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「久しぶりに二人きりになったわね、不々動くん。ドキドキしてこない?」
多華町先輩の言動は、特に珍しくもない僕をからかってくるものだ。
ここだけを見れば、何も普段と変わらない様子の先輩ではあるが……。
「ドキドキ……しています」
「…………ふぇ?」
僕はジッと多華町先輩を見つめる。
「え? あ、あの……不々動……くん?」
「多華町先輩……少し大事なお話があるのですが」
「だ、だだだ大事なお話ですって?」
何故そこまで多華町先輩が焦っているのか分からないが、僕はどう切り出していいか緊張してドキドキしてしまっている。
いや、僕は遠回りな言い回しは得意ではない。
やはりここはストレートに聞くのが一番かもしれない。
僕は席から立つと、ゆっくりと多華町先輩の方へと近づいていく。
彼女はどういうわけか顔を真っ赤にしつつ、胸の前で手を組んで目を泳がせている。
「――多華町先輩」
「ひゃ、ひゃい!」
「実は……」
「ちょ、ちょお待ってえな! そんな……いきなりアカンて……。ま、まさか今日なん? 今なん? まったく予想外で心の準備とかしてへんし!」
心の準備? 何のことでしょうか?
もしかして自分がこれから聞き出すことを察したのか。
これだけ動揺するということは、やはりただならぬ秘密を抱えているのかもしれない
となれば聞き出すのはかなり難しい。
それでも夏灯さんにも頼まれたし、僕自身も多華町先輩の力になりたい。
何とか話してくれるように頑張ろう。
「先輩?」
「はわっ!? わ、わわわわ分かったからちょい待って! 少し! 少しでいいから深呼吸させてえや!」
「は、はい」
何やらまるで受験の合格発表でも確かめるような雰囲気を感じる。
多華町先輩は何度も何度も深呼吸をすると、彼女に静かに席を立つと僕に対面した。
「え、ええよ。……ちゃ、ちゃんと聞くから」
「はい。実は自分――」
ゴクリと生唾を飲む音が多華町先輩の喉から響く。
僕以上に緊張している様子の彼女を見ると、こっちまでさらに緊張してくる。
「――――多華町先輩のことが」
「っ…………!」
「――――――――心配なんです」
「――っ!? …………ふぇい?」
何とも少し間の抜けたような表情と声を出す多華町先輩。
「……い、今……何て言ったん?」
「? ですから自分は多華町先輩のことが心配だと」
「……え?」
「……え?」
「……ん?」
「……ん?」
つい反射的に多華町先輩の反応と同じ反応を返してしまう。
明らかに多華町先輩の頭の上にはハテナが浮かび上がっているような様子だ。
あれ、コイツ何言ってんの?
的な感じだろうか。
するとスーッと目を細めた多華町先輩がハイライトを消して静かに口を動かす。
「……一つ聞いてもいいかしら、不々動くん?」
「はい、どうぞ」
「……心配ってどういうこと?」
「それは多華町先輩がどうも疲れていらっしゃる様子なので、それが気になって原因をお聞きし、自分にも何かお手伝いできることがあればと思いまして」
「っ…………そう、そうなのね。……まあ、こういうオチだとも思ってたけれど」
すると急に多華町先輩が顔を俯かせたと思ったら、身体をプルプルと震わせ始め、次の瞬間――。
「――不々動くんっ、おすわりっ!」
床を指差してとんでもないことを言い出した。
「え? あ……はい?」
「いいからおすわりっ! 早くっ!」
「は、はいっ!」
並々ならぬ気迫に押されて、そのまま膝を折って正座をする。
目の前には憤怒のオーラを纏った多華町先輩が腕を組みながら僕を見下ろしていた。
「さぁて、この子はほんと……どうしてやろうかしらね」
えぇ……何かされるんですか自分?
ていうか何故こんなに怒っているのかサッパリ分からない。
今の発言の中で怒らせるような言葉があったのか探るがとんと見当もつかない。
「いいかしら不々動くん、そろそろ私だって思わせぶりばかりでは満足できない身体になっているのよ?」
「……えっと、意味が分からないのですが」
「誰が発言を許可したかしら?」
クイッと顎を持ち上げられてそんなことを言われる。
気分は女王様と奴隷気分だ。どうやら今彼女に逆らったら大変なことになりそうである。
「やっと……やっとこの日が来たって思わせてこれね。フフフ、本当にあなたは私の心をかき乱してくれるわ。ああ、楽しい子ね」
少しも楽しそうな表情になっていませんが!?
むしろ怒りを通り越して殺意すらチラチラと見えている。
「…………はぁ。まったく、少しは女心というものを理解してほしいわね」
「…………」
「聞いているのかしら不々動くん」
「…………」
「…………どうして応えないのかしら?」
「……っ、いえ、その……発言を制御されましたので」
「それでも頷くとかできるでしょう!」
ああ、確かに。つい叱られないようにと、人形みたいに無反応を貫いてしまっていた。
「まあいいわ。もう喋っていいから。それで? あなたは私が疲れているように見えて、何か手伝いたいということなのね?」
「はい、その通りです」
「その気持ちだけもらっておくわ。だからあなたは気にしないでいいのよ」
「し、しかし夏灯さんも心配しており……」
「なるほど。情報源は夏灯ね」
「あ……」
勢いで彼女の名を出してしまった。すみません、夏灯さん。
多華町先輩は溜め息交じりに肩を竦めると、静かに椅子へ腰を下ろす。
「いいかしら不々動くん? 私は別に疲れてなどいないし、誰かの手を借りるほど柔でもないのよ」
「それは……そう、かもしれませんが……」
「それに自己管理くらいちゃんとできるわ。……私は強くなくちゃいけないの。こんなことで誰かに頼るような弱さなんていらないのだから」
どうして彼女はそこまで強くあることにこだわるのだろうか。
確かに完璧超人の生徒会長と呼ばれているが、それを維持し続けないとという義務感からくるのだろうか。
だとしても何が彼女をそこまで奮い立たせているのか分からない。
「…………目が充血しています」
「……へ?」
「いつもより目元の化粧も濃いです。隈を隠すため、ですよね?」
「ふ、不々動くん?」
「いえ、〝ふ〟が多いです。自分は不々動です」
「なっ、い、今のは詰まっただけよ!」
「…………それに、自分が生徒会室へ来て三回。欠伸を噛み殺しましたよね?」
「!? ……どうしてそんなことが分かるの?」
「自分があなたをジッと見つめていたからです」
「~~~~~っ!? こ、この子はホンマに……っ!」
またも顔を真っ赤にして身体を震わせているが、やはり隠していることをバラしてしまうのは怒らせる要因になってしまっているようだ。
しかしここで止まれば、きっとこれ以上踏み込めなくなる。
「最近寝ていないのではないですか?」
「……!」
「先輩が努力家なのは知っています。ですが無茶を超えて無理をし続けると、そのうち倒れてしまいます」
「不々動くん……」
強張っていた表情が一瞬緩んだと思ったが、すぐにキッと鋭い眼差しで僕を射貫いてくる。
「言いたいことはそれだけかしら?」
「せ、先輩……!」
「余計なお節介よ、不々動くん。言ったでしょう。自己管理くらいできるって」
「先輩!」
「今日はもう帰りなさい」
「!? ……っ」
「プリン、とても美味しかったわ。ありがとう」
それだけを言うと、再びパソコンへと向かい作業をし始めた。
これ以上は聞く耳を持たないというスタンスだ。話しかけるなオーラが半端ではない。
僕は多華町先輩に一礼をすると、音を立てないように部屋から出て行く。
するとそこには柴滝姉妹がいて、僕の様子を見た夏灯さんが「ダメ……でしたか」と肩を落とす。
せっかく期待して任せてくれたのに失敗して申し訳なかった。
だから誠心誠意謝ったが、彼女は笑みを浮かべて頭を左右に振る。
「いいえ、あなたはよくやってくれました。押し付けた形になってしまい申し訳ありません。あとは私が……私たちが何とかします。できることがあるかは分かりませんが」
「んー会長って変なとこで意地っ張りさんだしねー」
それでも彼女たちにとっても大切な存在らしく、多華町先輩に気を配っておくとのこと。
僕は力になれなかったことを再度謝罪してその場をあとにする。
下駄箱まで行くと、先程の多華町先輩とのやり取りを思い出し意気消沈した。
どうしてあそこまで頑なに誰かに頼ろうとしないのか。
プライベートなことに関して、彼女から何かを頼られたことは無い。
そもそも彼女のプライベートは謎に包まれているといっても過言ではない。
夏灯さんにも聞いたが、彼女も多華町先輩が休日に何をしているのか、親しく見えるのに互いの家に行ったこともないという。またほとんど遊びに行った経験もない。
生徒の中には、そんなミステリアスなところが良いという人もいるが、本当の彼女を知っている人物がどれだけいるのだろうか。
考えても結局本人に聞かなければ何も分からないことばかりだ。
とりあえず今日のことは反省して、後日また謝ろうと思い靴を履き替えた。
だがそこへ――こちらに向かって走ってくる足音が聞こえてきたのである。
「――悟老くんっ!」
「! ……秋灯、さん? どうかされたんですか?」
現れた彼女の顔色が真っ青だったので、只事ではないことが起きたのだと知る。
「――会長がねっ、倒れちゃったのぉっ!」
「…………え?」