第二十九話 前国王の最期
ハルフテル公爵家とともに独立した南部の貴族たちの中には、バセット王の大叔父が婿入りしたドゥエニャスも入っていた。リオナとグラシアノの婚姻により、両家は親戚関係になっていたので、これは別におかしいことではない。
豊かな森や湖を抱えるハルフテル公爵家だけではなく、王国の輸出品目の大部分を支えていた魔物素材を多く輩出するダンジョンを持つドゥエニャス家が同時に王国から離れることは、大きな衝撃を王宮関係者に与えた。だが同時に、仕方がないと言うしかない状況であったのも理解できたのだ。
もちろん、財務や外交を担う部署の面々が頭を抱えたが、しばらくは支払い項目の名称は変わるだろうが、今まで通りの値段で素材や食物を販売するという公約のおかげでなんとか落ち着きを取り戻した。
その中で過剰な反応を示したのが、先王だ。彼は「やはり王家に仇なしたか」とわめき、「見張りは何をしていたのだ」「やはり殺しておけばよかった」と物騒なことを口走る。
初めのうちは錯乱したのだろうと思われていた。彼が国王に即位する前も、やたらと怯え、自身の叔父となる先王の弟をひどく警戒していたことは、彼と親しい者たちは皆が知っていたからだ。
今回の独立は彼の叔父が王国に仇なしたというよりは、もはやそういう流れに逆らうことができない状態だったのだろう。積極的に王国に敵意はなくとも、善意もない。公国とともに独立した方が旨味があり、断っても旨味がない。それが、大体の者の認識だった。
しかし、とある機会に今となっては前侯爵となった元王弟に会ったメディニの役人に、彼は笑って言っていたという。
「あの子もいつまでもあるはずもないことを疑ってたら身体に悪いだろう? だったら、疑いを本当にしてあげるのも甥っ子のためかなって」
そう言って彼は、善意に溢れた微笑みを浮かべたという。だが外交官として長く勤めていた役人は、彼の瞳が全く笑っていないことに気が付いていた。
あの王が即位してから数十年の間、彼はずっと疑われ続けていたのだろう。そして当然、そのことを彼は不愉快に思っている。彼は、わざわざ国に混乱をもたらさないように国を出奔したのだ。
しかもそもそもそんなことになった原因は、ほとんど王太子に確定していたはずの現国王が無駄に疑心暗鬼に陥り、自分の後見貴族たちを煽ったことにある。慎重であることや、疑り深いことが悪いことではない。一国の王ともなれば、何の裏付けもなく信じ込むよりはよほどいいだろう。
だが、物事には程度がある。
自身の短慮が国家の混乱を招きかけ、それを反省することなく疑り続け、その相手と懇意であったというだけで、一人の少女を使いつぶそうとした甥を彼は軽蔑するべき相手としたのだ。
「あ、うちの監視をしていた子たちももうそっちの国には帰らないってさ。どうせお給料も払えないみたいだし。しょうがないよね?」
彼は最後にそう付け加えた。
それを伝えられた前騎士団長が前国王を問い詰めたところ、それなりの金をかけてドゥエニャスを監視していたらしい。しかも王族の個人資産ではなく、国家予算を使ってだと聞いて、宰相が崩れ落ちた。
王は国家安寧のためだ、実際に王家に対して牙をむいたではないかと正統性を主張していたが、王の性格を知る二人はそんな言い訳を信じるはずもなかった。
初めから、疑っていたのは王国の方だ。おそらくドゥエニャスが独立を拒んでも旨味がないどころか、余計に疑われるだけだと判断したのだろう。
公爵家の独立は王太子が、辺境伯の独立は国王の行いが引き起こしたものだったのである。そして問題はそれだけではない。国王が監視に使っていた金が国庫から出ていたということも問題だ。
「これだけの金があれば、もう少しましな立太子の式典ができたでしょうに」
「王宮の老朽化問題も今よりましだっただろうよ」
そう言って責める騎士団長と宰相の二人の声は国王には届くことはなかった。
それどころか疑心暗鬼に陥った彼が縋ったのは酒だったのである。毎日浴びるように酒を飲んだ先王はあっという間に身体を壊し、最後には寝たきりの状態になっていた。
世間には病で倒れたということになっているが、彼の最期はアルコール依存症が引き起こした様々な合併症によるものである。
その頃には騎士団長は交代して自身の領へと戻っており、さらに王太子妃であったミレイユ・マリア・ルモワンが流行病で亡くなったこともあり、ミレイユの父親のルモワン公爵は王宮から辞していた。
前後してそのミレイユが亡くなる前に生まれていた女児のもとに、王弟のビックスが婿入りのためこちらも王宮を出ていた。王妃は王がアルコール依存になったあたりから離宮に閉じこもっており、王が自室で亡くなっているのが発見されたのは、姿を見せなくなって三日目というありさまだった。
その時にはアルコールのせいで感情のコントロールがつけられない状態になった王を起こしに行くものはおらず、食事も使用人が運んできたものではなく、部屋にため込んでいたアルコールばかりであった。
そんな様々な要因が重なり、メディニ王は誰にも看取られないままに亡くなり、その死は死後三日たってから発見されたのである。
叔父を疑い、息子嫁を疑い。疑うあまり彼らをないがしろにした結果、国土を多く失った彼は。
晩年には苦楽を共にした友人達や家臣、王妃までも疑い、最期は誰に看取られることなく息を引き取った国王に、後世の歴史家たちがつけた二つ名は「猜疑王」であった。
後期メディニ王国史において語られる、食楽王、狂人王と並び称される、三大愚王の一人である。
お前裏切るなよ。絶対裏切るなよ。を何度も何度もやった結果。うっとうしくなって結局裏切られた人。
食楽王は彼の父親。そうなると狂人王は、さて。




