第十九話 ドゥエニャス辺境伯親子
「甥っ子の子が今度立太子と結婚するそうだから、お祝いにし行ってきて」
グラシアノはドゥエニャス辺境伯である父親にそう言われ、そう言えば自分の父親は元王族だったと思いだした。
「立太子と結婚?」
「同時にやるそうだよ。何しろ馬鹿兄貴のせいで国に金がないからね」
慶事と言うのは分けた方がいいのではないだろうか。と、首を傾げたグラシアノに、父は苦笑いを浮かべて言う。彼のいう馬鹿兄貴とは、先代国王その人だ。度を越えた食道楽で、国中からうまいものをかき集めていたという。
そしてその妻である王妃もまた金食い虫で、彼女はいい男が好きだったそうだ。それもただの美形ではなく、芸術家や俳優と呼ばれる種類の人間が好きだったらしい。王妃になる前から何人かの芸術家のパトロネスを気取っていたようだ。息子を一人生み、国母としての務めは果たしたとばかりに彼女は見目のいい男たちに耽溺するようになった。
優秀な家臣たちの尽力のおかげで国が傾くほどではなかったらしいが、それでも国庫には確実にダメージが入ったらしい。
「まだ父が生きている頃はましだったんだけどね。死んだあとは全然抑制が利かなかったみたいで……脳にも脂肪がついてたのかなぁ」
とぼけた口調でなかなかえぐいことを言う父親に、グラシアノは顔をひきつらせた。
そして突然の両陛下の崩御。原因は不明。一応、表向きの死因は病と言うことになっている。
「実際はフグの毒だったらしいよ。肝を食べたらしい」
「バカか」
「相当美味いって話だからねぇ。兄としては本望なんじゃない?」
フグの肝と言えば猛毒で有名だ。どこかの島国ではどうにかこうにか食えるようにしたらしいが、なぜ食えるかはわかっていないという。そんなものを一国の主が食べ、案の定死んだなどと、公表できるわけがない。
それどころか、国庫を文字通り喰い尽くす勢いだった先王の崩御を一部の貴族たちは内心は喜んだというからなかなかに救えない話だ。だが問題がなかったわけではない。当時まだ王太子が決まっていなかったのだ。
いや、九割先王の息子である現国王に決まっていたし、数か月後には立太子も決まっていた。だが、少なくとも先王が崩御していた時に、王太子はいなかったのである。
そのため一部の貴族の中では食道楽で国政をあまり顧みなかった先王の息子よりも、その息子と年の近い名君と謳われた先々王の息子である父を担ぎ出そうとする勢力があったらしい。
「めっちゃくちゃ迷惑だよね。そもそも僕、王位を継ぐ可能性がないってことで自由に過ごさせてもらってたのにさ」
この手の話になると父は心底迷惑そうな顔で言う。しかも兄王夫婦のせいで王国の財政はめちゃくちゃ。そんな状態で王位を継ぐなど、後始末係でしかない貧乏くじである。
そんなわけで、一部貴族が自分を担ぎ出そうと暗躍し始めたという情報を得た父は先制して王継承権を放棄。それだけでなく王都を出奔した。
「後のことはダフネスに丸投げしちゃった。ほんと彼には頭が上がらないよ」
父はそう言って肩をすくめる。彼が言うダフネスとは、ドゥエニャス辺境伯領の東、王都から南東に領地を持つハルフテル公爵家の当主だ。彼が学園に通っていたころからの友人であり、彼を神輿として王位継承争いをしようと貴族たちが画策していることを教えてくれたのも彼だという。
ちなみにグラシアノが生まれた時に公爵夫妻がお祝いに来てくれたそうなのだが、その後は事情があってお互いの家に交流はほとんどない。
ただ過去に数回、グラシアノは公爵領に遊びに行ったことがある。
一度目は公爵家に二人目の娘が生まれた時で、もう一度は先代公爵の葬儀に参加する時だ。先代公爵はもともと次男で、公爵家を継ぐつもりはなかったらしい。そのため公爵領を飛び出し、ここドゥエニャスまでやってきて傭兵としてダンジョン攻略にいそしんでいたという。どこかで聞いたような話である。
さらに先代公爵は今まで誰も最奥に行くことができず、頻繁にスタンピードを起こしていたここのダンジョンを完全領略したのだ。今では彼が遺したダンジョンの地図や、魔獣の覚書などのおかげで最奥まで到達する傭兵団が珍しくはなくなったが、いまだに先代公爵は英傑としてこの地では伝説の人物として語られている。
その伝説の人物だが、本来当主になるはずだった兄が流行り病で亡くなり、仕方なく跡を継ぐために故郷に帰ったという。ドゥエニャスでは彼の訃報を知って多くの傭兵たちが彼の死を悼んだというから、この地で彼の存在がどれほど大きかったわかるというものである。
グラシアノの記憶の中の彼も、老いてなお矍鑠とした豪快な人物であった。彼の子が娘だけであり、孫もそろって女児であるのが、グラシアノには残念でならなかった。
「そういえば、あそこの娘もそろそろ適齢期じゃなかったか?」
あまり詳しく覚えてはいなかったが、先に生まれたという長女は結構大きかったことを思い出しながらグラシアノは言う。王国の女性の適齢期は大体十五、六のはずだ。
ダンジョンのスタンピードなどに重なると多少前後するらしいが、今はその予兆もない。ならばそろそろだろう。
「長女のマリアネラちゃんならもう結婚したし、子供もいるよ。うちからもお祝い品を贈った。で、妹のリオナちゃんが甥っ子の息子と結婚するの」
「…………」
グラシアノの記憶だと、次女はおくるみに包まれていた赤ん坊でしかなかったので、父親の言葉にもいまいち想像がつかずに顔をしかめた。
「とりあえずこれで僕としても肩の荷が下りるよ。ほんとあの甥っ子は疑り深くてさぁ」
「小心者なだけだ」
いまだに、現国王は自身の叔父であるグラシアノの父が王位簒奪を狙っているのではないか、それにハルフテル公爵家が関わっているのではないかと疑い続けているのだ。だからこそ、ドゥエニャス家はハルフテル家と表立って交流できなかった。
おそらくハルフテル公爵家令嬢であるリオナが王家に嫁ぐことになったのも、公爵家への人質としての意味があるのだろう。
眉を下げる父に、グラシアノは鼻で笑う。ともかく、これで王太子も決まり、ハルフテル公爵家と王家の縁が強化されることになる。小心者で疑り深い甥の視線もドゥエニャスから離れるだろう。
父としてはそれだけではなく、純粋に大甥と友人の娘の結婚を祝福したいという気持ちがあるらしい。
「そんなわけで、グラシアノはちょっと行ってきてね」
父はそう言ってグラシアノに命じた。