第九話 宰相子息 ジラリ・ジェラール・オークレア
影の薄い宰相の息子
「あなたが、王子の婚約者でよかったです」
学園に入学する少し前のことだ。
バセット王子の側近候補であった彼と、王子の婚約者であったリオナの顔合わせの際、そう言ったのは、現宰相の息子である黒髪の少年、ジラリ・ジェラール・オークレアだった。
文官らしい、線が細い顔立ちで微笑む彼の表情からは嘘は感じ取れない。
「そうでしょうか?」
リオナはそう言って小首をかしげる。先に顔を合わせた王子の乳兄弟だという騎士団長の息子である赤い髪のサフウェン・ルシアン・フォッソはリオナに対して敵愾心を隠しもしていなかった。
そのわかりやすすぎる態度に、父親である騎士団長がこのままでは騎士としても側近としても大成しないと頭を抱えていたほどだ。実際、騎士と言ってもただ剣の腕があればいいというだけではない。末端ならばそれでいいかもしれないが、部隊長クラスともなれば軍略や戦術もさることながら政治的な駆け引きも必要だ。彼が騎士団長を受け継ぎたいと思うのならばなおさらだろう。
残念ながら彼は素直すぎるのだ。彼のまっすぐな性根と気質は好感が持てる。謀反や二心の心配もないだろう。だがそれだけでは王子の側近としては不十分と言わざるを得ない。リオナから見ても、物事を表面上でしか判断せず、耳あたりのいい言葉でだまされそうだな。という印象が強かった。
剣の腕はあるようだが、王子の護衛を任せられるような逸材ではない。せいぜいが家名による抑止力だ。それが父親であり、それ以上に騎士団長であるフォッソ侯爵の本音のようだ。リオナとしてもおおよそ同じ印象を受けた。
そしてそんな彼を補うのが、今目の前にいる宰相の息子であるジラリ・ジェラール・オークレアなのだろう。
「えぇ、剣の腕は勿論ですが、マリアネラ様の薫陶を受けたあなたが王子の婚約者となってくれたことはとても喜ばしいことだと思います」
「……姉を、ご存じなのですか?」
驚くリオナにジラリは唇の先を吊り上げるようにして微笑む。
「直接の面識はありません。ですが、ここ数年の公爵家の発展に彼女の影響は少なくないでしょう。ハルフテル公爵家の発展は、王国にとっても重要ですから」
宰相家としても無視できないのだろう。そういうジラリにリオナは微笑むことで肯定を返した。口に出さなかったのは、この国では女性に爵位の継承権がないこともあり、女性が政治にかかわることは歓迎されない。
それこそ、ハルフテル家は姉妹そろって変わり者かと陰口を叩かれていることをリオナは知っているし、なんならリオナに対して「女が政治に口を出すな」と言ってくる者までいる。――姉本人に言えない時点で陰口のようなものだ。
そう言う意味では、姉妹に好きなことをさせている父である公爵は相当の変わり者なのだろう。娘たちの価値を理解し、利用することに前例や慣習にこだわらず、躊躇いや容赦がないともいえる。
娘が剣を持ち、王子の護衛を兼ねると言い出した時もそうだ。先王の時代に騎士などをはじめとした武に関する部分を「野蛮なもの」として顧みなかったことや、王国の財政が悪化したせいで本当に実力がある者は騎士団を去ってしまい、西方のダンジョンに向かってしまった。その結果、騎士団の質が下がっており、王族の護衛が不安であったという事情があった。
実力があっても忠誠心がない者や、忠誠心はあっても実力がいまいちな護衛の数を揃えるよりも、実力があり、忠誠心も遜色ないリオナ一人を配した方が安全であり安上がりだったのだ。
もちろんそれだけが理由でリオナに自由を与えたわけではなく、父親としての贖罪もあったのだろうが、王子妃にふさわしくないというよりも、公爵令嬢としてふさわしくないなどと言って止めることもなく、むしろ誘導していた節のある父は、娘の才能を前に間違いなく算盤をはじいた。
そして、そんな父と同じ瞳をジラリ・ジェラール・オークレアはしていた。国のために、王子のために、あらゆるものを利用してみせるという決意を秘めた瞳だ。そしてその中には、ジラリ本人も含まれている。
だからこそ、リオナは微笑む。ジラリ・ジェラール・オークレアとリオナ・ヴァロウ・ハルフテルは同志だ。共にこの国のために共に身を粉にする決意を込めた同志。
そんなリオナの微笑みに、ジラリが彼としては珍しく動揺し、顔を真っ赤にさせたのだが、彼女はその理由がわからず首をかしげるしかなかった。
「……どうしました?」
「い、いえ。その、その微笑みを殿下に見せれば」
ジラリがそう言った瞬間、彼女の微笑みは抜け落ち、見慣れた無表情に変わった。彼は自分の失言を悟り、内心で舌打ちする。
「あの人は、私の顔などに興味はありませんよ。それこそ、笑っていようとも、泣いていようともね」
そう言ってほほ笑むリオナの表情は、貴族令嬢としての鉄壁の微笑みだった。そのことが、ジラリには残念で仕方がなかったが、失言は取り返しがつかず、彼がリオナの微笑みを見たのは、それが最初で最後だった。
リオナが王子とその周囲の者たちのことをぼんやりと考えながら王宮の廊下を歩ている中、ふと窓の外に視線を向ける。下には騎士たちの宿舎へと続く道がある。ほんの半月ほど前まではほとんど毎日通っていた道だ。
王太子妃となることが決まっているリオナにとっては本来縁がない場所ではあったが、生まれる前から生き方が決まっていた娘を憐れに思ったらしい父が、「正式に王太子と結婚するまでは娘の好きにさせる」という約束を国王とかわしてくれたおかげで、リオナは彼女の望み通りに生きることができた。
もちろん「自由に生きていい」ということと「王太子妃として必要な教養を身につける必要がない」ということはイコールではない。リオナは自由に生きるために、それこそ並の令嬢とは比べ物にならないほどの密度と濃度で王妃教育をこなしてきた。
出来損ないの王太子妃を教育してやろうと待ち構えていた教師陣が拍子抜けした顔をリオナの前で晒すのをみて、今までの激務を顧みて少しだけ留飲を下げる。
それでも、それだけの苦労をしたとしても、きっとこの先、息が詰まるような王太子妃として、王妃としての生活の中で、あの時のことはずっと色鮮やかにリオナの胸の中にしまわれていくことだろう。
ふと、宿舎から数人が現れた。鎧から見て第二騎士団の面々だろうか。貴族の子弟がほとんどを占める第一騎士団と違い、第二騎士団は平民や傭兵崩れなど出身は様々で、お綺麗な剣技とは程遠い分、リオナにはこれ以上ない訓練相手であった。
彼らもはじめは女のくせにとバカにしていたが、彼らの思想はシンプルだ。強い奴が生き残り、強い奴が偉い。一番強い奴が、一番偉い。
ゆえに、実力で彼らをたたき伏せたリオナを侮る者はあっという間にいなくなった。だからこそ、リオナには彼らの元が居心地がよかったのだ。
そんな集団の中で、ひときわ背が高い男が見える。がっしりとした体格の浅黒い肌を包む鎧は確か特注品だったはずだ。
男が視線を上げる。赤い瞳がリオナを捕らえた気がした。ほんの数秒、確かに二人の視線は絡んだ。だがすぐにリオナは誰かに呼ばれて視線を逸らす。返事をし、再び視線を窓の下へと戻したが、すでにそこには誰もいなかった。
「今行きますわ」
窓から離れる。もう二度と、決して交わるはずがない道だった。