10 ドレスと魔物の鞭
掴みはバッチリだ。
さすが私の兄様、皆の欲しいものを良く分かっている。
伝令蜂は皆に喜んでもらえ、かつシュス様の御心も捉えられたに違いない。
明日、夕方の午後のお茶会に誘われた私は、あの奇跡の存在とも言える可愛らしいシュス様と御一緒出来る喜びに、思わず抱き締めてしまうところだった。
あのガラス細工のように繊細な御身体を私が抱き締めたら、壊してしまうかもしれない。
そんな想像に、ひとり焦っていたのはここだけの話だが・・・
伝令蜂の魔力の受け渡しは、あのお茶会にいた姫君に殿下を加え、全ての者と行った。
ヴァネッサ姫は嫌がるだろうかと心配していたが、どうやら伝令蜂はお気に召したらしい。「仕方ないので、わたくしも特別に魔力を分けて差し上げてよ」と連絡先を追加することを了承していた。
私としては殿下と連絡を取るつもりは全く無かったので、殿下の魔力は必要なかったのだが・・・皆が殿下と魔力の交換をしたがっていたので、なんだか私だけ要らないとは言い辛い状況だったのだ。
その後、私はまだシュス様とお話ししたい気持ちでいっぱいだったが、昼食は殿下と婚約者のみで摂ると決められており、寂しげなお顔をされるシュス様と別れて昼食を頂いた。
夕食は陛下に一緒に摂るよう言われていたので、シュス様とは夜にまた会えるだろう。
昼食後のお茶は、丁重に辞退した。
と言うか、帝都の姫君たちはこんなにお茶を飲んで大丈夫なのだろうか?私は一日でこんなにお茶を飲んだのは初めてだ。
午前中もお茶会をし、昼食後もお茶を飲み、夕方のお茶会まである・・・・・・
これでは昼食や夕食が食べられないのも頷ける。お茶会には必ず茶菓子と軽食が用意されているのだから。
実際、先ほどの昼食も他の姫君はあまり量を食べず残していた。
アルナールでは食べ物に対し生きるものの命を頂いていると教えている。そのため、大人も子供も、貴族も平民も感謝の意を込め食事前に祈り、滅多なことがなければ残すことはない。
昼食で全て食べ切ったのは、私と殿下だけだった。
他の姫君は食事よりも会話に夢中で、食べ物の皿をいたずらに突いていたりと、私の領地ではあまり見ない光景にこれが帝都なのだな・・・と感慨に浸った。
そんな昼食の光景を振り返りながら、気づくと皇宮に用意された自分の部屋に辿り着いていた。
サディコが扉を開き中へ入ると、先に荷物を整理していたルルーシュが頭を下げて私を出迎える。
「ルル、待たせてしまったな」
「滅相もございません、エスカルダ様。御予定通り、御衣装の用意も整っております」
ルルーシュの言葉に私は小さく溜息を吐く。
用意された服には申し訳ないが、眉間にシワが寄ってしまうのは許して欲しい。
着替え用の衝立に掛けられている服は、細身の清楚なグレーのドレスだ。
日の光で輝くシルクは、グレーと白の二色の美しさを備えている。裾は長く、歩けば地に引き摺るだろう。
何より、戦いには絶対に向かない服だ。
生地は引けば破れそうなほど繊細で、足を大きく開く余裕の無いマーメイドライン・・・賊に襲われてもこれでは体術は使えない。
使えば生地が裂けて残念な事になる。だからと言って、愛剣を腰に下げておくことも出来ない。このドレスに剣を下げて歩くのは、ルルーシュとサディコが許さないだろう・・・いや、ルルーシュやサディコではなく、母上が絶対に許さない。
帝都に着いた初日の今日、陛下や殿下へ挨拶を済ませた午後は帝都にあるダンジェの屋敷へ母上に会うために、夕食の時間まで皇宮を出る事になっていた。
そして、その母上に会うために必要な準備がこのドレスなのだ。
私はほとんどドレスを着ることがない。夜着だけは楽なナイトドレスを身に纏うが、それも寝る時だけだ。
それ以外で私がドレスを着るときは、母上に会う時だけ。母上が私を淑女としてしっかりと成長しているか毎年ダンジェの城で確認するのが恒例で、母上がダンジェの城に滞在する一周間はずっとドレスを着る事になる。
もちろん魔物を討伐しに行く時も、いつもの戦闘用の動きやすいものではなく、女性用に作られた膝下までのワンピースにロングブーツを履いて行く。
戦闘に於いても、女であることを忘れるなと言う母上の言葉は、私が魔物討伐に加わった年から毎年・・・いや、手紙にも毎回書いてあるからほぼ月に一度は母上から釘を刺されているのだ。
まあ、母上が居ない時はこんな動きにくい服装は一切しないが・・・・・・それについては、父上も兄様も母上には黙っていてくれている。
ちなみに、私以外のダンジェ性の女性が領地に滞在出来るのは最長で一週間だと、父上が仰っていた。
例の魔王の呪いである。
二度目の溜息を吐きつつ衝立の向こうへ移動すると、ルルが早速私の服を脱がしに掛かった。
サディコは衝立に背を向け、誰もこの部屋に入って来ることが無いよう扉の前で待機している。
慣れた手つきでさっさと着替えさせられた私は、今度は鏡台の前に座らされて髪結と化粧を施されるが、顔にはたかれる粉につい眉を寄せてしまう。
甘ったるい白粉の匂い・・・他の姫君たちから香る時はなんと女性らしく愛らしいのだろうと思うが、自分からこの匂いがすると何とも似合わないものを・・・と不快に感じるのだから不思議だ。
これは、きっと私が付けるべきものではないのだ。
人には、それぞれ似合っていたり必要であったりするものがある。
私にはこの白粉が必要なく似合わないということ・・・だから不快に感じるのだろう。
「エスカルダ様、眉間のシワを解いてくださいませ」
「む・・・すまない」
「白粉を塗った後は、出来るだけ眉間にシワを寄せるのはお控え下さい」
「・・・・・・分かった」
難しい注文だ。
髪をアップにし、一通りの準備が済むとようやく解放された。
準備だけで小一時間かかるとは・・・それでもルルの手際が良く普通の姫君たちが準備する時間よりはかなり短いということくらいは分かっている。
まあ、サディコから教えて貰ったのだが・・・・・・
細身のドレスは予想通り身体のラインをはっきりと目立たせ、かつドレスの裾は足元に纏わり付く。
回し蹴りは絶対に無理だ。
普通の蹴りも無理だ。
歩幅がいつもの半分以下に制限され、歩くのにも苦労するくらいなのだから。
「こ、これは・・・動きにく過ぎる」
「とても良く似合っておいでですよ、エスカルダ様。まるで、月の女神と炎の神のお子であるかの如く美しく神々しい・・・」
サディコが良い笑顔で褒めそやしてくれるが、眉間にシワを寄せてはいけない私は無表情になるばかりだ。
そんなことよりも、私は腰に愛剣を下げられない焦燥感に苛まれ落ち着かない。
意識的に腰に手を当ててしまうが、何度触れてもそこに愛剣は無いのだから、諦めるしかないだろう。
ダンジェでは自分の城でドレスになる上に、自分の部屋に愛剣があることが分かっているから多少落ち着いていられた。
だが今回は皇宮に用意されたこの部屋に置いていくことになる。
だから不安なのか・・・寝る時ですら手の届く距離に剣を置いているというのに、こんな格好で剣まで手放すことになり、慣れない不安があるのだろうか。
三度目の溜息を吐くと、そんな私の心中を察したのかサディコが「仕方ないですね」と言って長細い箱を取り出してきた。
私の目の前で開かれた長細い箱には、グレイトフォックスの白く発光する尾で編まれた強靭な縄状の物の先に、加工されて宝石のように透き通って輝く藍色のダークウルフの鋭い爪が付いているなんとも美しい匠の品が入っていた。
「これは・・・・・・」
「ファルコ様とウルラ様がエスカルダ様がドレスを着る時にと、御作りになっていたものでございます」
「兄様たちが?」
二人の兄様が私のために作り上げてくれるものは、素直に喜ぶには価値が分からないものも多いが、この二頭の魔物の素材は一緒に討伐したものだから何となく受け取りやすい。
討伐時もそれほど強いとは思わなかった魔物だ。それほど高い価値でもないだろう。
「はい。腰に巻いて頂き、もしもの時には鞭としてお使い頂けます」
「なんと・・・兄様っ!」
手にとってみると、確かに爪の反対側は少し硬めに加工され、手持ちに最適な形をしていた。だが、刺繍を施されているせいか全体的にパッと見は美しい装飾に見える。
「ウルラ様はこの鞭を『藍爪のウィップ』と名付けておられました」
「藍爪のウィップ・・・」
「奥様にお会いする際、剣を置いていかねばならぬことをお二人とも分かっておられたのでしょう。ドレスのお腰に巻いても装飾としての遜色もなく、エスカルダ様の不安も拭えるだろうと」
「ファルコ兄様・・・ウルラ兄様・・・」
自分の不安を見透かされていた事が恥ずかしくもあり、けれども二人の兄の愛情がそれ以上に嬉しく今すぐにでも会いたい衝動に駆られる。
ルルーシュが鞭を私の腰に巻いて、見栄え良く施してくれるとその気持ちはより一層強いものとなった。
「・・・早くダンジェに帰って、父上や兄様たちにお会いしたいな」
腰に巻かれた鞭にそっと指を這わしてそう呟くと、サディコがとても申し訳なさそうに首を振る。
「エスカルダ様、恐らく半年はお帰りになることは出来ません」
「・・・は?半年?」
婚約者は候補とは言えヴァネッサ姫に決まっているようなものなのに、どうして半年も私が帝都に居なくてはいけないのだろうか・・・
思い切り顔に出ていたのだろう、サディコが詳しく話してくれた。
「半年後に婚約者のお披露目と称して大舞踏会が行われることが決まっております。それまで殿下の婚約者候補は皆、帝都に留まることが義務付けられておりますので」
聞いていない。
そんなことは一言も聞いていない・・・・・・
「恐らく、旦那様が内密にしていたのだと思います。あー・・・ファルコ様とウルラ様の手前・・・ですね。半年もエスカルダ様がお戻りにならないと分かっていたら、あのお二人が絶対にダンジェの城から出すことはなかったでしょうから」
サディコの話を聞いて、私もそれを初めに聞いていたらきっと帝都へは来ていなかっただろう。
だがもう遅い・・・婚約者候補としてご挨拶してしまった手前、このまま帰ればダンジェの名の恥に成り得るのだから。
「そうか・・・私は半年も家に帰れないのだな・・・」
「エスカルダ様、半年間は帝都の冒険者ギルドで我慢しましょう」
ルルーシュの言葉にハッとした。
そうだった。この帝都にも冒険者ギルドがあるのだ!
こちらにいる間は、帝都の冒険者ギルドで魔物狩りをして時間を潰せば良いのだ。
「そうだな、有難うルルーシュ。本来の目的を忘れるところだったよ」
ルルーシュの頭を優しく撫でて礼を述べると、嬉しそうに首を竦め猫のような仕草にとても愛らしさを感じる。
「いえ、本当の目的は婚約者候補として白宮で殿下と交流することですから。まあ、帝都の冒険者ギルドにはもちろん私も一緒に行きますがね」
サディコにチクッと訂正されたが、彼もまたこの帝都の冒険者ギルドには興味があるようだった。
「さて、遅くならないようそろそろ出発致しましょう」
サディコが促すと、ルルーシュがドレス姿をすっぽり隠すローブを持って来て羽織らせてくれた。
「あ、ドレス姿だから身体強化を掛けなくては・・・」
ダンジェを出てくる際に兄様たちから耳にオクトパスが張り付くほど言い聞かされた約束事・・・ドレス姿の時はいつ何時でも身体強化をかけておくこと。
武器や体術が思うように使えない時は、必ず掛けておけと言われている。
だが・・・・・・
「奥様はドレス姿に身体強化を掛けて瞳の色を赤くさせることを良しとしないでしょうね。淑女にあるまじき行為だ・・・とでも言われるのではないでしょうか」
「だろうな・・・ダンジェでは父上や兄様が居たからそれも必要無かったが・・・」
心許ないが仕方ない・・・母上のご機嫌を損ねる方が恐ろしいのだ。
いや、兄様たちのお小言も恐ろしいのだが・・・・・・
「エスカルダ様、こんなこともあろうかと、こちらを用意しておきました」
ルルーシュが横からそっと出してきたのは、細かな網目の総レースのマスクだった。
目元を隠すそのマスクは、美しい網目が細か過ぎるため、瞳の色が外部からは分かりづらいだろうことが容易に想像出来る。
「ルルーシュ、良いものを用意しましたね」
サディコの褒め言葉に、ルルーシュが少し照れて小さく頷いた。
可愛い上に主人思いのなんて良い子なのだろう。
早速マスクを付けてもらい身体強化を掛けると、サディコとルルーシュに見てもらい瞳の色が認識出来ないことを確認した。
「奥様には、嫁入り前の淑女が大勢の殿方がいる帝都で素顔をおいそれと晒すものでは無いとお兄様方に言われた・・・とでも言っておけば宜しいでしょう」
サディコの機転に、私は何度も首を縦に振った。
本当に、この二人は頼りになる。
さあ、いよいよ母上との約一年ぶりの対面だ。
この二人や兄様が私のために色々と試行錯誤し準備してくれたのだから、気合を入れていかねば!
ダンジェの屋敷へ向かう馬車の中で私はしっかりと気合を入れ直し、母上との久しぶりの対面に心を浮かせるのだった。
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更新が遅くなりがちですが、必ず更新いたしますので今後ともエスカルダの応援を宜しく御願い致します!