3 浮き彫りになる世間知らず
皇帝の宮なので白城を「白宮」に変更しております。
深夜まで続いた父上と兄様たちの押し問答は、兄様たちがいくつかの条件を出し、それに父上が折れる形で私の帝都行きが決まった。
手紙の内容によると他の五人の婚約者候補たちは私より二週間ほど早く皇宮に上がっているらしいので、父上の思惑通り、皇太子殿下が早々にその五人の姫君の中からお相手を選んでくれていれば、私は皇帝陛下に御挨拶をし、帝都の屋敷に住んでいる母上に会い、帝都観光をして帰るという事になる。
だが白宮では晩餐会や舞踏会が予定されているので、その予定を熟してからでなければアルナールには帰れない。
自室で旅立ちの用意をする専属侍女のルルーシュを眺めながら、私は大きく溜息をついた。
「エスカルダ様・・・私が付いております。もう、本当にどうしようもなく嫌になったら、力技でアルナールへ帰って来ましょう」
ルルーシュが荷造りをしながら悪戯っぽく笑った。
「ルル・・・父上の面目を潰すような事だけは出来ない」
「あら、リオン様も皇帝陛下も、エスカルダ様のなさることには何も言わないと思いますよ」
そんなはずはない。
いくらダンジェの娘として皇帝陛下に可愛がられているとはいえ、皇太子殿下に失礼があってはウルスおじ様も黙ってはいないだろう。
ウルス・カルディア皇帝陛下に初めて会ったのは私が五歳の頃だ。
アルナール領へ視察に来た陛下は、当時十二歳になったジェラルト皇太子殿下をお連れになっていた。
殿下はファルコ兄様と同じ歳ということもあり、私よりもファルコ兄様と鍛錬や狩に出ていることの方が多かったが、陛下はずっと私に構ってくださっていた。
その後もウルスおじ様は何度か視察に赴いてくださったが、殿下は初めの一回限りで二度とこの地に足を運ぶことは無かった。
なので、正直ジェラルト殿下のことは殆ど、何も、容姿すら知らない。
そんな方を婚約者として見なくてはいけないなど・・・今から考えても憂鬱にしかならない。
父上に食って掛かっていたファルコ兄様はしきりに「ジェラルトの野郎になんかエーダをやれるか!」と不敬極まりない言葉を発していたが、兄様と殿下は手紙のやり取りをしているかなり親しい仲なので許容範囲なのだろう。
父上の登宮にも度々ファルコ兄様は次期領主として随伴していたため、初めての視察以降も顔を合わすことがあったらしい。
まあ、まだファルコ兄様と面識がお有りなだけ、私の肩の荷も軽くなると言うものだ。
何かあったらファルコ兄様に相談しよう。そうしよう。
寝酒に蜂蜜を落とした温かいブランデーをルルが用意してくれたので、有難くそれを飲んで明日の出発に備えることにした。
そう・・・なんと出発は明日なのだ。
暖かで清潔な布団に身を委ね、私は突然アルナールから離れることになった不安を押し殺して夢の中へと落ちていった。
早朝、バタバタと忙しなく準備が進められ、帝都へ持っていく荷物をエヴィルホースの横腹に下げていく。
兄様たちが出した条件の一つは、この馬に似た魔物であるエヴィルホースで帝都まで行くことだった。
エヴィルホースは馬の形はしていてもその大きさは普通の馬より二回りほど大きく、瞳は赤く光り足は太く鋼のように強靭だ。
黒い毛色に立髪はシルクのような手触りでとても美しい。
魔物なので普通の馬より気性は荒いが、ダンジェで飼い慣らしたエヴィルホースたちは皆従順で頭も良く、主人の言うことを良く聞く可愛い子たちなので何の心配もいらない。
しかも、魔物であるこの子たちは力も強く護衛の役割も果たす。更に、普通の馬で帝都を目指せば約三週間、馬車で四週間かかるのだが、エヴィルホース単騎であれば約一週間でアルナールから帝都まで行くことが出来ると父上が言っていた。
本来のエヴィルホースの全力を持って走らせれば、一週間もかからず帝都に着くことも可能だという話だ。今回はルルーシュを私の前に乗せて行くのでそういう訳にもいかないが・・・
兄様たちはエヴィルホースであれば、もし白宮で何かあっても早く領地へ戻れるだろうと考え、この条件を出したそうだ。
私は一緒に帝都を目指す二頭のエヴィルホースにダンジェの紋章がついた首飾りを嵌めてやると、その首筋を優しく撫でて「帝都まで頼んだぞ」と声をかける。
嬉しそうに嘶く二頭にオヤツ代わりの魔石を与えると、ボリボリと良い音を鳴らして喜んで食べてくれた。
そして兄様たちの条件のもうひとつがダンジェ家の暗部に控える精鋭の一人、サディコを従者として同行させるということで、同じように朝から準備をしているサディコに私は声をかけた。
「サディコ、私の用でアルナールを離れさせることを申し訳なく思う。従者としての同行など、本来であればそなたの仕事ではないであろうに・・・」
申し訳ない・・・と私が肩を落とすと、サディコのブラウンの瞳が優しく微笑んでくれた。瞳と同じ色の長い髪は、邪魔にならないように背中で一つに纏められ、彼もまた私と似たような旅装に身を包んでいる。
ファルコ兄様の五つ上だと言うサディコは、その落ち着いた佇まいから雰囲気が老紳士だと良く侍女たちに噂されていた。
「エスカルダ様、とんでもございません。貴女様に同行したいと言う者が暗部には多過ぎまして、その者らを全て叩きのめして私がこの役を頂いたのです。エスカルダ様に同行できる事はこの上ない幸せに御座います」
暗部の者たちを叩きのめす・・・確か、暗部の者たちは皆一人ひとりが精鋭だったはず・・・
サディコは本来であればファルコ兄様が領主を継いだ際に、暗部から兄様の専属護衛に就くことが決まっている男だ。
強いとは聞いていたが、精鋭揃いの暗部相手に全てを叩きのめしたと言った目の前の微笑むサディコに、私はウルラ兄様から感じるどこか得体の知れない何かと同じようなものを感じ取って、背中がヒヤリとするのだった。
全ての用意が整いエヴィルホースに騎乗すると、片腕でルルーシュを抱き上げ自分の前に乗せる。
私よりも一回り以上小さな身体のルルーシュは、スッポリと私の脚の間に収まった。
サディコも同じようにもう一頭のエヴィルホースに騎乗すると、見送りに出ていた父上と兄様が近くへと寄って来た。
「エーダ、野宿はせずに必ず街の宿に寝泊まりするのだぞ」
「はい、父上」
父上が十分過ぎるほどの金貨が入った革袋をサディコに渡す。
「エーダ、ジェラルトの野郎に嫌なことされたら、伝令蜂を送れ」
「・・・はい、ファルコ兄様」
ファルコ兄様が、伝令蜂と呼ばれる魔道具が大量に入った革袋を渡してくる。それをルルーシュが受け取った。
伝令蜂は短い言葉の会話であれば一瞬で目的の人物に送ってくれる、優れた魔道具だ。
風魔法の得意なウルラ兄様が数年前に発明した魔道具なのだが、今では世界中で使われている。
送れるのは本当に短い言葉だが、遠く離れていてもやり取り出来ることで、貴族にとっては自分が危険な状況に陥った時などにも重宝しているらしい。
「エーダ、この腕輪をしておいてね。エーダが嫌だと思った相手に対して発動し、退けてくれるからね」
「・・・・・・はい、ウルラ兄様」
有無を言わせず、左の手首に金細工の美しい腕輪が嵌められた。
私の意思だけで発動する魔道具・・・伝令蜂もだが、魔力が放出出来ない私用にウルラ兄様がまた新しい魔道具を開発してくれたらしい。
これも市場に出したら凄い金額がつくのだろうな・・・と、あまり世間を知らない私でも分かるほどの代物だ。
「どうしても嫌なことがあったら、ダンジェのことは心配せずすぐに帰ってくるのだぞ」
帝都行きは父上の中では決まっていたことだったが、やはり父上もこの召集は不本意なのだとその表情に出ていた。
「父上も、兄様たちも、そんなに心配しなくても大丈夫です。ルルーシュもサディコも付いておりますし、何か問題があれば私もダンジェの娘としてしっかりと対処致します」
「・・・それが一番不安なんだが」
父上のボソリと呟いた言葉に、私は首を傾げてしまった。
「さあ、エスカルダ様、遅くならないうちに出立しましょう」
サディコに声を掛けられ、私は父上の言葉を深く考えない事にし、エヴィルホースの脇腹を軽く蹴った。
「では父上、兄様、行って参ります!」
城の外には昨夜一緒に食事を摂った兵や冒険者、そして城の執事や侍女が皆見送りに出てきてくれている。
そんな彼らは大きく手を振り、口々に私の名前と旅の安全を祈ってくれるのだった。
ああ、アルナール・・・私の愛するダンジェの街、そして民よ・・・しばしのお別れだ。
私は必ず戻ってくるから・・・とにかく早く、最短で帰ってくるから・・・・・・
魔物の少ない帝都なんて無理だから!!
風を切り、原型を留めぬ景色が目の端を流れていく。
エヴィルホースの走りは疲れを知らず、街から街へと物凄い速さで進んで行った。
エヴィルホースの蹄は地の衝撃を全て吸収し、その背に乗る私たちに不快な振動を与えない。まるで、雲の上を走らせているようだ。
その速さのせいでルルーシュはギュッと目を瞑り、風の抵抗を少なくしようと上体を低くしている。
そんな彼女の身体を抱え直し、私は自分のマントの中にルルーシュの頭から身体全てを入れて風の衝撃を受けないようにしてやった。
「エスカルダ様・・・有難うございます」
私の胸に縋るように身体を委ねるルルーシュを、私は優しく撫でてやり進むべき前を見据えた。
旅中、困ったことがあった。
アルナール領を出て立ち寄る町、街、そして村・・・全てに於いて、その土地の民が私たちの乗るエヴィルホースの存在に怯え、必ず一度は宿泊だけでなく街に入ることすら拒まれるのだ。
その度にこの子たちは大人しく、良く言うことを聞くから大丈夫だと諭し、納得してもらうまでかなりの時間を要した。
一応は皆納得して受け入れてくれるのだが、どうもサディコが多めに金貨を渡しているのが一番効果が高いようだった。
「サディコ・・・」
「はい、エスカルダ様」
「私たちは・・・ちゃんと帝都に入れるのだろうか?」
そもそも、父上がエヴィルホースで帝都へ行くところを一度も見たことがない。
「大丈夫でしょう。白宮からの書状も御座いますし、ダンジェの紋章も証明書も御座います。帝都へ入る前の関所で説明と説得は再び必要でしょうが・・・」
すでにもう、明日の昼には帝都に入るほどの距離まで来ている。
帝都に入る前に一応正装をした方が良いとサディコに言われ、今日は近くの街に早めに入って休むことにしたのだが、今回も街に入るまでが大変だった。
「インテルもフィケレも、とても大人しいのに・・・」
見た目が怖いのか?やはり見た目なのか?
いや、でもエヴィルホースは見ようによっては聖獣にも見えるんじゃないか?
二頭のエヴィルホース、インテルとフィケレに魔石を与えながら私は小さく溜息を吐いた。
ちなみに、ルルーシュは宿の部屋で私の正装と寝床の準備をしてくれている。
「・・・帝都に限らず、アルナールの周辺以外はそれほど魔物の数が多いとは言えませんから。皆、魔物という存在に対し必要以上に恐怖心があるのでしょう」
「そうだな・・・本当に、アルナールを出た瞬間魔物の数が減った・・・魔物から得られる素材は様々な領地を豊かにすると、父上は言っていた。だから、終焉の森で全てを殺さず少し見逃すのだと・・・」
「そうですね」
フィケレに魔石を与えながら、サディコが頷く。
「サディコ・・・魔物の殲滅数を減らし、もっと外へ送った方が良いのではないか?帰ったら父上と兄様に相談してみよう・・・」
「い、いえ・・・それは絶対にお止めになった方が良いかと思います。ダンジェ家が見逃している今の数だけでも、この大陸の冒険者たちでは立ち向かうのも難しい魔物も数多くいます」
「え・・・そうなのか?」
「実際、手に負えない魔物の討伐を依頼され、リオン様やファルコ様が派遣されることが時々ありますので・・・」
私は、冒険者たちが立ち向かえない魔物が数多くいると言う言葉に、正直とても驚いてしまった。
だって・・・この街へ来るまでに魔物の一匹も見ていないのだ。
私は生まれてからこの方、これほど魔物を目にしない日々は初めてだ・・・
数多くって・・・数多くって・・・・・・?
しかも冒険者が立ち向かうのも難しいとは・・・どれ程の強さを有した魔物なのだろうか?
そんなに強いものを、我がダンジェ家は見逃してきたであろうか?
「・・・エスカルダ様、この大陸・・・いえ、この世界の冒険者たちをアルナールの冒険者と同じに見てはいけません」
「どういうことだ?」
「アルナール・・・特にダンジェの冒険者ギルドを出た冒険者たちと、他の地の冒険者ギルドを出た冒険者とでは強さがかなり異なります。時々強い魔物と戦う他の地の冒険者と違い、ダンジェの冒険者たちは常にあの地で人災級や戦災級と言われるような魔物と戦っています。さすがにダンジェの冒険者たちも災害級や災厄級となると手が出ないか手を焼くことにはなりますが、それでもそれらと単身または数人で渡り合える冒険者や兵はアルナール以外ではほとんど居りません」
「そう・・・なのか」
このサディコの説明で、私はアルナールが・・・ダンジェが本当に特別な領地なのだと身を以って初めて知ったのだ。
「では、この地では魔物で命を落とす者も多いのだな・・・」
「そうですね・・・この街の民も、ハイケリウス一頭が攻め込んだだけで滅ぶでしょう」
「・・・・・・は?」
通常の鹿を十倍程の大きさにし、大きく広がる角から雷を落とす中型の魔物であるハイケリウス。その肉は非常に美味で、出立する前夜も兵や冒険者たちと食したあの魔獣・・・
あれ一頭でこの街が滅ぶ・・・?
私には到底理解出来ない・・・それほどここの民はか弱いのか!?
「サ、サディコ・・・ここの街の民は・・・その、鍛えなくて良いのか?」
「・・・一応言っておきますが、先日エスカルダ様が「肉だー!」と言って一瞬で狩ったハイケリウスは、他の地では災害級ですからね・・・この街の責任者が民を全て避難させ、私兵を出して周辺の街から援軍を呼んで初めて戦える魔物ですから・・・」
「そ、そんな・・・私は・・・私は一体、何をしに帝都へ来たのだ・・・?」
「皇太子殿下の婚約者候補として登宮されるためですね・・・」
そ、そうだった・・・すっかり忘れていたが、私はジェラルト皇太子殿下の婚約者候補として白宮に上がるのだった。
なぜ魔物狩りに来たと思っていたのだろうか・・・
冒険者ギルドに行くために正装すると思い込んでいた・・・そんな馬鹿なことあるか!
ああ・・・・・・ハイケリウスの肉だけじゃなく他の魔物の肉も食べられない土地なんて・・・何を楽しみ過ごせば良いのだ。
「ちなみに、ハイケリウスもちゃんといますよ。それだけじゃなく、天敵の少ない地で強く育った魔物もいますから・・・そう落ち込まないでください。アルナールより数が少ないだけで、ちゃんといますから」
サディコが慰めるように言ってくれる・・・そしてインテルも慰めるように私の頭を甘噛みしてくれる・・・・・・
その甘噛みの光景を見て馬房の世話人が悲鳴を上げて気を失うのを、私は遠い目で見ていることしか出来なかった。
すまない・・・この甘噛みはインテルの愛情表現なのだ・・・・・・
いつも読んでくださる皆様、有難うございます!
もう少しでGWも終わりですね・・・
エスカルダの物語が少しでも気に入って頂けたならば、幸いです。
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