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第十四話 婚約破棄

 サフウェンが縋る様に抑えていた小さな手が、サフウェンの腕を強く握る。ギシリと骨が軋んだような気がして婚約者へと視線を向ければ、いつもの貴族令嬢然とした微笑みの中に明らかな不快感と、怒りが見て取れる。

 別に、彼女たちだって感情がないわけではないのだな。と、サフウェンはどうでもいいことを思った。完全に現実逃避だ。この茶番を知っていたのか、と問うような彼女の視線に、小さく首を振ることで応える。こんなこと、知っていればサフウェンは自分の首をかけてでも止めた。

 婚約破棄。その言葉の意味と衝撃が、会場にいる全員に浸透し始めたころ、ゆっくりと輪の中から一人の少女が舞台に向かって歩み出た。それが誰かは誰もが理解している。学園の制服に、胸には黄色いバラと紫の花が飾られている。

 ゆっくりと彼女の周囲から人が離れ、彼女の周囲はぽっかりと開けた。


「殿下、本当ですか」

「あぁ」


 彼女は、今まさに婚約破棄を宣言されたばかりの公爵令嬢は、確認するかのように王子に問う。彼女の揺れる瞳は、戸惑いか、悲しみか、王子にはわからない。

 それどころか、初めて彼女の瞳が自分を映した気がして、王子はとまどった。同時に、そんな戸惑いを感じてしまったことに怒りを感じた。


「本当に、婚約破棄なんですか」

「あぁ、そう言っている!」


 確認する彼女に、王子は苛立ちをぶつけるように叫んだ。どうせ自分のことなど何の興味も関心もないくせに、王太子妃、ひいては王妃には未練があるのかと。怒りすら感じた。


「王子、本当に、でしょうか」


 そんな彼の心を理解していないのか、彼女は三度(みたび)問う。次に肯定すれば後戻りはできない。そんな気持ちを振り払うように、王子は口を開く。「やめんか!」という父王の叫びが聞こえたが、王子は止まらなかった。


「くどい! 貴様との婚約は破棄する。二度とその顔を私の前に見せるな!」


 そう王子が叫んだ瞬間、彼女が浮かべたのは笑顔だった。それからぽろぽろと彼女の両目から涙が零れ落ちる。それを美しいと思ったのは、彼女の涙の理由が、悲しみではなく歓喜からのものだったからかもしれない。

 ポカンと、王子は彼女の顔を驚愕した顔で見つめる。


「えぇ、えぇ、もちろんです!」

「え?」


 彼女はそう叫ぶと踵を返す。ふわりと制服のスカートが綺麗な円を描いた。その様子はまるで花が咲いたかのようだったとは、そのことを回想するとある貴族子息の言葉だ。

 思わず彼女が振り返った先の生徒たちがぎょっとしたように体を竦ませ、駆け出した彼女の先で人垣が割れる。実に見事な一体感だった。

 そんな生徒たちの間を彼女は足取りも軽く、それどころか駆け足で通り抜ける。その走行フォームは美しかった。速く走るための理想的なフォームだろう。ただし、それが理解できたのはサフウェン他数名の騎士候補や騎士たちだけで、それ以外は淑女が人前で走るなど、と、眉を顰める。王太子もその一人だ。

 いや、王太子の場合は自分との婚約破棄が彼女にとってそのような醜態をさらしてしまうほどショックなことだったのかと、暗い喜びで胸が満たされていた。彼は、先ほどの彼女の笑みを幻か何かだと思い込もうとしていたのだ。

 彼女の駆ける先は、ホールの出口ではない。そしてその先には、褐色の少女が立っている。彼女の胸にも黄色いバラと紫の花が飾られていた。


「ベニータ!」

「はいよ、行っといで!」


 彼女が少女の名前らしきものを叫んで地面を蹴る。ふわりとリオナの身体は浮き上がり、両手を組み、身体を前かがみになるようにして構えていたベニータの組まれた両手を踏む。同時にベニータは両腕を大きく天に向かって振り上げ、それに乗って公爵令嬢の身体は高く舞い上がった。

 きゃぁ! と、どこからともなく悲鳴が上がり。思わずサフウェンが駆け出そうと足を踏み出した。だが、そんな彼らをよそに、公爵令嬢の身体は軽やかに空中で一回転すると、ある人物の腕の中に飛び込んだ。


「グラシアノ!」

「おっと」


 貴族令嬢とは言え、人ひとりが飛び込んできたというのに全く危なげなく抱き留めたのは、式典の初めから注目されていた、あの屈強な男だった。思わず男の近くにいた者たちが立ち上がって距離を置く。

 そのまま、ストン。と、公爵令嬢は床に降りると、男に詰め寄るようにしてまくしたてる。


「ねぇ、私、婚約破棄されたの!」

「あぁ、そうだな。今まさに、目の前でな」

「もう王子の婚約者じゃないの!」

「そうだな」

「これでもう、あなたに触れてもいいの!」

「触ってるな」

「ねぇ、グラシアノ!」

「わかったから少し落ち着け」


 男の手が、落ち着かせるようにリオナの頭を撫で、頬を包み込む。リオナとグラシアノの体格差は激しく、片方の手のひらだけで彼女の顔など包み込めてしまいそうだった。

 美女と野獣。そんなフレーズが彼らの周囲にいた貴族たちの脳裏によぎる。ざわめく面々の中で、貴賓席の王族の傍に座っていたハルフテル公爵は立ち上がり、よろよろと娘の方へと歩み出そうとする。

 だがそれを、隣に座っていた女性が止めた。


「リ、リオナ」

「だめですわよ、お父様」

「マリアネラ」


 なぜだ。と、咎めるような父親の視線に、リオナの姉である彼女はにっこりと微笑んだ。貴族令嬢の模範的笑みだが、自身の娘がとんでもなく怒りを覚えていることに父親である彼は気が付いてしまった。

 そんな父親に、彼女は言う。


「だってお父様がお決めになったことでしょう。王太子と正式に結婚するまではリオナの好きにさせるって。

 リオナはこの先、ずっと、王太子と正式に結婚しないんですもの。ずーっと、リオナの好きに生きていいってことですわ」


 そう言って、扇で口元を隠しながらコロコロと笑う長女に、公爵はガクリと肩を落とす。詭弁だが、ある意味で筋は通っている。咎められたらそれで押し通そう。公爵は内心で腹をくくった。だって、彼だって怒りを覚えているのだ。娘の献身の上に胡坐をかき、最後の最後で余計なことをして台無しにしでかした、あの王子に対して。

 それからあの男が義理の息子になるのかと、かつての学友そっくりの大男を見ながら、それでも一応は建前を口にする。


「そういう意味じゃなかったんだがなぁ」

「ですが仕方がありませんわ。そうなってしまったんですから」


 娘の言葉に公爵は頷くと、事態をどう収拾するのかと顔を真っ赤にしてわなわなと震えているもう一人の公爵へと視線を向けたのだった。

好かれてないのは知っていたでしょう?

先に嫌ったのはお前の方だろう?

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