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「へぇ、そうなの~。お兄さんとお買い物にきてるんだね~」
「うん! これかってもらうの!」
すでに決めたらしい絵本を見せつける珠乃に、膝を折りながら同じ目線で優し気な笑みを浮かべ相対している少女を見て僕は「あれ?」となる。
すると僕の存在に気づいたのか、珠乃が「あ、にぃやん!」と駆け寄ってくる。
少女はすぐに立ち上がり様、挨拶の言葉を口にするが……。
「い、いらっしゃい……ま……せ……っ!?」
僕の顔を見て固まってしまった。
「あのね、あのね、このおねえちゃとおはなししてたのぉ!」
無邪気な珠乃をよそに、少女は何故か恥ずかしそうに顔を俯かせてしまった。
やはりこの巨体は特に女性を怯えさせてしまうようだ。
しかし一応挨拶はしなければならない。
「えっと……妹がすみません」
「い、い、いえ、そそそそその……」
「あの、間違っていたらすみませんが――――繭原さん、でしょうか?」
「!? わ、わ、わわわ私のことをご存じなんですか!?」
「あ、はい。クラスメイトですよね?」
フルネームは繭原糸那だったと思う。
長い前髪のせいで目がほとんど隠れて素顔を確認できないが、どこか興奮している様子が窺えた。
「それにあの下駄箱でも……」
「!? そ、そそそそうですか! そ、それは恐縮でございますです!」
「いえ、こちらこそ妹がお世話になったようで」
「い、いいいいいえ! わ、私の方も楽しかったので! あの、その、ですから……っ」
何だかとても話し難そうだ。やはりクラスメイトといえどこの見た目だ。怖いのだろう。
やはり下駄箱でも、だから逃げ出してしまったに違いない。
「すみません。怯えさせてしまっているようで」
「……ふぇ?」
「すぐに出て行きますので」
こういうのは慣れている。彼女のためにも早々に立ち去らねば。
そうして珠乃の手を取ってレジへ向かおうとすると、
「あ、あのっ! 待ってください、不々動くんっ!」
と背後から繭原さんに呼び止められた。
振り向くと繭原さんは口元を引き締めて意を決したかのように発言する。
「お、怯えてなんて……いません!」
「え……?」
「私は……私は……………………覚えて、いませんか?」
「覚えて? ……何を、でしょうか?」
目的語がないので分からない。ただそう言われたことで必死に彼女について記憶を洗ってはいるが。
「……去年、私もその……飼育委員……でした」
「飼育委員……」
「去年の夏休み。飼育小屋から馬が逃げてしまったことがあったの覚えていますか?」
「! ……ありましたね」
そう。夏休みに動物たちの世話をするのが飼育委員の務めであり、当然僕も数日の期間だが割り当てられた。
その日は酷い猛暑日で、熱中症で倒れる人が多いとニュースも賑わっていたのを覚えている。
そしてそんな猛暑の牙が一緒に作業していた他の飼育委員に襲い掛かった。
僕を含めて四人の飼育委員が作業していたのだが、馬を担当していた飼育委員の人が馬小屋へ馬を戻す時に倒れてしまったのだ。
そのショックからか馬がビックリして暴れ周囲を走り回ったのである。
「その時……馬が一人の人物に突撃しました」
「……まさか」
「はい。それが私です。そして危うく馬に激突されそうになった瞬間、ある人が身を挺して馬を止めてくれたんです」
「…………」
「あの時はその……私のせいですみません……でした、不々動くん」
思い出した。確かに暴走する馬を止めたのは僕だった。
このガタイだからといっても、馬の突進力は半端なく、決して小さくない怪我をしたのを覚えている。何せ右肩が脱臼したのだから。まあ自分で治したけれども。
「私を庇ったせいで怪我までしたのに……私、怖くて……何も言えなくて…………あれからずっと謝らなくちゃって思って……」
ポロポロと涙を流し始めた繭原さんを見て、どうすればいいか狼狽し僕は困惑してしまう。
「え、あの……」
マズイです。幸い周りに他のお客さんはいませんが、こんな時何をすれば泣き止んでくれるのかサッパリ分かりません。
とまあ僕が現状をどうにかしようと悩みに悩み抜いていると……。
「おねえちゃ? どっかいたいの?」
珠乃が彼女へ近づき無垢な瞳を向けていた。
「だったらいたいのいたいのとんでけーってしてあげゆ! いたいのいたいの~とんでけぇぇ~!」
「! …………ふふ、ありがとう」
泣き顔から笑顔になったことで僕もホッとした。
本当にこんな時は子供の純粋な言動には救われる。
僕は一つ息を吐いて呼吸を整えてから口を開く。
「……繭原さん」
「あ、はい!」
「どうかあの時のことは気にしないでください」
「で、でも!」
「自分の行いで繭原さんが怪我をしなかった。それで自分としては大満足です」
「っ……不々動くん」
「それに自分としては謝られるよりは礼を言われた方が嬉しいです」
「! …………はい。不々動くん、去年は助けて頂きありがとうございました。えへへ、やっと言えた」
「うん。やはり笑っている顔の方が素敵です」
「!? しゅ、しゅしゅしゅてきなんてっ!? そ、そのいきなり……だって……しょんなぁ……っ」
「あれぇ? こんどはおかおまっかっか?」
「はぅ!? み、見ないでくだしゃいぃぃ~っ!」
恥ずかしさの限界突破をしたのか、繭原さんは両手で顔を覆いながら座り込んでしまった。
「もう、さっきからうるさいんだけど……って、糸那? あんた何してんの?」
店の奥からエプロン姿の女性が出てきた。
「あら、いつも来てくれる子じゃない。いらっしゃい。もしかしてうちの娘が何かした?」
この女性こそ、店主の一人だ。僕のことも覚えてくれている。
あれ、今うちの娘って言いましたよね?
すると……。
「お、お母さぁん……」
繭原さんも店主の方を見てそんなことを呟く。
よく見れば繭原さんも店主と同じエプロン姿だ。
「もしかして繭原さん、この書店の?」
「あ、はい。その……たまに手伝っているんです」
「今までよく会いませんでしたね」
「そ、それはその…………勇気がなくて」
「はい? 最後の方、聞き取れなかったのですが」
「何だい、いつもこの子が来た時、店の奥に隠れてたじゃない。てっきり怖いんだと思ってたけど」
「お母さぁぁぁぁんっ! ち、違いますよ不々動くん! ただその、まだ面と向かってお話する勇気がなかっただけで!」
なるほど。どうやら繭原さんは結構内気な性格のようですね。
僕もこう見えて人見知りなところもあるので気持ちは分かります。
その時、きゅるるるるぅ~と可愛らしい音が鳴る。
「にぅ……にぃやん、おなかすいたぁ」
「ああ、そうですね。では本を買って帰りましょうか」
「あ、じゃあ私がレジ打ちしますね!」
「お願いします、繭原さん」
嬉しそうにレジへ向かう繭原さんから、彼女の母親へと視線を向けると、珠乃に「飴ちゃん食べる?」と飴を差し出し、それを珠乃はもらっていいのかどうか不安げに僕の顔色を窺っていた。
僕が「ちゃんとお礼を言うんですよ」と許可を出すと、嬉々として飴を受け取る。
「あ、これって『妹カワ』じゃないですか!」
「え……ああはい」
とはいっても本編ではなく短編集だが。いちファンとしてやはり短編集も読破しておくべきだと思っている。
「も、もしかして不々動くんてラノベが好きなんですか!」
まるでお菓子を上げた珠乃のような表情を見せる繭原さん。
「はい、好きです」
「ほ、本当ですか! じゃ、じゃあこの『転生したらドラゴンになった件』はどうでしょうか! これは最近流行りの異世界転生ものでありながら、これまた流行りの最強ものというわけではなく、スライムにも負けてしまう最弱のドラゴンに転生した主人公が、その知恵を活かして異世界でスローライフを送っていくというもので、痛ましいバトルなどもあまりないどちらかというと日常系ですから――」
「こーら、糸那。お客さんが困ってるでしょ」
「ふぇ? あ、ああ! す、すみません! つい私ったら熱く語っちゃって!」
「ごめんなさいね。この子ったらそのライトノベル……だっけ、それに夢中で、語り出したら我を忘れちゃうのよ」
見れば繭原さんは「うぅ~」と恥ずかしそうに目を伏せている。
「いえ、とても参考になります。今後も是非、繭原さんにはいろいろと教えて頂ければ嬉しいです」
「おやまあ、見た目の割りに優しい子じゃない」
「ちょ、ちょっとお母さん、失礼だから! あ、あの不々動くん、今言ったことその……本当ですか?」
「はい。ただバトルものは読むのが苦手なので、それ以外をお願いしたいです」
「それだと本当にこの『転ドラ』はオススメですよ! 先程も言いましたがバトルシーンはほとんどありませんし、あってもすぐ終わっちゃいますから」
「なるほど。では試しに一巻を買わせて頂きます!」
「はい! あの、読み終えたら感想を教えてくれますか? その……こういう話ができる友達とかいないので……」
「構いませんよ。では連絡先も交換しておきましょうか?」
「い、いいんですか!?」
「はい。その方がメールとかで連絡しやすいので」
多華町先輩のように感想なども即時送ることができるから。
しかしよく知りもしない男の連絡先など欲しいだろうか?
「もし嫌でしたら別に……」
「い、嫌じゃないですっ! ちょ、ちょちょちょっと待っててくださいね! スマホ取ってきますからぁ!」
繭原さんはバタバタと勇み足で、レジのすぐ横にある階段を上がっていく。二階がどうやら生活空間になっているようだ。
「もう、慌しい子ね。許してちょうだいね。確か不々動くん、だっけ」
「はい。不々動悟老といいます。こっちは珠乃」
「たまのでしゅ! よろしくなの!」
「はーい。こっちこそよろしくねー。えっと、不々動くん、ああいった子であまり友達もいないみたいなの。仲良くしてやってくれたら嬉しいわ」
「もちろんです。自分もこんな見た目なので友達がその……あまりおらず」
あまりというかまったくいません……。
「確かに怖いもんね。でもこうやって話したら礼儀正しくて良い子なのに。きっとあなたを育ててくれた人は立派なのね」
祖父母たちを褒めてくれるのは素直に嬉しい。親はまあ……元気でやっていればそれだけでいいが。
「お、お待たせしまし……きゃっ!?」
「危ない!」
階段を踏み外した繭原さんが前のめりに倒れてきたところを、咄嗟に僕が抱き留めた。
「大丈夫ですか、繭原さん!」
「っ…………ふぇ?」
「繭原さん?」
「ふ、ふ、ふふふふじょうくんっ!? ち、ちちちちかっ……きゅ~」
ボフッと頭から湯気を出した繭原さんは目をぐるぐる回して気絶した。
「まったく、何やってんだいこの子は。不々動くん、ありがとね。ほら、起きなバカ娘」
繭原さんのお母さんが自分の娘の無防備な頬をバシバシと叩き始めた。
見た目も肝っ玉お母さんという感じだが、こういうところも豪快なので思わず引いてしまう。
ていうより大丈夫でしょうか、繭原さんは……。
「うぅぅぅ……痛いぃ……。お母さんのバカァ……」
起きた繭原さんは再びレジ打ちを再開してくれた。
そしてしっかりと連絡先を交換し、繭原さんに見送られながらその場をあとにしたのである。