第三十話 近衛騎士筆頭 サフウェン・ルシアン・フォッソ
「あんまりひやひやさせるようなこと言うなよ」
バセット王の側近であり、近衛騎士でもあるサフウェン・ルシアン・フォッソは、隣を歩く友人でもあるジラリにそう言ってため息をついた。父親が引退後、騎士団長は副団長を務めていた男が引き受け、数年前にフォッソ侯爵家は次男が継いだ。
サフウェンの今の地位は騎士侯と言うことになる。これは王妃となった彼の妹の後見となる侯爵家の当主が、王の側近となるとバランスが悪いだろう。という父親たちの判断によるものだった。
結果としてサフウェンは王の身辺警護に集中できることになったのである。平和なこの国で王の身が直接脅かされることなどないと思っていたが、ここ数年はそうも言っておらず、王国は常に不穏な空気が漂っていた。
ハルフテル公爵家という王家にとって最大のスポンサーを失った王国の財政は常に厳しい。
先日の会議で話題になったように国内では野盗の類が増えているし、城下町でも王城や貴族街から遠くなれば夜中に女子供どころか、男でも出歩くことを控える状態だという。
衛兵や自警団を見回りに回したいところだが、人手が足りていないのが現状だった。これは二重の意味があり、雇うだけの金がないことと、そもそも優秀ななり手がいないということもある。
「私は事実しか言っていませんよ。王太子時代の外交の失敗が、今になっても響いている」
「そりゃ、まぁそうだけどよ」
「それだけじゃないです。あの方がこの国を去ってからの影響は、騎士団の方が大きいのでは?」
「言うなよ」
目を細めるジラリに、サフウェンはそう言って肩を落とす。
八年前、当時王子であったバセットが、婚約者であったリオナとの婚約を破棄し、彼女がドゥエニャスに嫁ぐと決まったあと、第二騎士団をはじめとした面々がごっそりと退職し、ドゥエニャスに移動してしまったのである。
金狼姫と、短い間ではあるが部隊長を務めていた辺境伯子息を信奉していた彼らは、金狼姫と婚約破棄した王家に愛想をつかした。さらに自分たちを圧倒した辺境伯子息のところへ嫁ぐと聞いて、自分も一緒に行くとばかりに我先にと退職を申し出たのだ。
中には第一騎士団の者もいたと言うが、多くは平民出身の第二騎士団員だったこともあり、すぐに補充できるだろうと当初は問題にならなかったのである。
実際、翌年以降も志願兵はたくさん現れた。
だが、ここ数年は「これは」というの実力を持ったものがいたものだが、その年は全くそういうものは現れなかった。不作の年もあるだろうと、特に不審には思われなかった。だが翌年以降、第二騎士団にはまともな人材が来ることはなかったのである。
もちろん平民出身であろうとも鍛えれば強くなるだろう。だが、指導役であったものも退職しており、かといって第一騎士団では平民相手に剣を取るのを嫌がるものばかりで、まともな訓練ができるような状況ではなかったのだ。
さらには、財政の悪化は騎士たちの装備や武器にも影響ができる。
聞けば、金狼姫が世話になっているからと、公爵家からは毎年それなりの金額が騎士団に寄付されていたらしい。それもなくなり、指導者もなく、まともに機能するわけがない。
その結果、第二騎士団は解散し、所属していたものは下部組織であった自警団に合流することになる。その時の判断のつけが、今来ていた。
そもそも、第二騎士団にそれなりの実力者が毎年来ていたのは、リオナがいたからである。
英傑レオンの孫娘であった彼女が、金狼姫として剣を取っていることを聞きつけた傭兵が英傑レオンの孫娘の下で働けるのならばと、第二騎士団に残っていたにすぎないのだ。なお、その前に一通りリオナに叩きのめされているのだが、それはまた別の話だ。
そしてそう言った者達に煽られ、弱冠の女には負けていられないという男のプライドのため、第二騎士団は高い実力を保っていられたのである。
「ダンジョンでの訓練もなくなっちまったしな」
「そりゃそうです。ドゥエニャスは他国だ。他国のダンジョンで軍事演習はあり得ない話です。しかもそれを喜んでましたよね。第一騎士団」
「実際、ダンジョンじゃお荷物だっつー話だし、第二騎士団が倒した魔獣のおこぼれを持ち帰ってただけって話だからなぁ」
サフウェン自身がダンジョン演習をする前に終わってしまったため知らなかったが、年に数回行われていたダンジョン演習は第一騎士団の騎士たちに評判が悪かったようだ。
「そういう問題じゃないですよ。ダンジョン演習はダンジョンの素材を持ち帰るのが目的じゃないんですよ。いつ起こるかもわからないスタンピードの対応のために、魔獣との戦闘に慣れるためなんですよ」
「わかってる、よ。いやでも、今はそれこそダンジョンは他国にあるわけだし」
「魔獣に国境が意味を成すと? ドゥエニャス側が故意に我が国へと向かう群れを見逃した場合は? 故意でなくとも討ち漏らしたら? ダンジョン深淵の魔獣は、一匹でも小さな町なら一晩で滅びますよ」
「それは……」
楽観的過ぎる。と、ジラリに言われ、サフウェンは口ごもった。考えてもみなかった。という様子に、ジラリは首を振る。
前ドゥエニャス侯爵時代はまだいい。自分を疑い続けていた甥に思うところはあるだろうが、彼も最低限は王族としての教育を受けていた男だ。故郷に直接害があるような手段はとらないだろう。
だが今のドゥエニャス侯爵は違う。それどころかバセット王を自分の妻によからぬちょっかいを出すダニ程度に思っているのだ。
「ダニって」
「自分の妻に婚約者であっただけの男が、未練がましく会いたいと言っているんです。それくらい当然では?」
「すまん」
否定すれば間違いなく自分の妻に告げ口をされるだろう。そうなった後の対処が恐ろしいと、サフウェンは素直に謝った。
いいわけだとはわかっているが、男にとっては初めて恋をした相手と言うのは特別なものになりやすい。バセット王にとってもリオナと言う存在はそう言った女性なのだろう。
もちろんそれで国政に影響があっては困るが、サフウェンはバセット王のリオナへの執着をそのように解釈していた。
「ともかく、早急に騎士たちの訓練をどうにかしないと」
「やっぱり、リオナ様がいないから……」
「サフウェン」
やる気が起きないのかもな。と、冗談めかしたように言うサフウェンに、ジラリは立ち止まった。釣られるように立ち止まったサフウェンは、友人の自分を見つめる冷たい瞳に思わず息をのんだ。
ゆっくりと、ジラリは唇を開く。
「いい加減、陛下もあなたもあの方の幻想を追うのはおやめなさい」
「幻想って」
「ちがいますか? もうあの方は陛下の婚約者ではないし、この国の公爵令嬢でもないんです。いいえ、そもそも、彼女はただの貴族令嬢ですよ?」
「ただのって」
学生の身でありながら国の正規の騎士より強く、英傑の孫娘で公爵令嬢は「ただの」ではないだろう。というサフウェンにジラリは首を振る。
「いくら剣の腕があったとしても、英傑の孫娘であったとしても、彼女自身はただの貴族令嬢です。彼女がいたところでこの国の現状は変わりません」
陛下もあなたも、自分の荷物は自分で持ちなさい。
ジラリはそう言い捨てるとサフウェンを置いて王宮の廊下を歩いて行ってしまった。




