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 僕は朝早くからいつもの日課である畑仕事を終えると、すぐにテレビをつけて天気予報を確認していた。

 今日は一日晴れ。雨の気配は微塵もなく、雲すらその存在を隠すようなカンカン照りになるとのこと。

 気温は要所要所で40℃近くまで上がるような猛暑日で、外を歩く際は熱中症や脱水症状に注意するようにお茶の間に訴えかけていた。


「今日は暑くなりそうですね。自分も気をつけませんと」


 何に気をつけるのか、簡単だ。

 本日の予定こそ、夏休みに入る前にもこ姉さんに頼まれたコミケの仕事が入っているのだ。

 現在午前五時前、まだ開催までは五時間程度あるが、早い人はすでに会場の前で並んでいるという。しかも長蛇の列になっている。

 それだけオタクと呼ばれる人たちにとっては大々的で待ち遠しいイベントだということだ。


 僕たちも並ばなくていいとはいえ、早めに会場へ向かった方が良い。

 始発電車も通勤ラッシュのような感じで人で溢れ返るらしいので、昨日を含めて三日間はまるで戦争にでも行くような覚悟が必要だと口にする人がいたりする。


 僕は昨日コミケ用に準備したバッグの中身を再度確認したのち、弁当作りに入っていく。

 会場にも食事ができるところや食べ物を売っている場所もあるらしいが、すぐに完売、もしくは満員になるそうなので利用することが困難だという。

 さらに有名なサークルでは昼食を摂る時間も限られていることから、できるだけ手早く済ませられるようなものが良いと資料には書いてあった。

 だからおにぎりやサンドイッチなど手軽に口にできるものを作る。


 あとは事前に用意しておいたクーラーボックスに、冷蔵庫から何本ものペットボトル飲料水を取り出し入れていく。

 これだけあれば、もし皆さんが持参した飲み物が無くなっても大丈夫でしょう。


 そうこうしているうちにお祖母ちゃんが姿を見せる。

 そろそろ朝食の準備に起きてきたようだ。

 と思ったら、珍しいことにお祖母ちゃんと一緒に珠乃までそこにいた。


「はよぉなの、にぃやん!」

「おはようございます。今日は早いじゃないですか珠乃」

「うん! あのねあのね! きょうね、ひとりでおきられたの!」

「おお、偉いですよ」


 僕が珠乃の頭を撫でると「にへへ~」と嬉しそうに笑う。本当に天使のような笑顔だ。

 これだけで今日も一日頑張れるという気持ちになる。


「ん~? ねえねえにぃやん、どっかいくの?」

「もう忘れたんですか? 昨日もちゃんと言いましたよ。ちょっと出かけてくると」

「…………! お、おぼえてたもん!」


 いや、絶対忘れましたよねこれ。


「珠乃、ちゃんとお留守番できますか?」

「できるもん! だからね、あのね、おやくしょくなの!」

「はい。ちゃんと約束が守れたなら、今度海に連れていってあげますね」


 実は今日出掛けるといった時に、案の定この子もついていきたいと言い張った。

 場所が場所ということもあって遠慮してもらったのだが、なかなかにごねてくれたのである。

 そこで大人しく留守番ができたら海に連れて行くという条件で納得してもらったのだ。

 実はもう夏休みに入ってから何度かプールには行っているのだが、やはり一度海にも行きたいと言っている。

 せっかくの夏なのだから、可愛い妹の頼みも聞いてあげたいと思い、一応予定は立てていた。


「ゴローさん、これを忘れちゃダメですよ」


 お祖母ちゃんが手渡してくれたのは《冷えピッタン》という冷却シートのことだ。

 熱が出た時や夏対策としては欠かせない代物である。


「ありがとうございます。持っていかせてもらいますね」

「それと昨日真雪から電話がありましてね。近々帰って来られるみたいですよ」

「そうなんですか。そういえばお盆の時期ですもんね」


 真雪とはお母さんの名前だ。一度珠乃の誕生日には姿を見せたが、翌日にすぐに仕事だと海外へ戻っていった。

 お母さんが帰ってくると珠乃が喜ぶので僕も楽しみだ。帰ってきた時は、何か美味しい料理でも作って出迎えようと思う。


 そうしてすべての準備が整ったあと、まだ六時だがそろそろ集合時間も近づいているので出ることにする。

 玄関ではお祖母ちゃんと珠乃が見送りをしてくれた。

 僕はバッグとクーラーボックスを持って、足早に繭原さんたちと待ち合わせしている場所へと向かう。


 そこにはすでに繭原さんと伏見くん、そして伏見くんのお姉さんであり、学園の家庭科教師を担当している伏見小兎先生がいた。

 僕たちは挨拶を交わすと、改めて伏見先生の方へ向いて頭を下げる。


「本日は会場近くまで送ってくださるということで、よろしくお願いします」

「ううん、いいわよ。虎ちゃんもすっごい楽しみだったみたいだし」

「ア、アネキ! 余計なこと言わなくていいっつうの!」

「えーでも昨日はずっとそわそわしてて落ち着かなかったくせにー」

「うぐっ……!」

「初めてだもんね。こんなふうに友達と一緒に朝早くから出掛けるとは」

「う、うっせぇな」


 伏見くんは恥ずかしいのか若干頬を赤らめながらそっぽを向く。


「つーかあと一人、だよな。……なあ不々動、マジで来るのかよあの生徒会長が」

「あ、はい。その予定ですが」


 実のところ僕と伏見先生以外は大した面識はないらしいのだ。 

 当然多華町先輩は有名だから二人とも完璧な生徒会長として認識しているが、その程度の情報しか持ち合わせていない。


「けどまさかあの生徒会長がまさかのコミケ参加とはな……学園の連中が知ったら腰抜かすんじゃねえの」

「そ、そうですよね。で、でも不々動くんが言うには、ネット小説が好きでしかも不々動くんの一番のファンだったとか」


 彼らにはネット時の『不動ゴロー』と『ハナハナ』の関係も教えてある。


「人は見かけてによらねえってのは本当だよなぁ。まあアネキだって学園じゃ清楚で真面目な教師って肩書だけど、家じゃパンツ一丁でウロウロする女子力の欠片もねえ……ひっ!?」

「……ナニカイッタカナ、虎チャン?」

「な、ななな何でもないですぅっ!?」


 怖い。一瞬ここが夜の墓場みたいなひんやりとした寒気と恐怖が漂う空気感になった。

 さすがの伏見くんもやはり姉には勝てないのか怯えてしまっている。

 するとそこへ若干早足で接近してきた人物がいた。


「お待たせして申し訳なかったわ」


 夏っぽい涼し気な水色のワンピースを着込んだ多華町先輩が姿を見せた。

 伏見くんは「うわ、マジで来た……」と驚き、繭原さんは「私服姿も綺麗だなぁ」と見惚れている。


「おはようございます、伏見先生」

「ええ、おはよう多華町さん。今日は最年長として、この子たちをお願いね」

「微力ながら精一杯務めさせて頂きます」


 先生に挨拶が終わると、先輩が僕の方へやってくる。


「おはよう、不々動くん、伏見くん、繭原さん」

「おはようございます、多華町先輩」

「お、俺のこと知ってるのかよ……」

「わ、私のことも……」

「ふふ、当然よ。私は生徒の長たる存在よ。あなたたちを知らない道理はないわ」


 微笑を浮かべながら毅然とした態度を見せつける先輩を見て、伏見くんと繭原さんは呆気に取られている。

 気持ちは分かる。近づきがたいほど人気のある生徒会長が、自分のことを知っているなんて普通思わないだろう。

 特に人との交流があまりない二人なのだから、その驚きもひとしおだと思う。


 しかし先輩は冗談で口にしたのではなく、本当に彼女は全校生徒のことを知っている。

 これも生徒会長としての務めだと自分で決め覚えたというのだから脱帽ものだ。



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