第十三話 学園卒業式
学園の卒業の日。四つある科からそれぞれ卒業生たちが、今日ばかりは貴族科の敷地内にあるホールに集まっていた。
ダンスホールとしても使われるホールだが、今日は奥に舞台が作られている。舞台に上がるための階段は左右に作られている。さらに舞台の両端は天井から分厚い布がおろされており、袖を作っていた。右側の袖には小規模ながら楽団が控えており、左側は緊急事態に備えて数人の教師や騎士が控えることになっている。
それから左側の階段下には学園長をはじめとした学園関係者が座っており、壇上に上がるものは左から上がり、右側に抜けることが基本だった。
ホール内の中心部には卒業生たちがそれぞれ胸に卒業の証であるバラの花を飾り集まっている。学園の制服はすべて同じなので、白、赤、黄色、オレンジと、数種類ある色が、どの科に所属しているかどうかを示していた。
入学式と違い、式が終了すると同時に立食パーティーに移行するため椅子はない。
ホールにいるのは彼らばかりではない。彼らを見下ろすような形でホールをぐるりと囲むギャラリーには、卒業生の親族や、優秀なものを配下に加えようとする貴族や商家のものたち、さらに今年はソリジャ国の姫君が卒業するということもあって、来賓にはかの国の王族の姿もある。
さらに舞台正面にあるギャラリーのさらに上にあるバルコニーの奥、カーテンの向こうでは、この国の王族の方々が控えていた。
そんな中、卒業生たちがちらちらと視線を向けるのは、見慣れない男の姿だろう。王都近辺ではあまり見かけない褐色の肌に赤い髪。屈強な体は貴族には見えなかった。かといって騎士と言うにはいささか気配が物騒すぎる。熟練の傭兵。それが一番近いように思えた。
中央の王族たちが控えるバルコニーを中心に、大体爵位順に並んでいることを考えると、男が座っているのはさほど高い爵位の場所ではない。
もしやどこかの傭兵団がスカウトにでも来たのか。と、密かに騎士科の者たちがざわめく。騎士科を卒業したと言っても全員が騎士団に入団できるわけではない。
第一騎士団は騎士の家系や貴族の子弟で枠が埋まるし、第二騎士団は実力主義だがその反面厳しく、ついていけないものも出てくる。そうした者たちがどこへ行くかと言えば、自警団や各地の領主が持っている騎士団である。
その中でも王都の第二騎士団の次に人気が高いのが、ダンジョンのあるドゥエニャス辺境伯領だ。かの地には騎士団は存在しないが、その反面傭兵団が数多く集まり、日夜ダンジョンアタックを繰り広げているという。
危険度でいえば騎士団以上だが、平民が名を上げる可能性が高いのは辺境伯領の方だ。そんなドゥエニャスの傭兵団なのではないか。と、そんな噂がまことしめやかに生徒たちの間をさざめいていた。
興味を隠せないでいるのは生徒たちばかりではない。彼らの親にあたる貴族たちもだ。何しろ彼らはその人物が何者かを知っている。
ドゥエニャス辺境伯子息。現国王の王位をめぐって争った先代国王の王弟の息子だ。ドゥエニャスに婿入りして以来、ほとんど王都に顔を見せない王弟の直系の息子と言うだけでも興味深いのに、さらに耳ざといものが、彼が半年の間に第二騎士団の部隊長になったことを知っていた。
実力主義と言えば聞こえはいいが、実のところ貴族にとっては乱暴者の集団でしかない第二騎士団で部隊長になったということは、かなりセンセーショナルな話題だった。
だが、そんな温度の違う二種類の視線にさらされながら、本人は表情一つ変えずに、ともすれば退屈そうに式典の開始を待っていた。
式典の始まりは学園長の言葉からだ。その後、それぞれの科の代表が卒業証書を受け取る。貴族科はバセット王子で、魔術科はカルメラ姫だった。あくまでも代表であって成績優秀者ではないので、政治的な忖度の結果だろう。
成績優秀者については、科ごとに表彰されており受賞者は胸にそれぞれの科を示すバラのほかに、紫色の小さな複数の花であるデンドロビウムが一緒にあしらわれていた。ちなみにカルメラ姫の胸にも魔術科を示す黄色い花と、紫色の花がある。貴族科には成績優秀者を讃えるイベントがないためバセット王子の胸にはバラだけだ。
どうして貴族科に成績優秀さを讃えるイベントがないのかと言えば、高度な政治的駆け引きの結果である。とだけ述べておこう。
それから在校生代表が贈る言葉を述べ、最後に卒業生代表が学園時代の思い出を振り返りつつ、これからの抱負を述べる。卒業生代表はジラリであり、毎年卒業生代表は貴族科の成績優秀者が行うことが暗黙の了解になっていた。
卒業生代表がバセット王子でない当たりで、いろいろ察してもらいたい。
ジラリが拍手に包まれる中、一礼して右側に作られた舞台から降りようとした時だ。反対側の階段をバセット王子が拍手をしながら上がってきたのである。
「殿下?」
予定に全くなかった王子の行動に、ジラリは戸惑う。同じく何も聞かされていなかったサフウェンも、学園長たちも戸惑っていた。
そんな戸惑いの中で、舞台に上がり切った王子は、卒業生たちを見下ろしながら両腕を左右に広げた。
「卒業生諸君、卒業おめでとう。この国の王子として君たちの卒業を心から祝い、そして! これからの活躍を願っている」
朗々とした声はホールに響き渡る。突然の王子の行動に戸惑っていた者たちも、王子のその姿にこれが計画されていたことだと理解し、そして王子としての風格ある姿に、感心したようにうなずいた。
そんな中で、側近のサフウェンとジラリだけが戸惑っていた。彼らが知る王子は、このようなことをする人物ではない。そんな二人の前で、王子は微笑む。
「これから君たちは多くのことに挑戦し、多くのことを成していくだろう。
そこで、私もまた、君たちに先駆けて今までにない挑戦をしてみようと思う」
むしろ今王子が舞台に立っていることがすでに新しい挑戦だろう。だからこそ、これ以上何かをしないでほしい。ここしばらくの、何かを考えこんでいたバセット王子の姿を思い起こし、ジラリは嫌な予感に捕らわれながらそう願っていた。
王子が舞台の袖に向かって腕を差し出す。そこから現れたのは、学園関係者にとっては見慣れない少女だ。長いストロベリー・ブロンドに緑の瞳の可愛らしい少女で、学園の生徒ではないことは、彼女が制服を着ていないことから、学園関係者だけでなく、父兄たちも全員がすぐに理解する。
ふわふわとしたレースが多くあしらわれたデザインは、今の流行がどうだとか婚約者が言っていたことを、サフウェンは半分現実逃避気味に思った。
背後から「ミレイユ!?」という驚愕の声が上がる。王族近く、つまるところホールの一番後ろは上位貴族たちが集まっているあたりだ。おそらくは彼女の父親の声だろう。
「サフウェン様」
いつの間にか、自分の横に立ってくれていた婚約者が気づかわし表情で彼の腕をとる。それからサフウェンは自分の腕に添えられた小さな手を、上から押さえるように覆う。そうでもしなければ、これから起こるであろう惨劇を前にして逃げ出してしまいたかった。
目だけを動かしてみたジラリの顔色が紙のように白い。彼もまた知らなかった一人なのだろう。
「今日は私は、リオナ・ヴァロウ・ハルフテルとの婚約を破棄し、ミレイユ・マリア・ルモワンと婚約する」
どこかで誰かが倒れたような音がした。