第二話 金狼姫
ヒロイン登場
メディニ王国には二つの公爵家がある。どちらも建国の王の兄弟たちが起こした家で、定期的に王族からの降嫁や入り婿、または王家へ嫁ぐなどで、血の交流は行われている。
万が一、現王家に何かあった場合は、どちらの家から次の王を出すことになるだろう。実際、数百年前は養子という形で公爵家から王が出たこともある。
そんな公爵家の一つ、ハルフテル家の次女が第一王子の婚約者である。ハルフテル家には娘しかおらず、長女のマリアネラは公爵家を継ぐために残り、次女のリオナが婚約者となったのだ。
――ハルフテル公爵家のマリアネラ・サヴィドリア・ハルフテルと言えば、その聡明さで国内外に知られているという。
王子は場内を歩きながらそう思い出す。実際、公爵家の領地運営の何割かを担っているらしく、ここの数年の公爵家はますます豊かになっているという。
女が政治に口を出すことは腹立たしいが、彼女が自身の婚約者であるならば、難しい判断を迫られる自分のいい相談役になっただろうと、バセット王子は思うのだ。残念ながら年が十は離れており、すでに婿を取っていることもあって、彼女がバセットの婚約者に選ばれることはなかった。
貴族同士の婚姻において十や二十の年の差は珍しくない話ではあるが、幸いなことにハルフテル公爵家にはもう一人娘がいた。
それが、リオナ・ヴァロウ・ハルフテル。バセット王子の婚約者だ。
そのリオナと言えば、顔立ちこそ美しく整ってはいるが、貴族の令嬢としてはあり得ないほど短い髪に、身長は男であるバセット王子とあまり変わらない。つまり、女性としてはかなり長身の部類になるだろう。
さらに女だというのにダンスや刺繍などは苦手。その代わりに何が得意かと言えば、剣に馬術だというのだ。
よく王城の騎士訓練場に顔を出し、男勝りに剣の訓練を受けているという。そしてついたあだ名が、その金色の髪が風にたなびく様子から金の狼――金狼姫だ。
「おん、なの、癖に、剣などと!!」
思わずバセット王子は吐き捨てると、らしくもなく乱雑な足さばきで騎士訓練場へと向かっていた。そう、彼が向かう先には自身の婚約者がいるはずなのだ。
もっとも、バセット王子は婚約者に会いに行くわけではない。そもそも彼は自身の婚約者があまり好きではないのだ。相手もそうだろう。生まれた時から決まっている婚約者だが、それと相性の良し悪しや、感情の好悪は別の話だ。
継承者争いで苦労した父王は、生まれる前から息子に確固たる後ろ盾を用意した。それがハルフテル公爵家であり、その娘との婚約だ。
ハルフテル公爵家の次女と引き合わされたのは王子が五歳の時だった。初めて見た時はそのハチミツ色の髪と、きらきら光る宝石のような青い瞳に吸い込まれるようだった覚えがある。
こんなきれいな子が、自分のお嫁さんになるのだ。王子は年相応にときめいた。もっともそのときめきは数年も持たずに霧散してしまう。
というのも、公爵令嬢であるはずのリオナは何かと破天荒だったのだ。今まで王子の周りにいた令嬢と言えば、クスクスと小鳥のさえずりのように笑うか、食べているのかわからないほどの料理や菓子を啄み、みな似たような笑みを張り付けているだけだ。
天気が良くても肌が焼けると家の中に引きこもり、噂話に花を咲かせている。少なくとも彼の母親やその周囲の貴族婦人たちはそうだった。
それがリオナと言えば、庭の木に登る、池の中で泳ぐ、棒を振り回すと、とにかく令嬢らしくない。外に出ると言えば王宮の中庭程度しかなかった箱入り息子の王子には、とてもではないがついていけなかった。彼女が振り回すのが棒ではなく剣になったのは九歳の時だ。
「姉上を守るんです!」
すでに婿を取り、公爵家で辣腕を振るっていた姉を誇りに思っているらしい彼女はそう宣言した。
それから目を輝かせて剣を振り回していた彼女は、アワアワしている周囲にきょとんと、目をしばたたかせた後に、こういったのだ。
「もちろん、王子のことも守りますね!」
ハルフテル公爵と執事が頭を押さえていたのが視界に入ったが、王子はその時なんと返したか覚えてはいない。
僕にはちゃんと護衛がいるからキミに守られなくても大丈夫だよ。とか、そんなことを返したはずだ。実際、たかだか貴族令嬢に後れを取る彼らではないだろう。
けっして、まるで「ついで」扱いされたことにショックを受けたわけではない。ただそれくらい、婚約者だというのに、かの少女の視界に王子である少年は入っていないのだ。
それでも婚約者なのだ。親が決めた、家のための、国のための婚姻。そのための婚約者だ。
バセット王子は少しばかり過去に想いを馳せながら歩く。本来ならば学園で用事を済ませるつもりだったが、どういうわけか彼女の姿は貴族科の学舎には見えなかった。
時折彼女とともに一緒にいるところを見かける高位貴族の令嬢にリオナの居場所を尋ねれば、「今日はこちらにいらっしゃる予定はありません」と困惑したように返された。
どうやら彼女は学園をさぼってこちらに顔を出しているらしい。
――未来の王太子妃が、王妃がこれでは周囲に示しがつかないではないか!
王子は苛立たしげに訓練場へと続く扉のドアノブに手をかけた。
「やぁぁぁぁぁ! せい! はぁ!!」
向かう先から勇ましい声が聞こえてくる。どうやら騎士たちの訓練時間らしい。だが、騎士にしては声が高い。新兵か? と、思いながら王子が訓練場へと出る扉をくぐる。すると丁度、剣を交えていた一人が、もう一人に吹っ飛ばされたところだった。
「ぐっ!」
よほど強い力で吹き飛ばされたのか、吹き飛ばされた方が地面に転がり、うめき声をあげる。その相手の顔を見たとたん、バセット王子は頭を抱えそうになった。
「ふん、その程度か。話にならんな」
対戦相手の男がそう言って相手を見下ろす。浅黒い肌に赤い髪の男だった。年は王子よりも十は年上だろうか。握っている剣は大剣らしく大きく、まさに歴戦の戦士と言ったたたずまいの持ち主で、周囲の王国騎士団から完全に浮いていた。
吹き飛ばされた方は呻きながらも剣を握って立ち上がろうとするが、足に来ているのか、ふらついているのが少し離れている王子にもよくわかった。
男はそんな相手に手を貸すことなく見下ろす。相手と男の身長差は子供と大人ほどにあったので、自然とそうなったのだろう。ふらつく相手を黙ってみていた男は、不意に王子へと視線を向けた後、剣を収めた。
それとみて、相手が目を見開いて抗議の声を上げる。
「な、まだやれる!」
「そんなフラフラで何を言う」
驚いてわめく相手を男は鼻で笑うと、さっさと踵を返して去って行ってしまった。残された相手は悔しそうにその背中を見送るが、やはり立っているだけでも辛いのか、剣を支えに再び崩れ落ちた。
――やはり、見たことか。
バセット王子はそう心の中でどくづいた。どれだけ男勝りだろうが、女が剣で男に勝てるはずがないのだ。
周囲の騎士たちが王子に気が付いて微妙な顔をしている。目の前で婚約者が地面に転がっていたのだ。どのような反応をされるのか掴みかねているのかもしれない。王子には咎めるつもりはない。そもそも彼女が好きでやっていることだ。
地に伏す婚約者に手を差し伸べることもない王子を、周囲の騎士たちがどういう目で見ているかなど、彼は知る由もない。
王子はほんとどうしようもねぇ奴です。