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三十二話 亡命、そして滅亡

「陛下! 王妃や殿下とエリッカ達が乗った馬車が野盗に襲われた!!」


 そう言って王の私室に飛び込んできたのは、近衛騎士隊長であったサフウェン・ルシアン・フォッソである。

 彼にとっては妹と妻、そして甥と姪を襲った凶刃に、血相を変えていた。確かにここ数年、王国内の治安はさらに悪化していた。平民街どころか、貴族たちも領地に引きこもっているせいか、貴族街も人気が無く、静まり返っている。

 物乞いを見かけない日はなく、人々の表情からは余裕が消えていた。野盗や傭兵崩れの被害報告が各地で上がり、人員不足のせいか魔獣の被害も増加する一方だ。そんな中でも、王と王妃は、宰相や大臣と協力しながら、なんとか国のかじ取りを続けてきていた。

 その中でも王妃サラの存在は大きい。各地に慰問を行い、王宮内では大臣や役人たちの調整、王の執務の手伝い、そして子育てと、彼女は精力的に働いていた。バセット王の治世において、彼女の存在は求心力を失いつつあった王室になくてはならない存在だったのだ。

 サフウェンの妻となったエリッカもそんなサラ王妃の補佐として活躍していた。間違いなく、メディニ王国で最も高貴で多忙だった二人の女性の身に起きた悲劇。しかも現在唯一の跡取りであった王子、そして王女も一緒にいたという。

 一報を受けた王宮は阿鼻叫喚の状態だ。

 そんな中で、誰よりも嘆き悲しまなくてはいけないはずのバセット王は、私室で一人静かにワインを嗜んでいた。


「陛下!」


 サフウェンが呼びかけると、バセットはワイングラスをテーブルの上に置くと立ち上がった。その表情があまりにも穏やかだったため、サフウェンはバセットがついに気が狂ってしまったのかと、訳も分からない焦燥感に駆られた。


「六人の遺体は?」

「まだ死んだとは決まってない!」

「あぁ、そうだったね。うん。無事だといいんだけど」


 バセットはそう言って目を伏せると、六人の救援に全力を尽くすようにサフウェンに言うと、彼に退室するように命じた。

 サフウェンは自分でもよくわからない気分を味わいながらも、王の言葉にうなずくと一礼して部屋を退出する。とにかく、妻と妹の安否を一刻も早く確かめなくてはいけないだろう。

 駆けだすサフウェンとは裏腹に、部屋に残ったバセットはどこか楽しそうにグラスにワインを注ぎ入れると、窓の外へと視線を向けたのだった。





 数日後、無残に破壊された王室の馬車と、その近くに獣に食い荒らされたと見られる凄惨な現場が発見された。周囲にはサラ王妃が身に着けていたと思われるドレスと思われる布切れが、血で染まって発見される。

 これにより、六人の生存は絶望的とされ、王の命により捜索は中断されたのだった。


「サラ、エリッカ……」

「少し、休んだらどうですか」


 王の近衛騎士ではあるが、自ら王妃捜索の指揮を執っていたサフウェンが、捜索打ち切りの命令を受けて王宮に戻ってきた。

 憔悴しきった彼を迎え入れたのは、宰相あり、友人であるジラリ・ジェラール・オークレアだ。労わる様な彼の言葉と眼差しに、サフウェンは首を振った。


「陛下は……」

「私室においでですよ」


 どこに。と尋ねるサフウェンにジラリは言葉少なく答える。その表情には苦笑いが浮かんでいた。一つ頷いたサフウェンが帰還の報告をするために向かおうとする背中に、ジラリが一つ、声をかけた。


「サフウェン、ミレイユ・マリア・ルモワンのことを覚えていますか?」


 ジラリの問いに、サフウェンは振り返った。いったいどう言う意味だ。と言うようにその表情は怪訝な表情を浮かべている。

 ミレイユ・マリア・ルモワンは、王宮の犠牲となった女性だ。もちろん、婚約破棄までの彼女の行いは決して褒められたものではなかった。だがそれでも彼女は、死ななければいけなかったのだろうか。

 たしかにリオナ・ヴァロウ・ハルフテルは破天荒で型破りで、貴族令嬢らしくない少女だった。だがその反面、誰よりも献身的で完璧な貴族令嬢だった。若かったサフウェンには城の中で孤立していたように見えていたが、彼女の場合は孤立と言うよりは孤高だったのだろう。

 それを知っていたから、誰もが彼女の存在を認めなかった。誰もが、リオナ・ヴァロウ・ハルフテルを求め、ミレイユ・マリア・ルモワンが彼女と同じでないことを無意識に責めた。それは、夫であったバセットですら同じだった。


 ――私はリオナじゃないわ!!


 ――私は、ミレイユよ! ミレイユ・マリア・ルモワンよ!!


 ――この国の王太子妃は、王妃になるのは私でしょ!


 憔悴し、病的な顔をして叫んだ彼女の表情が脳裏をよぎる。

 そんな中で心を病んだ彼女を、実の父親ですら持て余したのだ。そして、大人たちが決めたのは、彼女の排除だった。

 当時はまだ成人したばかりだった自分たちには、大人たちの決定に口をはさむことはできず、ただ諾々とバセットがミレイユ・マリア・ルモワンへの毒杯を授ける書類にサインを入れるのを見ているしかなかった。

 そして、彼女の、いやリオナ・ヴァロウ・ハルフテルの身代わりとしてサフウェンの妹、サラが王室に入ったのだ。そのことを、サフウェンは決して忘れたことはない。

 だが、なぜ今、この時にジラリが話題に出すかはわからなかった。


「なにをいいたい?」

「いえ……ただ、陛下はすでに知っているんですよ」


 ジラリはそう言うと、眼鏡の蔓を押し上げながら唇を吊り上げる。


「邪魔者は、消してしまえばいいと」

「サラとエリッカが邪魔だったというのか?!」


 ジラリの言葉にサフウェンはかっとなったように叫ぶ。そんな彼の怒声に、ジラリは肩を竦めただけだ。


「何が邪魔かは陛下にしかわからないことですよ」

「サラは、エリッカは、王国のために尽くしてきた!」

「もちろん存じております。彼女達の献身なくては、この国はもっと早くに崩壊していたでしょう」


 そう言うジラリの表情には嘘はない。彼女たちの献身への確かな敬愛の念が見て取れる。だからこそ、サフウェンには彼が何を言いたいのかがわからなかった。

 そんなサフウェンに、「ですが」と、ジラリは困ったように目を細める。


「何をもって邪魔とするかは、それぞれなんですよ」

「何を……」

「さて。陛下がお待ちですよ、サフウェン」


 ジラリはそう言うと、一礼してサフウェンとは反対側に向かって歩き出した。その背中に何と言って声をかけていいかわからず、結局サフウェンは何も言わずに踵を返した。


「陛下、サフウェンです」

「あぁ、入れ」


 国王の私室の前の兵士に声をかけ、それからノックをすると中から(いら)えが返ってきた。それにこたえてサフウェンは中へと入る。

 バセットはラフな格好でワイングラスを手にしていた。少し前と同じような姿に、サフウェンは少しだけ顔をしかめる。自身の妻と子の生死がわからない状態で、なぜ。と言う気持ちがサフウェンの中を満たす。


「国葬が終わったらハルフテル公に改めて婚約の申し出をしなければいけないね」

「は……?」


 穏やかな表情でバセットは言う。何を言っているのかわからず、サフウェンは問うような声が出た。

 現在のハルフテル公国には王女が三人いる。長女が今年二十歳程度だったはずだ。と、サフウェンは思い出す。バセットがまだ三十前なので、年回りはおかしいものではない。

 だが、今までそんな話題が出たこともなければ、あちらから申し込まれた事実もないのだ。そもそもアチラ側にメリットがない。


「陛下、さすがに、公女は……」

「公女? 何を言っているんだ。私の婚約者と言えばリオナ以外にいないだろう」


 ごく当たり前と言った様子で告げるバセットに、サフウェンはぐらりとめまいを起こしたように感じた。足元がおぼつかなく、自分がどこに立っているかわからなかったのだ。

 いったいいつから。いつからだろう。バセットが狂ったのはいつからなのか。


 ――ミレイユ・マリア・ルモワンのことを覚えていますか?


 先ほどのジラリの言葉が脳裏を駆け巡る。こみ上げる吐き気に口元を抑えながらサフウェンは震える身体を何とか抑え込むようにバセットを見つめる。

 彼は、心底不思議そうにサフウェンを見ていた。


「陛下、いや、バセット様……サラと、エリッカを始末するように指示を出しましたか?」


 サフウェンの言葉にバセットは驚いたように目を見開いた。


「いいや。()()出していないよ」


 あぁと、サフウェンは頭を殴られたような衝撃を受けながら目を閉じた。そんな彼の前でバセットはワイングラスを弄びながら楽し気に話す。


「リオナにはずいぶん待たせてしまった。彼女はへそを曲げていないだろうか?」

「……は?」


 あまりにも穏やかな表情で、当たり前のような口調で言うバセット王に、サフウェンは間抜けな声が出た。なぜここで、彼女の名前が出てくるのか、サフウェンにはわからなかった。

 先ほどを上回るほどの衝撃に、サフウェンはまったく頭が回らない。その間にもバセット王はリオナとの結婚式をどのようなものにするのか、彼女とどのようにこれから過ごそうかと言う話をしている。


「陛下、あなたにとって、妹は……サラはどのような存在だったのですか?」


 サフウェンの言葉にバセットは首をかしげる。なぜそのようなことを聞かれているのか彼はわかっていないようだった。穏やかな表情を浮かべ、バセット王は告げる。


「サフウェン、なぜそんなことを聞く? お前の妹は私には関係ないものだろう」

「―――!!!」


 それからの記憶は、サフウェンにはない。気が付いた時には自分の剣がバセット王の胸を貫いていた。


「サ……、フ、ウェ……な、ゼ」


 信じられないと、目を見開くバセット王の顔を見ても、サフウェンの感情が動くことはなかった。ただひたすら凪ぐような静かな気持ちでサフウェンは剣を払うようにしてバセットの身体から剣を引き抜く。

 衝撃でバセットの身体が床を滑る。それをやはりどうでもいいように見送ると、サフウェンは目を閉じる。脳裏によぎるのは、妹と、妻と、そして金の髪の少女。


「すまない、すまない、サラ、エリッカ!」


 サフウェンはそう叫ぶと、そのまま自身の腹へと剣を突き刺す。ずぶりと、自身の肉を貫く熱さと痛みに奥歯を砕かんばかりに噛みしめ、そのまま剣を横へと薙ぎ払う。治療魔術でも王宮の秘薬でも決して助からぬほどの深手を自ら負い、サフウェンの意識は闇へと消えた。


 護衛の兵士が室内の異変を感じて中に入った時には、すでにバセット王もサフウェンもこと切れていたと言う。


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