21
――土曜日。
初めて参加した保護者会議から約一週間が経ち、僕とお婆ちゃんは再び【おおわかば幼稚園】へと足を延ばしていた。
しかし今回は、その傍に珠乃も連れ添っている。
すると前回同様、幼稚園の前にはすでに繭原さん一家が立っていた。相変わらず早い。
「わぁ~、いーちゃんだぁ! いーちゃぁぁぁん!」
繭原さんを視界に捉えた珠乃が、彼女に向かって嬉しそうに走っていく。
「あ、おはよう、珠乃ちゃん」
笑顔で挨拶をしながら珠乃を迎え入れようとする繭原さんさんだったが、当の珠乃がピタリと足を止めてしまったのである。
珠乃の視線が繭原さんではなく、その後ろにいた不愛想な少年へと向けられていた。
「どーしてせんくんもいゆのっ!」
「うっせバーカ。べつにいいだろバーカ」
「ああっ、たまはバカじゃないもん! せんくんのいじわるっ!」
「あーあーうーるーさーい。これだからおんなは」
少年はやれやれといった感じで首を振っている。五歳程度で女性の何を知っているのかは分からないが、どうやら珠乃の知り合いらしい。
……! そういえばせんくんという子の名前を聞いたことがありましたね。
前に風呂に一緒に入っていた時に出た名前だ。
確か珠乃と親しいゆーちゃんをイジメる男の子という話だが……。
「こら千志! 女の子に向かってバカとは何事だい!」
「いってぇっ! なぐんなよっ、かあちゃん!」
繭原さんのお母さんに拳骨を頭の上に落とされ涙目になるせんくん。
珠乃は珠乃で、繭原さんの足に抱き着きながらせんくんに向かって舌を出して「あっかんべー」をしている。
僕はおもむろに繭原さんに近づき挨拶をする。
「おはようございます、繭原さん」
「は、はい! こちらこそです! おはようございます!」
ペコリペコリと何度もお辞儀をする彼女。いつも思うが、何故僕の前だとこんなにも慌てている素振りになってしまうのだろうか。
「あの……もしかしてあの子は」
「あ、はい。うちの弟の千志です。ほら千志、挨拶をしなきゃ」
「えぇ、めんどーくせ……って、デカッ!?」
「こらっ、失礼でしょ!」
またもポカリと自分の母親に殴られてしまう千志くん。
聞けば千志くんは、いつもお母さんか繭原さんに幼稚園に送り迎えをしてもらっているらしく、不々動家の前まで来てくれる幼稚園バスには乗っていないので、僕の姿も見ていないようだ。
「ほら、しゃきっと挨拶しな!」
「うぅ~、わーったよぉ。……まゆはらせんし、四歳」
「これはご丁寧に。僕は君のお姉さんと同じクラスメイトで、珠乃の兄の不々動悟老と申します」
「お、おぉふ……」
明らかに面食らっている様子だ。無理もない。子供からしたら、この体格は怪物みたいなものだろうから。
しかし次の瞬間、何故か千志くんが僕に近づいてきてペタペタと身体に触ってきた。
「え、あ、あの……」
「ちょっ、千志! 何をしているの!」
さすがに黙っていられなかったのか、繭原さんが声を上げるが、千志くんは気にせずに触り続けていく。
そして首が痛くなるほど僕の顔を見上げながら言う。
「な、なあなあ! あんたってアオオニか!」
「へ? あ、青鬼?」
「からだもすっげぇおおきいし、それにかおだってアオオニみたいだ!」
「も、もう千志、失礼だから! ご、ごめんなさい不々動くん! この子も悪気があって言ってるわけじゃないんですぅ!」
「ああいえ、気になさらないでください。千志くん……でしたか。自分は青鬼ではありません」
「あーそっか。そうだよなぁ。いるわけねえもんなぁ」
「そんなに自分は青鬼に似ていますか?」
「おう! おれもさ! アオオニみたいにデカくてカッコイイやつになりてえんだ!」
四歳だというのに流暢に話す彼に感嘆する。五歳になってもまだ舌足らずの珠乃が基本になっているからだ。いやまあ、舌足らずだからこそ可愛いのだが。
「なあなあ、『ないたアカオニ』ってしってるか?」
「ええ、知っていますよ。今度千志くんたちがお遊戯大会でやる演目ですね」
「おう! おれさ、アオオニやるんだ! すっげえだろ! うしし!」
いじめっ子というから少し構えていたが、とても明るく良い子のように思える。
繭原さんの弟さんだから悪い子ではないとは思っていたが。
するとそこへ珠乃が僕と彼の間に割り込んできた。
「にぃやんからはなれて!」
「うわっ! おいっ、いきなりおすなよ!」
「そうですよ珠乃。いきなり押したりしちゃダメです。怪我をしたら大変ですから」
「うぅ……でもにぃやんが……」
叱られて泣きそうになる珠乃の頭を撫でたのは繭原さんだ。
「お兄ちゃんを取られそうで嫌だったんだよねー。大丈夫だよ。お兄ちゃんは誰よりも珠乃ちゃんのことが大好きだからね」
「ぐす…………ほんと?」
「うん、ほんとだよ。そうですよね、不々動くん?」
「……はい。自分は珠乃が一番ですよ」
僕は珠乃をヒョイッと抱き上げると頭を撫でる。
「にへへ~、あのね、あのね、たまもね、にぃやんがいっちばんなの!」
ギュッと頬を寄せてスリスリしてくる。
ああもう何て可愛い天使なのでしょうか。このまま昇天してしまいそうです。
「そっか、いつもたまのがジマンしてるでっかいおにいちゃんってこのヒトのことだったのか……」
幼稚園でも珠乃が僕のことを自慢している?
これはもう今日は水羊羹パーティですね。珠乃をうんと甘やかしましょう。
「――うっせぇな。門の前で騒ぐなよなお前ら」
そこへ不機嫌そうな顔で現れたのは伏見くんだ。
しかし以前とは違い、その隣には一人の女性が立っている。
僕も見知った人物だ。
「……伏見先生?」
「あら、トラちゃんに聞いてたけど、本当に不々動くんだったのね、珠乃ちゃんのお兄さんていうのは」
伏見小兎先生。僕たちが通う学園で教鞭を振るっているのだ。
伏見くんと同じ髪色だが、こちらは腰まで伸びている。
透明感のある顔つきはどこか儚い印象を受けるが、やはり伏見くんと似通っていた。
彼がそのまま大人になったようなルックスといえばいいだろうか。
ただ明らかに伏見くんより背が高い。恐らく十センチメートル以上差はある。
「おはようございます、伏見先生。もしかしてお手伝いですか」
「おはよう、繭原さん。そうなのよ。暇なら母が手伝えって。せっかく今日の休みはトラちゃんとショッピングデートするつもりだったのに」
「初耳だぞコラ。つーかしねえからな」
「あんもう。本当につれない子なんだから。まあそんなツンデレなところも可愛いけれどね」
「デレたことなんてねえよ!」
「ウフフ、はいはい、分かってますよー」
「頭撫でんじゃねえっ!」
どうやらお姉さんの方が一枚も二枚も上手のようだ。
伏見くんがあんなにも簡単にあしらわれているとは……。
「ったくもう。とにかく会議室の準備はできてっから入ってくれ」
僕たちは以前のように伏見くんに促され、会議室へと向かったのである。
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