第十八話 メディニ王 バセット・エディ・メディニ
ここから王国史に入ります。
リオナ嬢との婚約破棄とミレイユとの新たな婚約から、国内の情勢は少しずつ変わっていった。あのあとすぐに立太子と結婚式を挙げた私とミレイユだったが、王宮での任命と宣誓だけで、当初予定していたパレードやパーティなどは行われることはなかった。
諸外国からの客人たちも訪れていたが、皆、私の婚約に関する騒動を知っているようで、立太子や結婚式のことよりもゴシップの方の興味があるようだった。実際、物見高い視線を隠すこともない。
そして私たちの結婚式から半年後に王都で行われたリオナとグラシアノの結婚式は、それはそれは素晴らしく盛大なものだった。王都をパレードが練り歩き、屋台やサーカスなどが招待され、スラムには炊き出しが行われたという。
王家よりも盛大な結婚式に、不敬だと騒ぎ立てる貴族はいない。それらはそもそも王家の結婚式で予定されていたもので、そこに予定されていた人員と予算の消化は必須だったのだ。もしハルフテル公爵家がそれらを行わなければ、楽団やサーカスなどは予定していた仕事がなくなったと、抗議の声を上げていただろう。いや、実際に一方的にキャンセルを告げた王家に対して上がっていた。それを半年後に延長することで、延長費などを工面したのはすべて公爵家である。
礼儀として王家にも届けられた招待状に、父王は「お前の浅慮が招いた結果を見てこい」と、私達に出席するように命じた。
ミレイユは自分たちの結婚式とは比べることもできないほどの盛大な式と、リオナ嬢の身に着けていた異国情緒がある豪奢なドレスにショックを受け、式から帰ってくるとそのまま部屋に閉じこもってしまった。
そう言えば、彼女が私の立太子式典と結婚式で身に着けるはずだったドレスだが、婚約破棄が決まった時点で八割がた完成していた。だが、婚約を破棄した相手との結婚式のために作成したドレスなど縁起が悪いとハルフテル公爵家は引き取りを拒否。
仕立屋たちの給金はその時点までは公爵家が支払ってくれたが、以降は王家もちとなったうえ、ドレスの材料費はすべて王家持ちになった。これは当たり前と言えば当たり前の話だ。
初めはミレイユもリオナのために仕立てられていたドレスを着ることを拒否していたが、王家にも公爵家にも二着のドレスの材料費を払い、そのうえで新たにドレスを仕立てる余裕が時間的にも金銭的にもはなかったのである。
さらに何とかミレイユの体形に合うように修正されたドレスは、式典終了後にすぐさま解体された。レースやビーズ、輝石はそのまま外され売却。布部分は高価なシルクがふんだんに使われていたため、銀糸や金糸が使われた部分は別とし、同じサイズにカットされてハンカチなどに加工されて売り払われることとなった。そして金糸、銀糸が使われた部分は燃やされ、金と銀が集められた。
もともとリオナ嬢のために仕立てられたドレスだ。ミレイユにはドレスになんの思い入れがなかっただろうが、それでも数時間程度身に着けただけで切り刻まれ、燃やされた事実は彼女にとってはかなりショックなことだったらしい。
「どうし、どうして! わたしは身につけたくもない不格好なドレスで、しかも切り刻まれ、燃やされたのに、あの女は!」
閉じこもった部屋から彼女の怨嗟の声が聞こえる。
ミレイユのドレスが不格好なものになったのは、彼女とリオナ嬢の体型が違いすぎたせいだ。騎士としての訓練を受けていた彼女は背が高く全体的に引き締まった体型だった。その分、女性らしい体型とはいいがたかった。
対してミレイユはメリハリがある女性らしい体型で、特に胸の部分については比べることが無意味なほどだ。
「殿下も、おっぱいには弱かったか」
すべてが終わった後、サフウェンがしみじみと呟き、彼の後方にいた彼の婚約者である伯爵令嬢に蛇蝎を見るような目で見られたのが忘れられない。王族に対する敬意など一欠けらも見えなかったが、それで不敬罪などと言えばそれこそ王家の威信は地に落ちるだろう。
ともかく、ミレイユが彼女よりも身長が低かったのを幸いに、ドレスの裾を切り詰め、その分の布を上半身にあてがうなど、これ以上材料費が出せない王家からの要求に仕立屋は十分すぎるほど応えてくれたと思う。
たとえそれが、ミレイユにとって不格好なものであっても、あの時点で用意できる最高級のもので間違いなかった。
だが彼女の嘆きもわからなくもない。
彼女のためにしつらえた、彼女のためだけのドレスを身に着けたリオナは美しかった。今まで見たことがない程満面の笑みを浮かべ、傍らの男を見つめる彼女の姿に打ちのめされたのは事実だ。
いや実際に、彼女は体つきが半年間の間に変わっていたのだ。平坦であった彼女の身体は、女性らしい体つきに変わり、グラシアノの横でほほ笑んでいる。
ずっと忌ま忌ましいと思っていたはずの彼女の長身が、逞しいグラシアノの横を歩けば、むしろ華奢にさえ見えたこともまた、己のふがいなさに打ちのめされる。今更ながら、彼女はずっと私の隣に立つときに、かかとの高い靴を履いていなかったのだ。そんなことさえ、私には見えていなかった。
それから数年。国内外のかじ取りに苦心し続けた父王が病に倒れ、私が王位を継いだころには国内情勢は大きく変わっていた。
婚姻によって結びつきを強くしたハルフテル公爵家とドゥエニャス辺境伯爵家は、その豊かな資金をもって王国から独立。これにより王国は南部の土地を大きく失うことになった。
かつて父たちが懸念していた通りのことが起きたのである。
さらに国外情勢の悪化も追い打ちをかけた。古くから友好国であったソリジャ国は、王女が友誼を結んだのは現王太子妃ではなく公爵令嬢のリオナ・ヴァロウ・ハルフテルであるとし、さらにそんな彼女を一方的に捨てた私は信用ならないとしたのだ。最低限の付き合いはするが、それだけ。その代わり、直接公爵家とのやり取りが増えた。もちろん公爵家が公国として独立後もその関係は続いている。
さらに問題になったのが、他国に留学していたミレイユだ。リオナとはまた別の意味で他国の貴族との交流があると期待されていたが、その交流に問題があったのである。
彼女は留学先の国で高位貴族たちにいろいろと貢がせていたのだ。いや、彼女自身にそのつもりはなかったのかもしれない。
だが、貢いでいた男たちの言い分もまた別だ。また直接貢いでいなかったとしても、そんな彼女のふるまいを見ていた同世代の令嬢、子息は多い。
そのため、彼らからの我が国に対する心情は最低なものだったのだろう。
ハルフテル公爵家とドゥエニャス辺境伯爵家が独立し、旨味のほとんどなくなった我が国から潮が引くように多くの国が距離を置いた。
発展していく公国と、落ち目の王国。周囲にはそう思われているだろう。
だがそんな中で、不謹慎かもしれないが、私はかつてない程やりがいを感じていた。安定した国で、ただ先達から受け継いだものを次代へとつなぐだけの中継ぎのような存在だと思っていた自分が。
数々の苦難を乗り越えていく確かな充実感と達成感があった。それを口に出せば、宰相になったジラリが「陛下の自業自得ですけどね」とチクリと嫌味を言うだろう。その通りなので私も反論できないが、それでもずっとあの頃よりも生きている実感があった。
「まぁ、あの頃よりは逞しくなったよな」
「ルシアン義兄上」
「やめてくれ。まったく」
ぶるぶると首を振る私の近衛騎士隊長を務めているサフウェンに笑う。最初に娶ったルモワン公爵家のミレイユは私が王位を継ぐ前に流行病で儚くなってしまった。彼女の遺体は、ルモワン公爵家の墓に眠っている。
その後、喪が明けた後に後妻として迎え入れたのがフォッソ伯爵家の令嬢。つまりサフウェンの妹だ。兄似た赤毛の、闊達な女性だった。兄に憧れて剣を持つという彼女は、どこかリオナに似ている。――後で聞いたが、本当は彼女に憧れていたそうだ。
現在、彼女との間には男一人、女一人の子が生まれている。私の弟であるビックスはミレイユのあとに生まれた公爵家の次女のところに婿入りしており、こちらも最近第一子が生まれたばかりで、母子ともに健康だという。
公国との関係もそう悪いものでもない。そもそも敵対もしていないのだ。初代女王となったマリアネラのあたりがきついのは、私が妹であるリオナを傷つけた事実がある以上、甘んじて受けるべきだろう。
そのリオナとは婚約破棄の際に私が二度とその顔を見せるなと言ってしまった私の言葉を律儀に守っているのか、彼女とはあの後一度もきちんと顔を見合わせることはないのが残念だ。
彼女には一度きちんと謝り、これから関係を改善していきたいと思っているが、その願いはいまだにかなわない。
「さて陛下、今日も頑張りましょう」
「あぁ」
ジラリの言葉にうなずく。あの時に失ってしまった信頼は、いまだに取り戻せたとは言えないかもしれない。
それでも、もう二度と愚かなふるまいをするまいと、私は今日も多くの書類に目を通す。