19
――翌日。
教室の自分の席に座りながら思わず出てしまった欠伸を見て、ちょうど登校してきた伏見くんが呆れたような表情で近づいてきた。
「おーっす、何だよ眠そうじゃねえか。また夜遅くまで小説書いてたのか?」
「おはようございます。小説を書いていたといえば書いていました」
とはいっても海外の小説を翻訳したものではあるが。
昨晩はやはりあまり眠れなかった。
それでも多華町先輩からは規則正しい寝息が聞こえていたので、自分よりは睡眠を取れたはずだ。
きっと疲れも僕よりあっただろうし、眠気が他人が傍にいるという緊張に勝ったのだと思う。
朝起きた時は、寝覚めが良かったようで元気な顔を見せてくれた。
一緒に僕が作った朝食を食べたあとは、僕は早めに家を出て自宅へと一度帰宅したのである。
そこから授業で使う教材などの準備をしてから学園へやってきた。
「ほどほどにしとけよ。また倒れたりしたら繭原が失神しちまうぞ」
……どうして繭原さんが失神を?
少し疑問が浮かんだが、そこへ噂をすればというやつで、繭原さんが教室へ入ってきた。
互いにそれぞれ挨拶を交わし、僕と伏見くんは再び何気ない会話を楽しむ。
だがそこであることを思い出し、カバンから二枚のクリアファイルを取り出す。
一つを伏見くんに渡す。
「は? 何だこれ? ……あー、コミケのやつか」
「はい。今朝郵便ポストに届いていました」
もこ姉さんがコミケに関する資料を送ってくれたのだ。
僕はもう一つのファイルを繭原さんに手渡す。
「あ、はい。ちゃんと確認しておきますね!」
「よろしくお願いします。何か分からないことがあれば聞いてください」
僕は再度自分の席へと戻り、伏見くんと一緒に資料に目を通していく。
「やっぱ飲み物は事前に買っておく方が良いみたいだな」
「ですね。自動販売機もあるようですが、売り切れたり長蛇の列になることも珍しくないって書かれていますし」
特に夏のコミケは気温もそうだが、現場は人の活気でもっと暑くなる。
当然汗も大量にかいてしまい脱水症状になる人も出るようだ。
「……ところで伏見くん、一つお聞きしたいことがあるのですが」
「ん? 何だよ」
「身長とスリーサイズを教えてください。あ、できれば写真も撮っていいですか?」
「…………へぁ?」
僕の質問に珍獣でも見たかのようなリアクションをする伏見くん。
「……い、一応聞くが……何でだ?」
「説明はしますが、どうして自分から距離を取るんです?」
どうしてかドン引きしたような表情なのも気になる。
「いやだってよ……お前、俺の身体に興味あるってことだよな?」
「興味? ……どうでしょうか?」
「そこはしっかり否定しろよな! ……つーか、さっさと理由を教えろ」
「実は愛田先生からの要求でして」
「要求? ……どういうこった?」
「自分も身体のサイズなどを聞かれて答えておきましたが、理由は当日教えるとのことです」
すると伏見くんは顎に手を当てて思案顔を浮かべる。
「外見の確認? 身長にスリーサイズ…………! ああ、もしかして……」
「何か思い当たったことでも?」
「……何だか急に行きたくなくなってきただけだ」
「えっ!? ど、どうしてですか?」
「いやまあ…………そこに書かれてるみたいに当日分かるからいいんじゃねえか?」
伏見くんを見れば心の底から嫌がっているようには見えないので、そこまで悪いことではないことは分かる。
それにあの優しい愛田先生が誰かを傷つけるようなこともしないだろうし。
「分かりました。では繭原さんにも……」
「ちょっと待て。まさかお前、ここでスリーサイズとか聞くつもりじゃねえだろうな?」
「いえ、さすがに女性に関しては。ただ自分と一緒に映った写真だけでも送ってほしいと仰っていたので」
「お前と一緒? ……比較対象にするってことか。……まあ、そのくらいならいいか。おい繭原、ちょっと来てくれ」
伏見くんに呼ばれて一瞬ビクッとしながらも、こちらにトコトコと小さな歩幅で来てくれた。
「ど、どうしたんですか?」
「実はな……いや、昼休憩の時にするか。周りの目もあるし」
「そうですね。伏見くんの言う通りです。すみません繭原さん、今日もお昼屋上でご一緒できませんか?」
「は、はい! それはもちろん!」
彼女に了承をもらい、用件は昼に伝えることにした。
それから特に何事もなく授業が進み、時刻は昼休憩へと入ることになったので、僕たちは屋上へと向かうことにしたのである。
「――しゃ、写真ですか!? しかも不々動くんと一緒に!?」
やはりこれは良くない反応かもしれない。
「すみません。自分なんかと一緒に写真は不愉快ですよね。お嫌でしたら別の方法を考えますので」
「い、いいえっ! ぜんっぜん良いです! むしろこっちからお願いしますっ!」
「へ? は、はい。……あの、本当によろしいんですか?」
何だか食い気味でOKをもらったが、無理をしていないのだろうか。
「問題なんてまったくこれっぽっちもありません! ツーショット、どんとこいです!」
「そ、そうですか。それは助かります。では伏見くん、お願いしてもよろしいでしょうか?」
僕は彼にスマホを渡すと「あいよ」と言って受け取ってくれた。
そして僕と繭原さんは、フェンスをバックにして横並びに立つ。
「おーい、もっと近寄れって」
「も、もっとでしゅか!? も、もっと……もっと……」
顔を真っ赤にしながらも、繭原さんはジリジリと間を詰めてくる。
「よーし、そこでストップだ。じゃあ写すぞー。はい、チーズ」
カシャッと機械的な音が響き渡った。
確認すると……うん、上手く撮れている。これなら文句は言われないだろう。
「んじゃ俺とも撮っておくか不々動」
「あ、ですね。繭原さん、お願いできますか?」
「あ、はい。任せてください!」
伏見くんとも滞りなく写真を撮り終わり、あとはこれをもこ姉さんに送れば任務完了である。
一応その前に二人には写真を送ってもいいか確認はして許可を得た。
メールを送り終わると、繭原さんが恥ずかしそうに近づいてくる。
「あ、あのですね……そのぉ……もし、もし良かったら、さっきの写真を私にも送ってもらえないですか?」
「それは別に構いませんが。伏見くんはどうですか?」
「俺? 別にいら……そうだな。じゃあ俺と一緒に撮ったやつだけでいいから送っといてくれ」
ぶっきらぼうにそう言うと、彼は持参した弁当を食べ始めた。
僕は二人にそれぞれのツーショットを送る。
「わぁ……えへへ」
スマホの画面を見ながら、繭原さんはとても嬉しそうに微笑んでいる。
そういえば、と僕も改めて写真を見た。
こうやって誰かと一緒に写真を撮ったのなんて初めてだ。
そして今後もきっとそういう機会はないだろうと思っていた。
しかしまさかそんな機会が訪れるとは……。
写真を見ていると、何となく胸の辺りにポワッと温かいものが灯ったような気がした。
嬉しい――。
この感情に名前をつけると、きっとそれなのではなかろうか。
僕は撮影した写真を消さないように保存をすると、いつものように三人一緒に昼食を取る。
そんな少し前の自分では考えられない日常がどんどんと過ぎていき、学生にとって待ちに待った夏休みがやってきた。