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 何とか予想以上に早く繭原さんと遭遇できて良かった。

 これも自動車では通れない細道などを駆使して近道をしたお蔭だろう。それに下り坂が多かった僥倖もある。

 それでいて信号での足止めは痛いので、なるべく引っ掛からない道を選んだつもりだ。


 しかし飛ばし過ぎたこともあり、バランスを崩して何度も転倒した。

 特にその際に右足首をグネってしまったのか非常に痛いが、そんなことは気にしていられない。

 僕の役目は、今背中に背負っている千志くんを無事に老人ホームへ送り届けること。

 幸い体力には自信があるし、近道をすればもしかしたら間に合うかもしれない。


 いや、必ず間に合わせてみせます!


「に、にいちゃん!」

「何ですか、千志くん!」

「すっごいあせだけど、だいじょうぶなのかよ!」

「問題ありません! ちゃんと自分の分のスポーツドリンクもここにありますから!」


 懐から取り出したのは繭原さんに渡したものと同じドリンクだ。

 僕は走りながらドリンクで喉を潤す。


「――っぷはぁ。これでまだまだイケます!」


 その時、着信音が耳朶を打つ。

 ポケットからスマホを取り出して確認してみる。


「……伏見くん? ……もしもし」

「おお、その様子だと今走ってるみてえだな。どうだ、時間内に着けそうか?」


 僕は現在いる場所を伝える。


「……そっか。間に合ってもギリギリかもしれねえな。でも安心しろ」

「え?」

「休憩時間を引き延ばしてもらってるからな」

「許可をもらえたのですか?」

「まあ、ちょっと反則くせえけど、こっちには強い味方がいたのを思い出してな。そいつに力を貸してもらってる」


 強い味方? 一体誰のことでしょうか?

 思考を巡らせても該当する人物に心当たりがない。


「――ほれ、ちょっと耳を澄まして聞いてみ」


 向こう側から伏見くんの声が途絶え、沈黙が流れたと思ったら、微かに聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「みんなー! 今日は飛び入り参加だけど、楽しんでいってねー!」

「「「「わあぁぁぁぁぁぁぁっ!」」」」


 ……この声――――桃ノ森さん?


 そのあとに続いた声援は、明らかに子供たちであった。


「じゃあ今からみんなで一緒に歌うよー! せーの――」

「「「「まーかろんろん!」」」」


 すると桃ノ森さんが歌い始める。

 この曲は日曜朝にやっているアニメ――『マジカルまかろん』の主題歌だ。

 確か桃ノ森さんがまかろんの声優をやっていて、主題歌も彼女が担当している。 

 珠乃も大好きなアニメだ。


「どうだ? ナイスアイデアだろ?」

「伏見くん……!」

「幼稚園側の都合で時間を取っちまえば問題にされかねねえ。けど、第三者……まったく関係ない奴で、しかも需要がある奴が時間を取るなら許可が下りやすい。それにガキどもが喜んでるしな。保護者だってガキ優先だ。あそこまで盛り上がってんなら文句だって出ねえだろうよ」

「この案を伏見くんが?」

「まあな。お前にあとを任されたからよ」


 凄い。本当に彼は機転が利く。

 間に合わないかもしれないが、それでも伏見くんに後を頼んだ。それはどうにか少しでも時間を伸ばしてほしいと言外に込めていたのだ。

 正直難しいとも思ったが、彼は最強の助っ人を使って見事に僕の望みを果たしてくれた。


 それにタオルのこともそうだ。

 今、物凄く心強さを感じている。頼りになる天才軍師が傍にいる武人のような気持ちだ。何の心配もなく戦場に赴くことができる。そんな感じだ。


「ありがとうございます、伏見くん」

「なぁに、俺だってガキどもが泣く姿なんて見たかねえしな。だから早く戻って来い」

「全力で向かいます!」

「ただ時間を引き延ばせるっつっても限度はある。施設側も予定があるし、まだこれから園児たちの演目も控えてっからな。もう十分くらいやってるし、あとはもっても十分くらいだ」


 それでも断然頑張ってくれている。ありがたいことだ。

 桃ノ森さんにも感謝してもし切れない。

 僕はスマホを切ると、さらに速度を上げる。

 後ろから繭原さんはちゃんと追ってこられているだろうか。

 彼女も心配だが、今はとにかく千志くんを何よりも優先しなければならない。


 ――ズキッ!


 右足首が熱い。それに走る度に激痛が走っている。

 これでも身体は頑丈だが、剣道をしていたこともあって怪我には敏感だ。

 この痛みはハッキリ言ってマズイ。普通ならすぐに足を止めて冷やすか何かしなければならないだろう。

 脂汗が浮かび上がってくる。それでも歯を食いしばり、痛みを奥に押し込みながらさらに加速していく。


 時計を見る。

 残り時間一時間をゆうに切り、約四十五分程度。

 これから上り坂が多いエリアに入る。自転車でもキツイ道程だ。

 行きしなはこの坂道が追い風になってくれたが、これからは完全な向かい風になる。

 覚悟を決めて両足を動かしていく。


「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 思わず叫び声が口から出る。

 すれ違う住民たちは、当然のように僕の異様な姿を見て言葉を失っていた。

 中には「ちょっと待ちなさい!」などと制止の声をかける人もいる。何故かは分からないが。交番の前を通った気もしたが、きっと気のせいだろう。


 それでも確実にスピードは落ちながらも前へ前へ進んでいく。

 信号待ちはしたくないが、どうしてもそこを通らざるを得ないこともある。

 信号を待っている間に水分補給を済ませ息を整える。

 そして青信号になると同時にダッシュだ。


 くっ、やはり一度足を止めると痛みがぶり返してきますね!


 せっかく走るだけに意識を集中させ痛みを忘れていたが、止まることでどうしても足に意識が向かってしまった。


 もう少しだけ踏ん張ってくださいっ、自分の足!


 一つの上り坂が終わり、平坦な道に入り一気に距離を伸ばそうと加速したのその時だ。

 シュルル――と、胸元で結んだタオルが解けてしまう。


「――へ」


 しがみついてくれてはいたが、ダッシュの勢いに負けたのか、タオルという安全具がなくなったことで、千志くんが空中に投げ出されてしまった。

 すぐにそのことに気づいた僕は、痛む右足でブレーキを全力でかけ反対側に向かって必死に飛びつく。


「んぐぅっ、うおぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 両手を伸ばし、地面に投げ出される寸前の千志くんを何とか受け止め、そのまま抱えて地面に倒れた。


「に、にいちゃんっ!?」

「ぐぅ……っ、だ、大丈夫ですか千志くん!」

「う、うん。こ、こわかったけど」


 ……良かった。危うく取り返しのつかない事故を招くところだった。

 僕は千志くんを立たせて怪我がないか確かめる。


「!? に、にいちゃん、ひざから血が……!」

「え……ああ、問題ありません」

「もんだいないって……そんなわけねえじゃん! それにひじもすりむいてる!」

「大げさに血が出ているだけです。走るにはまったく関係ないですから」


 そう。怪我自体は本当に大したことはない。

 それよりも深刻なのは……。


 ……っ、今のでさらに悪化しちゃいましたか。


 右足首の方だった。

 僕は大きく深呼吸をして痛みを忘れるように自分に言い聞かせる。

 まだまだイケル――と。


「さあ、少し窮屈かもしれませんが、今度は前で抱えますから」


 そう言って千志くんに手を伸ばすが、彼は顔を俯かせたまま立ち尽くしている。


「千志くん?」

「……びょういんいこっ、にいちゃん!」

「え?」

「もういいから! おれ……うれしかったから、きてくれて!」

「千志くん……」

「おれいっぱいあやまる。みんなにあやまるから! だからもう…………いいんだ」


 まだ四歳児だというのに本当に大人びた考えをする子だ。

 まさか自分よりも他人である僕を優先してくれるとは……。

 とても優しい良い子ですね、君は。

 でもだからこそ……。


「…………自分は笑顔が好きです」

「……えがお?」

「はい。特に子供たちが笑っている姿を見るのがとても好きなんです」

「…………」

「珠乃や千志くんにはずっと笑っていてほしい。楽しい人生を歩んでほしい」

「にいちゃん……」

「でもきっとここで諦めたら、君は悲しむ。笑えないでしょう,」

「それは……」


 まあさすがに十年後に十年後に、この話題を覚えているかといえば難しいと思いますが。

 それでもここで諦めたら、確実に多くの人が悲しむことは確実だ。

 少なくとも、僕は後悔してしまうだろう。


「千志くんがずっと頑張ってきたことを知っています。お姉さんからも聞いています」

「ねえちゃんから……?」

「はい。だからこそ頑張った成果をみんなに見せてあげたいと思います。自分も……千志くんが演じる青鬼を見てみたいんです」


 嘘じゃない。彼が大好きだと言う青鬼を精一杯演じる姿を見てみたいのだ。


「だから自分に見せてください。千志くんだけができる青鬼を」

「…………」

「だから信じてください。自分が必ず千志くんを笑顔にしてみせますから」

「! …………にいちゃんはほんとに、アオオニみてえだ」


 するとバッと千志くんは顔を上げる。

 その瞳は先程まで落胆した色は払拭され、決意を込めた強い光を輝かせていた。


「にいちゃんっ、おれ! アオオニやりたい! みんなにみせてやりたい!」

「はい! 最後まで頑張りましょう!」

「うんっ!」


 僕は千志くんを前に抱える。今度こそ落ちないようにしなければ。


「ねえにいちゃん、にいちゃんがほんとのにいちゃんだったらよかったな」

「……そうですか。では自分は兄ですね。兄は弟のためなら何でもできます」


 かつてどーくんが、自分の命を顧みずに僕を助けてくれたように。


「必ず間に合わせます! 兄を信じてください!」

「うん! たよりにしてるぞっ、にいちゃん!」


 不思議と痛みがなくなっていた。

 もしかしたら千志くんと気持ちが一つになったことで、嬉しさが痛みを超越したのかもしれない。

 生まれ変わったような気持ちになり、僕は再び全力で走り出していった。






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