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第三十一話 王妃サラ・ティーリ・メディニ

おそらく彼女は悲劇の王妃として歴史に名が残る

「ごめんなさいお義姉さま、巻き込んでしまったわ」

「いいえ王妃様、いえ、サラ様。覚悟しておりました」


 ガタガタと激しく揺れる馬車の中。両脇に座り、自分にしがみついて怯える子どもたちを抱きしめながら、王妃、サラ・ティーリ・メディニは目の前に座る兄の妻であるエリッカ・ペグ・フォッソに短く謝罪を口にした。

 気丈な笑みを浮かべて首を振る彼女の腕にも十代前半の少女が抱えられており、反対側に座る少年はじっと窓の外を警戒したように見ている。六人がいるのは馬車の中だった。だが、王妃である彼女が乗るには貧相なものである。


「でもっ!」


 サラがさらに何かを言おうとすると、車輪が木の根にでも乗り上げたのか、馬車が大きく跳ねた。思わず舌を噛みそうになり、サラは慌てて口を閉じる。もう何も言わなくていい。と、首を振るエリッカに、サラはなぜこんなことになったのだろうかと、悔やまずにはいられない。


 侯爵家令嬢であった彼女が王妃になったのは、流行病で亡くなったとされる王太子妃、ミレイユ・マリア・ルモワンの替わりであった。自分以外の高位貴族には王太子と同じ年周りの未婚の令嬢がいなかったためだ。

 目端の利く貴族たちは、王子による婚約破棄の茶番のあと、自分の娘たちを早々に嫁がせた。こうなることが分かっていたのかもしれない。

 メディニをはじめ、この大陸の周辺国ではよほどのことがない限り、離婚は認められない。唯一の例外があるとするならば、様々な理由などにより夫婦が初夜を超えていない場合、つまり女性側の純潔が保たれている場合、いわゆる白い結婚の場合である。

 ただこちらも証明手段がいろいろと複雑で、実際にこの白い結婚を理由に離婚が成立したケースは少ない。

 それ以外は、それこそどちらかの不貞が理由であったとしてもめったに離婚が成立することはないのだ。――離婚はしないものの制裁がないわけではないのだが、それはまた別の話だ。

 ゆえに婚約期間は男女ともに貞淑さが求められるものの、一度結婚してしまえば、貴族の高位になればなるほどドロドロしているものである。幸いにして、サラの実家であるフォッソ侯爵家は高潔さを求められる騎士の家系と言うこともあってそこまでひどい話は聞かないが、分家の末端にもなればいろいろとやらかしている場合もあるらしい。

 父や祖父、叔父たちが酔っ払って冗談交じりで話す内容には、女としては笑えない事実が混ざっているのだが、長らく男しか生まれてこなかった実家の面々にそれを言っても無駄だろうと彼女は半場諦めていた。

 たいしてエリッカの方はごく普通にドロドロしていた。父も母も愛人があわせて半ダースほどいたし、名前も知らない兄弟が何人いるかもわからないほどだ。

 家のために結婚し、恋や癒やしは愛人たちと楽しむもの。それがこの国の貴族にとっては一般的な考えだった。だからきっと、同じような教育を受けていたあの人ならば、婚約者が別の女を愛人として連れてきたとしても、文句も言わずにそれを受け入れていただろう。


 ――彼女の父親であるルモワン公爵は反対したでしょうけど。


 彼にとって娘は外貨獲得のための道具だった。そのための見目の良さを整え、そのために愛嬌を教え、そのために男に媚びる方法を身につけさせた。

 国のためという大義名分を掲げ、自身の娘を男の理想に育て上げた結果、引っかかった一番の大物が自国の王子と言うのが本当に笑えない。

 彼女は彼女で、自身が思い描いていたものとはかけ離れた王宮の生活に心を病んでしまった。自業自得だと、彼女を嗤うことは簡単だろう。実際に身の程を知らず、他者を蹴落としたバカな女の末路だと、彼女を嗤うものは多い。

 だがそれでもサラは思う。彼女はそんな生き方しか知らなかったのだ。あの人と出会う前の自分が、父や祖父、兄たちに甘やかされ、母や祖母の苦言から逃げ回り、無邪気なまでに傲慢に育ち、一度は王子様の婚約者になりたいと望んだ自分だからこそそう思える。

 自分はあの人に会えた。あの人に会って、彼女の生き方に触れることができた。何より自分のことを案じてくれていた母や祖母がいたからこそ、ギリギリで踏みとどまれたのだ。

 幼い頃から他国で育った彼女には、彼女の生き方をおかしいと指摘してくれるものがいなかったのだろう。

 それしか生き方を知らぬ彼女が、国に戻された結果、自分が知っているように生きた結果が、あの茶番だ。彼女を被害者などとは言わない。そういうには影響が大きすぎる。

 それでも、サラは彼女を憎みきれなかった。





「サラ、お前が次の王太子妃に決まった」


 そう言った日の父は、久しぶりに会うということ以上にずっと老けて見えた。


「王太子妃って、ミレイユ様は?」


 もともと婚約者であったリオナとの婚約破棄宣言の後、バセット王子は同じ公爵家令嬢であるミレイユとの婚約を宣言した。

 他国の王や多くの貴族が集まる中で行われた宣言。加えて三度にわたるリオナの確認により、婚約破棄と婚約は正式に受理された。ハルフテル公爵家が受理させたともいう。

 茶番が行われた卒業式の一月後、ほぼ予定通りにバセット王子とミレイユの結婚式とバセット王子の立太子は行われ、ミレイユは王太子妃になっていた。だがそれ以降、公式な場で彼女の姿は見られない。

 長く国外にいた彼女はまだ王妃教育が終わっていないからというのが理由だった。


「そんなこと言ったって、もう五年ですよね? リオナ様は剣の訓練をし、学園に通い、貴族たちの調整をしながら公爵家による王妃教育をこなしていたんですよね? それに比べれば王妃教育だけなのに、五年もたっても終わってないってどういうことです?」

「そのリオナ様のスケジュールを参考に王妃教育を受けさせたところ、半月で倒れられてしまった。それ以降はあらゆる理由をつけて逃げておられた」

「だから、なんで、あの方を参考にするんですか!」


 余計なことをする時間がない分、圧縮した王妃教育を短期間で詰め込もうという計画だったらしい。だが、剣の訓練というご褒美があったリオナですら、相当の負担となっていたものを、ごく一般的な貴族令嬢にこなせと言うのには無理がある。

 しかもやらかした彼女に向ける教育係の視線は厳しく、ご褒美もないとなれば、他にもある様々な理由によりミレイユは部屋に引きこもってしまい。今でも王妃教育は終わっていないという。


「それはもう、一度ご実家に帰してあげたほうがよろしいのでは?」


 むしろ部屋に引きこもっていることを理由に白い結婚をでっちあげて離婚してあげるのが優しさというものではないだろうか。


「あ、もしやそれで私が?」

「いや」


 サラの言葉に父親は首を振る。それから彼が口にしたのは、一見するとひどく場違いなものだった。


「ルモワン公爵の次女が今年七歳になる」

「それは、おめでとうございます?」


 今となっては唯一の公爵家となったルモワン公爵には娘が一人しかいなかったのだが、長女の結婚がきっかけになったのか、ルモワン公爵には現在数人の子がいる。

 それこそ全員が夫人の子ではないだろうが、それでも新しい命の誕生は喜ばしいことだろう。ただ、それが女児の場合、ミレイユと同じように道具となるのかと思えば少々思うところがないわけではないが、他家のことに口出しはできない。

 しかしなぜここでそんな話が? という顔をした彼女に、父親の眉間のしわがさらに深くなった。


「次女殿に、今度ビックス殿下が臣下として公爵家に婿入りする」

「新しい公爵家を立てないんですのね」

「領地もなければ資産もないからな」


 独立したハルフテル公爵家に変わる公爵家を立てないのか。というサラの言葉に父は首を振って否定を返す。

 だが、と、サラは思った。王太子妃も弟王子妃もルモワン公爵の娘というのは、国内のパワーバランス的に大丈夫なのだろうかと。そんな彼女の疑問は、次の父親の言葉が解決してくれた。


「そして、ミレイユ嬢は病で亡くなってもらう」

「……え?」


 父親の、あまりにもあっさりとした口調で語られる内容に、サラは一瞬だけ意味が分からないかのようにポカンと、父親の顔を見つめた。

 だが徐々に内容を理解するに従い、彼女の表情は青ざめていく。そんな娘の顔を見ながら、フォッソ侯爵は目を伏せる。


「もともとめったに公式の場に現れていなかったからな。病死と言うのが一番いいだろうということになった」

「お父様。なにも」


 娘の言葉を遮るように、フォッソ侯爵は首を振り、話を続けた。おそらく彼女が思いつくだろうことは、王宮内で散々議論されたのだろう。


「昨年。ハルフテル公国との関税維持が撤廃された。影響はすぐに出るだろう。もはやこの国には、部屋の中で怠惰を貪るだけの生き物を飼う余裕などないのだ」

「せめて、修道院などに。表向き病死と言うことにしても」

「今はどこの修道院も厳しい。そんなところに茶番を引き起こした娘が歓迎されると? まともに働くこともできぬ者が行って歓迎されると?」

「それ、は」


 ルモワン公爵が支援すれば。と思ったが、弟王子が婿入りするということは、あちらとの話はもう済んでいるのだろう。


「それに、下手に生きていることがハルフテル公国側にばれ、余計に関係がこじれるのは避けたい」

「ハルフテル家の皆様は、ミレイユ様が生きていても気にされる方々ではないでしょう?」

「聞き分けろ、サラ。どちらにしろ王宮を出され、実家からの支援もない彼女は長くは生きられない。

 王宮の中で毒杯を賜り人としての尊厳を守られて死ぬか、裏路地で冷たくなるか。彼女に残された道はそれしかない」

「そんな」


 容赦のない父の言葉に、サラは口元を抑えて首を振る。そんな彼女の肩に手を置き、父は厳しい口調で、だが瞳には悲しみと娘を案じる光を宿して告げた。


「それが王家に嫁ぐということだ。そしてサラ。すまん。お前を長く手元にとどめておきたいという私の我が儘のせいで婚約者がいないお前には王家からの打診を断る手がない」


 男ばかりのフォッソ侯爵家に生まれた珍しい女児として、一族中に愛されてきたサラ。彼女自身がそのことを一番理解していた。そしておそらく、これが自分ができる一番の親孝行なのだろう。

 彼女はこぶしを握り締めると、全身の力を込めて笑みを浮かべる。


 ――笑いなさい、サラ・ティーリ・フォッソ。


 己に言い聞かせる。自分が憧れた彼女のように、毅然と、背筋を伸ばし、淑女の笑みを浮かべるのだ。


「おかげさまで剣に生きることができました。ですが、ここ迄なんですね」

「すまん」


 微笑む娘に、父が頭を下げる。彼女が父親に頭を下げられたのは、この時が初めてだった。

 そして、その半月後。弟王子が王都を出発してしばらくして、王太子妃の病死が静かに発表された。もともと立太子も結婚式も一般に公開されることがなく、公式の場に姿を見せることもなかった王太子妃である。

 その死とともにその存在は静かに抹消され、彼女の名は王籍からも削除されることとなった。彼女の遺体は父親であるルモワン公爵が引き取り、公爵家の墓に埋葬された。これにより、ミレイユ・マリア・メディニという名前の王太子妃は存在ごとなかったことにされたのである。


 それは隣国であるハルフテル公国との国力の差は目に見えるものになっており、かの公国独立のきっかけとなった婚約破棄に関わったもう一人の存在を「なかったこと」にしたかったというのもある。

 そうして、彼女のかわりにサラが王太子妃として王太子バセットに嫁いだのだ。

 サラがリオナに憧れて剣を嗜んでいたこともあるのかもしれないが、バセットとの関係はそう悪いことでもなく、すぐに王子が、続いて姫を設けることができた。

 跡取りの心配もなくなり、これで安心だと安堵する父たちには話せないでいたことがあった。


 ――リオナッ!


 バセット王はいまだに、閨の中ではサラをかつての婚約者の名前で呼ぶ。おそらくはミレイユが心を病んだ原因もそれだろう。

 決して一度として腕に抱いたこともない女の名前をいまだ未練がましく呼ぶ夫の気持ちはいまだにわからない。

 まして、とうに切れたはずの縁にすがり、あるはずもない可能性に賭け、自分が未婚にさえなれば、元婚約者と結婚できるのだと思い込んだ男の思考回路など、彼女は知りたくもない。

 そのために、妻を、息子を、娘を殺すことに躊躇いのない男のことなど、知りたくもなかった。


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