12 毒入りスープはピリピリ熱い
水分というものは、毒を紛れさすには最適なものだ。
味も匂いも薄い毒物なら、濃いめの味で仕上げたスープに混ぜるのはとても良い選択だろう。
私の毒入りという言葉に、皇族の皆様が息を飲むのが耳に届く。
ヴァリア皇妃様は、顔を真っ青にされて微かに手が震えているほどだ。
マルリタ皇后陛下やシュス様も同様に顔色を無くしておられるが、さすがと言うか、取り乱すことなく私の次の言葉を待っているようだった。
陛下は眉間にシワを寄せ、ジュラルト皇太子殿下は無表情・・・食事前に紹介されたヴァリア皇妃様の第一子であるローランド皇子様は、青い瞳を眇めて訝しげに様子を伺っている。
ローランド皇子様は穏やかな雰囲気の方だが、とても頭が良いと噂で聞いている。今もその頭で、様々な考えを巡らせているに違いない。
まさか、皇族の食事に毒が盛られているなどとは、給仕の者たちは夢にも思っていなかっただろう。
サディコと筆頭バトラーを除く皆が、ヴァリア皇妃様と同じく青い顔をして震えていた。
「エーダ、毒が入っているとは本当か?そなたを疑うわけではないが、もし偽りであったなら流石に何か罰を与えなくてはいけなくなってしまう」
陛下が肘を着いて両手を顎の下で組むと、意味ありげな視線を私に向けてくる。
恐らく、今この場で毒の有無を証明して見せろと言っているのだろう。私は陛下の意図に小さく頷くと、皆の注目を集める中で口を開いた。
「陛下、嘘偽りの無い事実で御座います。私の身体強化は毒の香りも逃しません。ただ、私のスープだけに毒が混入しているのか、皇族の皆様のものにも同じく混入しているかは、確かめてみなければ分かりませんので・・・せっかくのお食事の場では御座いますが、この場で証明させて頂いてもよろしいですか?」
私の言葉に陛下が「許可しよう」と返事をなさると、マルリタ皇后陛下とシュス様が心配そうなお顔で私を見つめた。
お二人に、大丈夫だと言うように笑顔で頷いて見せる。
「給仕の皆様、全てのスープをこちらへ」
サディコの言葉で、皆が恐る恐るといった体でスープを私の元へ運んでくる。
その運ばれて来たスープの一つひとつを丁寧に匂うと、もう用はないと目の前から下げるよう指示を出した。
「どうだ?」
陛下の問いに、私は再び口を開く。
「毒はわたくしのスープのみに入っているようです。皇族の皆様のお食事には入っておりませんので、どうぞ安心してお召し上がりください」
とは言っても、ひとつでも毒が入っていると分かれば手を出しにくくなるのは当たり前で、案の定陛下はスープの皿を下げるよう執事に申し付けていた。
それに他の皇族の方々も倣う。
「エスカルダ様、毒の鑑別を御願い致します」
サディコが言葉と共に毒入りスープを私の目の前に恭しく置くと、ジュラルト皇太子殿下がガタッと音を立てて身を乗り出した。
「何を言っておるのだ!そのようなことは毒味役に任せることであろう!!」
私を心配してくださっているようなお言葉に、私は小さく首を振った。
「もし命に関わる毒であれば、いくら毒に慣らした者であってもただでは済みません」
「ならば余計そなたに毒の鑑別をさせるなど認められない!」
冷静だと思っていたジュラルト皇太子殿下が有無を言わせない声色で、威圧とも取れる気を私に放ってきたが、それに軽く首を振ると、失礼とは思ったが同じ量の気を放ち返す。
相殺された気は霧散するように消え、ジュラルト皇太子殿下の表情が苦いものに変わった。
「殿下、心配なさらずとも、わたくしには毒は効きません。この国で一番致死率の高い毒であっても、私の命を脅かすことはありませんよ」
「は?」
ジュラルト皇太子殿下だけでなく、皇族の皆様は一様に訳が分からないと言ったような表情だ。
「大丈夫ですから」
諭すような口調で言うと、私は再び自分の前に置かれた毒入りのスープを見下ろした。
「エスカルダ様、こちらを」
サディコからカトラリーを受け取って、ゆっくりとひと匙掬い上げる。
皇族の皆様だけでなく、給仕の者たちも息を飲んでいるようだ。
美味しそうな香りに混じる毒の匂いを鼻の奥で嗅ぎ取りながらひと口入れると、覚えのある独特な味が舌全体に広がった。
微かにピリピリと痺れるような感覚と、飲み込んだ喉が熱くなる感覚・・・この毒特有の症状だ。
「エスカルダ様、いかがでしょう?」
サディコに促され、私はスプーンを置いた。
「ふむ、ギュルカの球根から取れる神経毒だな」
「なっ!?ギュルカとは・・・エーダ、本当に大丈夫なのか?」
陛下が驚きの声とともに、私の身を案じてくれる。
「はい、大丈夫です陛下。この香りと舌に広がる痺れと喉の熱は、間違いなくギュルカです」
「量によっては呼吸を止める神経毒だぞ。一体誰が・・・・・・」
独り言のようにボソリと低く呟くジュラルト皇太子殿下に、私は頷いた。
「このスープだけと言うことは、狙われたのはわたくしだけでしょう。わたくしが毒の効かない身体と知っているものはこの白宮には居ないはず・・・となれば、死ぬことも想定して盛ったのでしょうね」
私の言葉に、シュス様が声を殺して泣いていた。
「どうして・・・何故エーダ様を・・・許せませんわ」
「シュス様・・・わたくしのために泣いてくださり、有難うございます。ですが、そのように心配することはありませんよ。先も述べた通り、わたくしには毒は効きませんし、身体強化をかけていればこの身体に傷が付くことも有りません」
さめざめと泣くシュス様は、正直言ってとても愛らしい。
泣いているお姿も神々しく、叶うことならお側に寄ってその手を握り、細い肩を抱いて差し上げたかった。
「・・・早急に犯人を捕まえなくてはな。マクレイン、この食事に携わった全ての者を調べ上げろ。誰一人逃げ出せないよう、早急に退路を断つのだ」
「御意」
陛下の背後に控えていた筆頭バトラーが恭しく頭を下げ、部屋を出て行った。
「エーダ、大丈夫か?」
「はい、陛下。私は特に問題ありません。それよりも、皆様のお食事が滞ってしまい、申し訳御座いません」
気遣うように声をかけてくださった陛下。心配そうな、でもその中に慈悲深い色を乗せて私を見つめる皇后様。何故だと私の身を案じてハラハラと泣き続けるシュス様。眉間にシワを寄せて目を瞑る殿下。青ざめ、小刻みに震えていらっしゃる皇妃様。皇妃様よりは陛下に面影が似ておられる皇子様は、優しそうなお顔が今は悲しそうに眉を下げていた。
もちろん、運ばれてくる食事に誰も手をつけようとはしない。
こんなことならば、もう少ししっかりと毒の在り処を匂いで辿り、陛下たちのスープが無事であることを察知しておくべきだった。
そうすれば、私だけが何食わぬ顔で毒を食めば良い話だったのだ。
誰にも気付かれず、食事が終わった後に陛下にだけご報告すれば、食事の手を休めることもなかったと言うのに・・・
「申し訳ありません」
私の謝罪の言葉に、皆が首を傾げるようにして次の言葉を待った。
「わたくしが皆様のお食事の時間を台無しにしてしまいましたこと、お詫び申し上げます」
「何を言っているのですか。エスカルダ様のせいでは御座いません」
マルリタ皇后陛下が、慈悲のお言葉をかけて下さる。
私の気持ちが少し軽くなるような気がした。
「エスカルダ様、宜しければ我が領からの手土産である果物をお出しになるのはいかがでしょう?果物でしたら、この場で皮を剥き、皆様にご提供出来れば安心して食して頂けると思います」
サディコはいつも、信じられないくらい良い提案をしてくれる。私はいつも感心させられて、サディコのように周囲の様子を読み取る能力と適応できる頭が欲しいと思う。
「陛下、皆様に御用意したアルナール産の果物をお出ししても宜しいでしょうか?」
「ああ、是非頂こう」
陛下はアルナールで幾度となく食したことのある果物だが、実はかなり好物だということを私は知っている。
嬉しそうに顔を輝かせる陛下には、執事へ指示を出した先までの不穏な空気は欠片も残っていなかった。
陛下たちとの食事は、アルナールから持ってきた果物で無事に終わることができた。
メインの料理が出てくる前だったため、食事としては物足りないものになったかもしれないが、陛下が異様に喜んでいたので良しとしよう。
「サディコ、あそこで果物の手土産を提案してくれて助かった。本当に、優秀過ぎて兄様にお返ししにくくなるな」
「ファルコ様にお返しする必要はないですよ。エスカルダ様がお望みならば、私はエスカルダ様の手となり足となります」
サディコの言葉は嬉しいが、次期辺境伯となるファルコ兄様の側近が決まっている彼を、私の我が儘で側に置くことは出来ない。
有り難うと笑顔だけ返しておき、私たちは用意された白宮の自分たちの部屋へと帰ってきた。
窮屈で動きにくいドレスをすぐに脱がしてもらい、楽な部屋着へと着替える。
結い上げた髪も下ろして、やっと一息つくことが出来た。
柔らか過ぎるくらいのソファに座ると、ルルーシュが手早くお茶を淹れてくれたので、サディコとルルーシュを私の向かいに座るよう声を掛け、一緒にお茶を飲む。
普通の貴族は従僕や侍女とこうして同じテーブルを囲んでお茶をするなど絶対に無いだろう。
だが、ダンジェでは許している。だから、私の部屋であるここでもそれを許す。
「さて、エスカルダ様、恐れ多くも我が姫君に毒を盛った犯人ですが・・・こちらでもお調べして黒幕も含み相応の報復を致しましょうか?」
まったりとしたお茶の時間に似つかわしくない提案が、サディコの口からサラッと溢れる。
だが、こんなやり取りはダンジェでは日常茶飯事で、もちろん魔物に対するものがほとんどだが、私としては別段おかしなことだとも思わない。
「んー・・・いや、陛下が調査なさると仰っていたからな、今回は私たちは何もせず傍観しよう。何も知らなかったとは言え、毒の効かぬ私に毒を盛り、何か分からぬ計画が崩れたであろうから、特に時間も掛からず犯人は見つかるだろう」
私の言葉に、サディコが「畏まりました」と言って同意した。
「それよりも、今後も私の物には何か細工が施される可能性がある。他の細工ならサディコもルルも問題無いと思うが、毒だけは致死性のものに関しては耐性が無いのだから、必ず私の許可を得て飲食してくれ」
自由に食べ、飲むことが出来ない不自由が出てくるが、ルルーシュを守るためにも、この命令だけは譲ることが出来なかった。
ルルーシュも、コクリと頷いて同意を示した。
「では、この件の話はこれで終わりだ。明日の予定を話し合おう」
毒事件に関しては、もう私の関わるところではない。
陛下たちが調査し、結果が分かれば知らせてくれるだろう。
「明日は帝都の冒険者ギルドへ行かれるのですか?」
「もちろん、そのつもりだ。取り敢えず、帝都の魔物がどの程度のものか、ギルドの依頼書で確認しようと思う」
「では、エスカルダ様の冒険者用御衣装をご用意しておきますね」
そう言うなり、ルルーシュがいそいそと明日の準備を始める。
「エスカルダ様、明日午前の殿下のお茶会には参加されないのですか?」
サディコが思案げに聞いてくるが、そんな予定は全く無い。
「ルルーシュ、殿下からお茶会の招待が来ているか?」
「いいえ、エスカルダ様」
「だそうだ。きっと明日のお茶会はお気に入りの姫君たちとだけで行うのだろう。行かなくて良いのなら、私は予定通りギルドへ行くよ」
招待状が届いていないことをサディコは訝しんでいたが、特に問題ないと判断したのか「では、明日はギルドへ行きましょう」と、了承してくれた。
そうと決まれば私も用意をしなくては・・・と、愛剣を手に取り刃の状態を確認し始める。
サディコはどこか呆れたような表情だが、そこに期待のような色が滲み出ているのを隠し切れていなかった。
まあ、つまるところ、アルナールの人間は魔物討伐が好きなのだ。
初めて来た帝都に、どれだけの魔物がいるのか楽しみで仕方がない。
サディコは幾度となく帝都に訪れているからそれほど新しいことはないだろうが、それでも私と同じで楽しみであることは変わらないのだろう。
呆れた顔をしていたくせに、彼もまた自分の愛剣を手に取って磨き始めたのだから、私はつい笑顔になるのを止められなかった。
いつも読んでくださる皆様、有難うございます。
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今後とも、エスカルダの応援、宜しく御願い致します!
皆様が少しでも面白いと思っていただければ幸いです。