第五話 王位継承争い
一見平和な国だけど、実際は…?
「先代国王の浪費ぶりは、わらわの国まで届いていたのじゃ」
「そんなになのかい」
カルメラ姫は憂鬱そうな顔で首を振り、ベニータははっきりと呆れたような顔をした。
貧すれば鈍する。と言うわけではないだろうが、当時の国王に引きずられるようにして散財していた貴族たちの多くが、目の前にぶら下げられたような餌に思わず食いついたようだ。
実際には餌どころか何もなく、奈落に落ちて行っただけのようだが。
「国王は食道楽、王妃は芸術狂い……まぁ正確に言うと美形の芸術家が好きだったそうだけど、そのおかげでメディニ王国の食文化や芸術文化は花開いた……と、五十年ぐらいしたらそう評価されるかもしれませんわね。とのことだ」
「マリアネラ様か」
相変わらずみたいじゃなと、カルメラ姫が笑う。ともかく、そんな両陛下におもねるためか、高位貴族の間で絵画を買いあさり、音楽家や俳優を支援する家が増えたのである。
王都にいくつもの劇場が建ち、印刷技術は向上し、楽器も増えた。王国各地から新鮮な素材を届けるために道は整備された。悪いことばかりではないだろう。
ただそのせいで、財政を大きく傾かせた家が出てきたのがいただけない。
「あともう五年、先王が生きていればまた違ったんだろうがな。先王の急な崩御でそれまで王が顧みなかった部署からの不満が一気に噴出。それに加えて先走った王位継承を争う両陣営の根回しなどで金がばらまかれ、出した金を取り戻す前に芽が枯れた。というところらしい」
なお、先の両陛下の死因は食中毒である。すでに猛毒があることで知られている魚の肝を食べたことによるもので、毒殺も疑われたが結局のところただの食い意地が張った結果だろうという話だ。正確に言えば、真相を明らかにしても、誰も得をしない。そう言うことのようだ。
しかし、そうして両陣営がお互いに睨みを利かせ、どちらが先に仕掛けるかと腹の探り合いをしている中、当の王弟本人はあっさりと継承権を破棄し、ついで出奔。その後、ドゥエニャスに婿入りしてしまったというわけだ。
ゆえに、貴族たちの言う王位継承権争いなどまともに勃発していない。たださすがにそれをすべて詳らかにしてしまうとあまりにも体裁が悪いため、あくまでも現国王と元王弟の間で継承権争いが起き、その結果、負けた王弟が辺境に婿入りした。と言うことになっている。
実際のところは、ベニータから見て元王弟殿下、現辺境伯は毎日楽しそうにダンジョンで魔獣を狩っているらしい。間違いなく王政にかかわる気など一切なかっただろう。
「魔獣って、そんなにいっぱいいるの?」
「まぁね」
恐る恐る尋ねるニアに、ベニータは頷く。他国にもダンジョンはあるが、ドゥエニャス辺境伯領にあるダンジョンは、魔獣の強さや深さなどで比べ物にならないと言われている。
「まぁそのおかげで、皮や肉、牙や骨、魔石なんかで潤ってはいるんだけどね」
「うん、王国も助かってるよ」
ドゥエニャスから素材を安く卸してもらうことによって他国との交易で得られる利益は王国の財政を支える重要な柱だ。ダンジョンは恐ろしいが、その分利益も大きい。
「うーん、それだけはうらやましいぞえ。でもダンジョンは怖いのじゃ」
身体を震わせながら言うカルメラの言葉にベニータやリオナが笑う。ベニータやリオナとは異なり、生粋の姫君である彼女は争いごととは無縁なのでよけいにそうなのだろう。
なお、ニアは幼いころから森を駆け回っていたリオナに連れまわされていたため、無駄に肝が据わっている。幼いころから、怪我をするリオナの手当てをするのがニアの役目だったのだ。
そんなニアは幼馴染みであるリオナの頭に手を伸ばすと、髪を一房手に取った。
「何、ニア」
「うぅん、伸びたなぁ。と思ってね」
「あぁ、もう半年だもん」
ニアの指の間をさらさらと流れ、零れ落ちていく金糸。それに目を細めてリオナは肩をすくめる。
「やれやれ、もう卒業。それに結婚か、早いのう」
「だねぇ」
三人とも、リオナが髪を伸ばし始めた理由を知っているので感慨深くも言う。
「しかし、リオナは本当に第一王子の婚約者だったんだねぇ」
「え、なんで今更?」
しみじみとしたベニータの言葉に、リオナが驚いたように目を見開いた。別段、ことさら吹聴していたわけではないが、リオナと第一王子が婚約者だというのはこの学園に通っている者なら誰でも知っている話だ。
そうでなくてもリオナは週に一度、貴族科の校舎へと出向いて貴族令嬢や大商人の子息女を招いての茶会を開き、情報収集や人間関係の調整を入学当時から続けている。それらも王太子妃であり、学園で一番の高位貴族の令嬢である彼女の務めのようなものだ。
「それについては申し訳ないのじゃ」
リオナの言葉にカルメラ姫が言葉だけでなく肩を落として小さくなって息を吐いた。この国の学園に入学する際、貴族科ではなく魔術科を希望したのは彼女である。
そのため、ホスト役を務めるリオナも魔術科に編入することとなり、結果、貴族たちの情報を集めるために週一の茶会を開くことになったのだ。カルメラ姫も何度か貴族科に編入することを考えなかったわけではないのだ。だが、そのたびに言い出せなかった。
「おぬしのありがたみを理解していない愚か者と顔を合わせるとつい殴ってしまいそうでのう」
「やめてくれ、国際問題だ」
カルメラ姫の冗談と言うにはやや真剣な、それでいて物騒な言葉にリオナは首を振る。
そんなカルメラ姫の呟きに、ベニータは「やっちまえばいいのに」と肩をすくめ、ニアは微笑んだ。貴族令嬢らしい無表情に近い微笑みであったが、その真意はしっかりとカルメラ姫に賛同していた。どうやら二人とも、王子の態度には思うところがあるようだ。
リオナの友人である彼女達からしてみると、バセット王子の態度は到底許せるものではなかった。
友人たちの態度にリオナは苦笑いを浮かべて首を振る。この国の王族や貴族は女子に爵位継承権はないが、カルメラ姫のソリジャ国は継承権に男女の違いはない。
ゆえにソリジャ王の第一子である彼女は第一王位継承者であり、そんな彼女がこの国の第一位継承者を殴ったとなればただでは済まないだろう。
「あの方が私に関心がないのは昔からだから」
「いや、関心がないっつーわけじゃないだろうけど」
リオナの言葉にベニータは言葉を濁す。リオナを見つめるバセット王子の眼差しは、無関心の者が向けるものではないだろう。だがそれこそ、王子に対しての関心が薄いリオナは肩をすくめる。
別に、リオナだって初めから王子に対して関心が薄かったわけではない。姉に対する尊敬や敬愛とは別に、自身が嫁ぐことになる王子に対してもそれなりに好意を持っていた。物心ついた時には剣を握っていたリオナだって、幼いころは金髪の王子様に憧れていた時期だってある。
リオナは手の平でカップを包みながら少しだけ物思いに沈む。カルメラやニアとは違う、節の目立つ指に、何度も肉刺がつぶれた固い手のひらは剣を持つ者のそれだ。王子をはじめ、王宮の者たちは眉を顰める、おそらくはこの先公式の場で手袋を外すことはできないだろう武骨な手だが、リオナは自分の手が嫌いではない。
国王となる彼を支え、国のために生きることは、この国に生まれた貴族に連なるものとして、疑問も不満もない。自分には姉のような賢さはなく、あるとすれば祖父譲りだというの剣の腕だけだ。
だがそれは、バセット王子にとっては望んでいなかったのだろう。
リオナとて、婚約者である王子に疎まれているのを良しとしてきたわけではないのだ。子供心に傷ついても来ている。リオナの両親も政略結婚ではあるが、娘たちの目から見ても彼らはお互いに尊重しあっている。確かに燃えるような恋や情熱はなかったかもしれないが、温か親愛と家族としての愛情が確かにそこにあるのだ。
すでに結婚している姉夫婦にしてもそうだった。こちらも両親以上に政略結婚であったが、姉とその夫となった青年が一緒にいる時の雰囲気は穏やかで、柔らかい。
そんな家族を見て育ったのだ。リオナだって幼いころからの婚約者とそのような間柄になるのだと、幼心に夢見ていた。彼に好かれようと努力したことだってある。
だが王子がリオナを見つめる瞳はいつのころからか暗く澱み、疎んでさえいた。
彼がどのような令嬢を婚約者に望んでいたのかはわからない。自分と正反対のタイプだとすれば、華奢で、可憐で、笑顔が可愛らしい、守らなくてはいけないようなか弱い令嬢だろうか。だがリオナは思う。それでは今のこの国は守れない。
そして、王子に好かれることよりも、国を守ることを選んだリオナは自らの時間の多くをそのことに費やしたのだ。そのためには父が国王とかわした約束は都合がよかった。
それとは比例して、王子がリオナを見つめる瞳はさらに冷たくなっていたが、リオナはもう王子の眼差しに傷つくことはない。それに今はわかる。彼が自分に向ける視線は自由にふるまっているように見える自分への羨望でしかない。
「あの方は、可哀そうな方だから」
リオナはそう言って微笑む。貴族令嬢らしい感情のひとかけらも見せない、硬質な、美しい笑みだった。
リオナは自分の伸びた髪を掴み、目を伏せる。
「それに、私の自由ももうお終いさ」
「リオナ……」
ニアの気づかわし気な声に、リオナは無言で首を振ると、髪から手をはなすと、ぱちりとウィンクをした。それだけで、先ほどまでの美しい人形めいた顔に生気が宿る。いつも通りの友人の姿に、三人はそっと安どのため息をついた。
「せめて一度はあの男に土をつけたかったが、それだけが残念だ」
さすがに王太子妃ともなれば、気軽に剣は握れない。というリオナに、三人は顔を見合わせると、なんとも言えない表情を浮かべる。
太陽の光を浴びて、キラキラと輝くリオナ。令嬢らしからぬと言われればそれまでだが、先ほどのような人形のようなリオナよりも、よほど美しいと思っている。
そして、そんな彼女を好ましく思うからこそ、余計にあの男に嫁ぐことが三人は口惜しくて仕方がない。あの男はきっと、彼女らしさを殺す。
捕らえて、封じて、殺して、そうしてようやく彼女を手に入れたと安堵するのだろう。
「ほんと、ちっさい男」
「まったくじゃ」
小さく吐き捨てたベニータの呟きに、カルメラ姫だけがそっと同意するようにうなずいた。
書けば書くほど王子が肝の小さい男になる。なんでだろうね???
あ、顔はいいよ。顔は。うん。優男だけどね。