での
セイの堂々とした口調に怖気づいてしまった。
そして扉の前でしばらくクルクルと行ったり来たりして
困り顔で逡巡したあとにその場からスッと消えた。
リビングへと戻ったナーニャに、一人先ほどと同じ位置で椅子に座ったままのマガノが
「……ダメだったか」
と声をかける。ナーニャは黙ってうなづいてマガノの隣にゆっくりと座ると
「……昔、作ったレコードが批判されたから?
でも確か、拠点で新しい楽器を使ってみたり、またやる気ありそうだったのに……」
小さな声で尋ねた。マガノは涼やかな目をナーニャに向けると
「表現者は批判されるものだ。
大小様々な批判や非難に晒される、そこでやめるか続けるかは
やっている表現がどれだけ好きかどうかだな」
「……セイさんは、音楽は好きじゃなかったの?」
マガノは黙って首をゆっくりと横に振る。
「……じゃあ、なんで……」
マガノは涼やかな目で
「ある地球の国では、ミュージシャンが三枚のアルバムを作って売ってようやく、
こいつら音楽を人生の途中で放り出さないんだな、本気なんだなと認められるそうだよ」
それだけ言って微笑んだ。
ナーニャは首をかしげながら
「……?どういうことなの?セイさんはアルバム作ってないから?
んー?」
しばらく考え込んで、涙目で
「あの……わかりません……」
と自らを涼やかな両目で見つめているマガノに尋ねた。彼は微笑みながら
「批判に晒されながら三枚もアルバムを作ると
その業界の良いことも悪いことも一通り経験する。そして音楽の深みを知る。
恐れを抱いても、その表現世界の沼に身も心も深く沈んで、もう戻れなくなる。
そして、そこからが本番なんだ。全力で自分を出し続けるしかない。
セイ・モルシュタインはそうなることすら察知し恐れた。
そして自分の膨大な才能を信用できなかった。
だから、逃げた。未だに真の意味でトラウマにも向き合えていない。
だが未だに音楽を愛している」
「……わかるの?」
マガノは深く頷いて
「ああ、俺も音楽好きだからな。
その生き物の奏でる音を聞けばその愛がフェイクか、本物かはわかる。
それらは燃え尽きることはない」
ナーニャは口に手を当てて、しばらく真剣に考えこんだ後に
「……マガノ先生の言っていること、よくわかんないけど
けど……なんとなく、言いたいことはわかった」
マガノがゆっくりと頷くのと同時にナーニャはその目の前から消えた。
先ほどの廊下へとワープしてきたナーニャは
ホールから廊下へとなだれ出る人並みに驚いて、固まる。
そして人々が居なくなったあとに、何とか開いた扉からホールの中へと入っていくと
最前列の長机の上に座り、ニヤニヤしたセイが体を軽くよじりながら
先ほどと同じ位置で、必死にノートを見返して何かを書き加えているナンスナーを
見つめている光景が飛び込んでいた。
ナーニャはためらわずセイに駆け寄って
「セイさん!怖がらなくていいよ!私ともう一回、音楽やろう!」
と声をかけた。セイはあからさまに嫌な顔をしてから
「おいー雑魚ロリの単細胞生物並みの奮闘を眺める時間を邪魔するなー」
とナーニャの方を見ない。
ナーニャはまったくゆるぎない表情で
「セイさん!」
とまっすぐに声をかけた。セイはもはや聞いていないふりをしながら
ナンスナーの方へと
「おいー全方位星戴冠縮尺法の定義が違うぞー?
拒絶粒子の濃度が重要だと、さっき講義したばかりだろー?
次世代の支配者がそれじゃ困るんだがー」
ナンスナーはいらだった顔を真っ赤にして
「うるさい!大学に通いだしたの今日からだぞ!わかるわけないだろ!?
私をいじって遊ぶのもいい加減にしろ!」
セイに抗議するために小柄な体を立ち上がらせ
そして初めてナーニャに気づいた顔で
「あれ……どうしたんだ?このバカ女にわからせにきたのか?」
ナーニャは真面目な顔で首を横に振り
「……違うの。セイさんが曲を作らないと私たちが困るの」
さらに真剣な表情でナンスナーを見た。
ナンスナーはすぐに理解した顔でニヤニヤしながら
「あーバカ女は、たったシングル一枚で音楽から逃げたもんな。
ナホンのマニアたちからは惜しまれてたけどなー才能あるってー」
セイは舌打ちをして、ナンスナーから顔をそらしたところで
今度はナーニャと目が合い
「……やらんぞ」
と一言だけ呟くとその場から消え失せた。
「あ……セイさん、気配も消しちゃった」
ナーニャがガクリと肩を落とすが、ナンスナーは余裕な顔で
「どうせ、ゲシウム内だ。場所はミラクに訊けばわかる。
たしか、あいつはここから南東の島にいるはずだ。
一緒に連れてってくれ。私もミラクに会いたい」
ナーニャは黙って頷いた。




