第七話 思い込みと勘違い
見たいものしか見ない人は性別にかかわらずそこそこいますが、サフウェンは典型的な例。
サフウェンも自分で思い返してみても「ありえない」ことだとは思ったのだが、この時の彼にはそのことに気が付いていなかった。考えてみれば、学園で彼女に偶然すれ違うことはほとんどなかった。あって、週に一度だ。おそらくそれが、エリッカの言う「茶会」の日なのだろう。
貴族科は校舎の建物こそ男女共用だが、授業そのものは男女で別れており、教室が一緒になることもほとんどない。加えて彼が常に傍にいるバセット王子と婚約者の関係がお世辞にもうまくいっているとも言い難かったのもある。
何の用もなくバセット王子から彼女を訪れることはなく、それを察している婚約者も学園でバセット王子に絡んでくることはなかった。だから、学園で彼女の姿を見ないことに疑問を感じていなかったのである。
サフウェンはその事実に愕然とした。いくら王子との仲が芳しくないとはいえ、次期王太子であり、次期王妃に対してあまりにも自分は無関心すぎるのではないか。妹と婚約者の咎める視線にサフウェンは言い訳のように言う。
「彼女は、殿下の婚約者だぞ」
それに確かに入学式では貴族科にいたはずだ。と、サフウェンは言う。
入学式は四つの科の合同で行われるが、座る席は科ごとに分かれており、リオナ嬢は確かに貴族科の、さらに言うならばバセット王子の隣に座って学園長の祝辞を聞いていたはずだ。
「えぇ、ですが、ソリジャ国の姫君が貴族科ではなく魔術科に通うことを希望しましたので、リオナ様もそちらに。あの、それもご存じない、とか?」
「ソリジャの姫君が来ていることは知っている。だが、それを持て成しているのがリオナ嬢だとは知らなかった」
サフウェンは正直に話した。ますます二人の視線が冷たくなったが、甘んじて受け入れるしかないだろう。
この国最大の友好国の王女が遊学していることはさすがにサフウェンも知っていた。だが、誰がホストを務めているのかまでは、はっきり言って興味がなかったのだ。この国では王女に王位継承権がないというのもある。
無意識のうちに、ソリジャの姫君を自分に関係ないものとしていたのだ。
だが、ソリジャ国は男女どちらでにも継承権がある国で、彼女は現在の第一王位継承者になる。そんな相手をそこいらの人間に任せるほどこの国の上層部の頭はめでたくはない。
ただでさえ国内が完全に落ち着いていないのだから、友好国ともめたくはない。その結果が、次期王太子妃であり、学園で一番実家の爵位が高いリオナだったのだ。
そしてサフウェンは普段貴族科にいないリオナに代わり、王子の側近の婚約者であるエリッカが第一王子派の貴族の取りまとめをしていることも知らなかった。 ますます妹の視線が冷たくなり、兄の心を傷つける。
サフウェンは婚約者に後で心から詫びるとともに感謝の気持ちを示すことを心に刻む。エリッカ本人は「まぁそうだと思っておりました」とほほ笑んでいたが、それが本心からのものではないことぐらい、サフウェンにもわかった。いや、サラの視線が、表情が、「額面通りに受け取るなよクソ兄貴、嫌味に決まってんだろう馬鹿」とはっきりと示してくれていたので理解するしかなかったとも言う。
サフウェンは父親である騎士団長からも「もっと物事の裏側を考えろ、言葉に隠された意味を理解しろ」と、事あるごとに言われてきている。母には「ルシアンは素直だから」とフォローされていたが、おそらくは「言葉の裏も理解できない愚か者」と言われていたのだろう。
いまさらそのことに気が付き、自分が何も見えていなかったことを知り、サフウェンは地面にめり込む勢いでへこんだ。羞恥に顔が赤くなり、大声で叫んでしまいそうな衝動がサフウェンを襲う。だが、今は先に片付けるべきことがあると、全力で自分の身体を押さえつけて尋ねた。
今まで自分は何も見えていなかったというのならばだ。おそらくリオナも自分達が知っているのとは別の面があるのだろう。
「彼女の姉や殿下を守るというのは……」
彼女が幼いころから才女と名高い姉を守ると公言していたことは有名な話だ。さらに「王子も守ります」と宣言したことも、王子本人から昔話に聞いていた。王子本人は、婚約者に守られるほど弱いつもりはないと苦笑いを浮かべていた、幼いころの思い出の話だ。
実際、王子には側近の自分もいるし、護衛も常に周りを固めている。貴族令嬢でしかない彼女が剣をもって守るようなことはまず起きないだろう。それをわかっているだろうに、頑なに剣を握る彼女に対して、サフウェンは騎士としての自分がないがしろにされているようで、正直気分はよくなかった。父親が彼女の剣を褒めているのを聞いて子供心に嫉妬したのもあるのだろう。
王子にしても、幼いころの微笑ましいエピソードと言うよりは、そんな幼い少女に守るべき相手とてみなされたことが男としてのプライドが傷つけられたに違いない。それを後日婚約者は「殿方同士は仲がよろしいですね」と言う。
さすがに今回は額面通りに受け取らなかったサフウェンが妹に通訳を頼んだ結果、「男は男に甘いですよね。女に守られたくないっていうなら自分で強くなってほしいものですわ。自分が強くなる努力もしないで女に弱くなれなんて、どういうつもりでしょうか」と直球ストレートに言われた。もちろんへこんだ。
リオナのことを苦々しく思っているというのに、それでも王子が剣の腕を磨いたという話はない。サフウェンも王子である彼が剣を持って戦う必要はないと思っていたのであえてそのことを指摘しなかった――いや、気が付いてもいなかったのである。
そのことを妹に指摘され、彼女の剣が父親に褒められるほどであることに嫉妬し、女のくせにと見下していた自分の醜い心を知り、サフウェンは今度こそ大声を出して走り出したのだが、それはこの時点では未来の話だ。
サラは言う。すでに彼女はなぜ兄が知らないのかと不審な表情を隠しもしていなかった。
「あの人はおっしゃっていました。マリアネラ様や殿下の一番近くに存在できるのは、女である自分だと」
妹であり、妻である彼女が、誰よりも護衛対象の近くに存在できる。それは確かにそうだ。襲撃者だとて、対象者の傍に女がいたところで警戒などしないだろう。
実際にそれが起こるかどうかではない。それが彼女の覚悟だ。なぜただの令嬢であるはずの彼女が、そこまでの覚悟を持つことができたのか、サフウェンにはわからない。
どれほど彼女の姉が才女と名高かろうが、しょせんは女であると思っている彼には一生気が付かないだろう。どれほどハルフテル公爵家が富もうが、そこに誰の存在があるかを彼が見ることはできない。
だがそれでも、同じ騎士としての覚悟を持つからこそ、サフウェンは自身の目に入っていた分厚い鱗が落ちたのを理解した。
「ま、さか」
「護衛の盾より、襲撃者の剣より近くにいる自分の剣が届けば、そうでなくとも身体が盾になれればいいだけだ。あの方はそうおっしゃっておりました」
妹のサラが変わったきっかけは、間違いなくリオナだろう。だがそのことを咎めることはサフウェンはない。資格もないだろう。
騎士の家系であり、将来騎士になるための訓練を受けているくせに、何も見えておらず、王子の護衛として不適格であると烙印を押されているのだろう自分には、彼女を諫める資格などあるはずがない。
「ならば私は、そんなあの方の傍に控え、彼女よりも先に動きましょう。あの人の言うとおり、女ならば誰よりも近くにいても問題はないでしょう」
――私は騎士科に通いますわ、お兄様。
そう言う妹を説得する言葉は、サフウェンにはなかった。
サラは王子の婚約者になりたい。と、駄々をこねたら母親にリオナに引き合わされました。