Her Majesty's Armed Forces1 女王陛下の軍1
一直線に伸びる殺風景な廊下。
窓のない冷たいクリーム色の通路を、アンブローズはつかつかと進んでいた。
デニムのズボンのポケットに柄悪く両手を突っこんだ姿を、通る軍人たちが不審げに目で追う。
軍部の本庁舎。
女王の統治時代がたびたびあった国であることから、軍部は通称「女王陛下の軍」と呼ばれていた。
特別警察の実働部隊がすべてアンドロイドの隊員になった半世紀近く前、軍部もそうしてはという案が議会で持ち上がったが、当時の軍部は反発した。
少なくとも将校は、生まれつきの資質を持ち、幼少期から英才教育を受けた生身の者がやるべき仕事だ。
そう押しきり、資質を持つとAIが弾き出した人物たちにDNAの提供を依頼した。
体質上の欠陥は遺伝子操作で避け、幼少期から軍内で教育する。
そうして生まれ育てられた者は、法的には「軍の所有物」で、良くも悪くも軍から手離されることはない。
成長して将校として不適合とされたとしても、それぞれ雑務に就かされるか、予備隊員として自宅待機になる。
ある意味で王候貴族の子息が代々の政治、軍事を支配していた時代への回帰だともいわれた。
軍服をきちんと着た軍人ばかりが歩く廊下を、下町の若者風の姿で歩く姿は浮いている。
直属の上官に当たるブランシェット准将の執務室の前に来ると、アンブローズは、ガンッと音を立てて扉を蹴った。
「おら、出て来い、ブランシェット!」
何度もガンガンと扉を蹴る。
ややしてから、背の高い女性秘書が顔を出した。
「ダドリー大尉」
秘書は、濃い赤色の唇に手を当てた。
「ブランシェットを出せ!」
「ご用件は」
勝手につかつかと入室するアンブローズを、秘書があわてて追う。
「勝手に除隊なんかさせやがって! 法律知らねえのか、通るか、ばーか!」
「お待ちください!」
奥の執務室の扉の前で、秘書は手首を強くつかんできた。
そのまま捻り上げようとする。
とっさにアンブローズは、秘書の指先側に手首を振り外した。
秘書が中腰になり両手を胸元で構える。
タイトスカートから伸びた脚を肩幅に開いた。
「やるか」
アンブローズも中腰になり構える。
奥の扉が開いた。
「やめなさい」
長身の男性が姿を現した。
三十代半ばほど。映画俳優といっても通りそうな美形の顔立ち。
整えたプラチナブロンドの髪に、一部の隙もなくきちんと着こんだ常装の軍服。
秘書室の床に踏み出した革靴は、わずかな汚れもなく綺麗に磨かれている。
アンブローズの直属の上官、ノエル・ブランシェット准将だ。
「いい。入室を許可する」
「ですが准将」
「言いたいことがあるのだろう」
ブランシェットは、目で入室するよう促した。
アンブローズはポケットに手を入れ、足底を引きずるような行儀の悪い歩き方で入室する。
執務室内に敷かれた質の良い絨毯が、靴音を消した。
突き当たりに大きな窓があり、その前に執務机。
机の横にある背の高い観葉植物は、二酸化炭素を多めに吸収するよう品種改良された種だ。
ブランシェットは、静かに扉を閉めた。
顔を上げ、こちらを見る。
アンブローズは一転して背筋を真っ直ぐに伸ばし、折目正しい仕草で敬礼した。
「失礼いたしました」
「ここでなければいけなかったのか」
ブランシェットは落ち着いた口調で問うた。
「盗聴もクラッキングの心配もなく不自然ではない所というと、ここが一番かと」
「クラッキングされるようなことは始めから避けていたのでは?」
ブランシェットが言う。
簡単に侵入される可能性のある、一般の通信システムはもちろん避けていた。
前世代、前々世代の古い通信網を使うこともあったが、むしろ一番確実なのはアナログであろうと思わされる場面も多かった。
ブランシェットとの連絡は、他人のふりをして酒場などで行うことも少なくない。
顔を会わせず互い違いに座り、メモなどを遣り取りして、すぐに燃やす。
時代ものの映画でしか見たことのないような連絡方法をあえて使っていた。
「ここであんなセリフをわめかれたら、お前の除隊を取り消す際に、やりにくくなるんだが」
ブランシェットは眉をよせた。
「やはり元通りの復帰を前提に手続きしていましたか」
アンブローズは言った。
「何かあったか」
「昨夜、特別警察のアンドロイドが接触して来ました」
ブランシェットは薄青の目を軽く見開いた。
「私の除隊について、疑問を持ったようです」
座れ、というようにブランシェットは入口近くの応接セットに促した。
「いえ、このままで」
「そうか」
そう言いブランシェットは執務机に座った。
「異例の除隊に至った理由が、どこを探しても見つからないと言ってきた。早急に関連の資料を作成してください」
「そうは言うが」
ブランシェットは、机の上で手を組んだ。
「有りもしない出来事を作るというのは」
そう言い溜め息を吐いた。
生真面目なのはいいが、こういうときに融通の利かないのはこの人の困ったところだとアンブローズは思った。
物腰が柔らかく付き合いやすい人なのだが、果たしてそれが上官としての長所なのかどうか。
「何でも結構です。上官の命令にたびたび逆らったとでも、施設内で窃盗を働いたとでも」
ああ、と宙を眺めてアンブローズは続けた。
「八歳女児とねんごろになったとかどうです」
「どこから具体的な年齢まで……」
ブランシェットは顔を歪めた。
「軍で生まれた者が除隊させられたというだけで特例中の特例なんです。よほどの理由でなければ納得させられるはずがない」
アンブローズは言った。