4
はぁ、マジで疲れたし。
何で学園でまでアイドル声優しなくちゃなんないっての。
車の後部座席で大きな溜め息が自然と出る。
「桃ノ森さん、学園生活はどうですか?」
尋ねてきたのは車の運転をしている柊美琴である。
彼女はアタシの芸能人としての活動をサポートしてくれているマネージャーだ。
本来まだルーキーのアタシに専属のマネージャーなどつかないが、トントン拍子で人気が出てしまい、今が押し売りのチャンスだとばかりに事務所がマネージャーをつけた。
こうして授業が終わり、仕事がある時は迎えにも来てくれるので助かっている。
ただこの柊さん、良い人なんだけどー、仕事人で冗談が通じない真面目さんなので、あまり会話を楽しんだ経験はないんだよねー。
まあこちらのプライベートも深入りしてこないので楽といえば楽だけど。
「別に、普通です」
「そうですか。何も問題がないようなら良かったです。さっそく仕事の話なのですが」
信号待ちになった時、柊さんがアタシのスケジュールがビッシリ書かれている手帳を開きながら説明し始める。
「本日は《月刊アニメニア》と《声優シンデレラ》の表紙撮影が一つ、アニメアフレコでは先日渡していた二つの作品を録ることになっています」
今日もまた夜遅くまで仕事でいっぱいらしい。
声優は自分が小さい頃から夢を描いていた職業なので嬉しいことだが、少しハードスケジュールが重なり過ぎていて疲れを感じているのも確かだった。
「あとですが……」
え、まだあるの?
思わず目を丸くしてしまう。
信号が変わり、柊さんは手帳をしまい車を動かしながら続ける。
「以前お話させて頂いた『妹が世界一カワイイとしか思えない』の第三期アニメ化が決定されましたので、メインヒロインも続けて桃ノ森さんにお願いしたいとのことです」
「へぇ、頑張ってんですねアイツも」
「アイツ呼ばわりはどうかと。それにこの役のお蔭で人気に火がついて――」
「いいんですよ。下手に褒めたりすれば調子に乗るだけですし」
アイツとは適度な距離がちょうどいい。
あまり近過ぎるのはハッキリいってウザいだけ。
横目で見れば、やれやれといった感じで柊さんは肩を竦めている。
もう少し大人になってほしいということかなぁ。子供でごめんなさいねー。それにその役は自分から勝ち取ったものじゃないし、心から嬉しくないの。
プロとしてはどんな仕事も全力で、なんだけど、やっぱり自分の努力で勝ち取った役の方がやる気は断然違うのも当然でしょ。
「もう話がないなら少し仮眠取ってもいいですか?」
「はい。現場に到着したら起こさせてもらいますので」
アタシは軽く溜め息を吐くと、窓の方に顔を向けて目を細めた。
すると不意にある人物のことが脳裏に過ぎる。
そういやアイツ、アタシのこと知らなかったのよね。
アタシはアイドル声優ということもあり、それなりに学園では人気者だ。だが認知度でいえば、どうしても勝てない人物が二人ほどいる。
一人は生徒会長の多華町紗依。美術作品かと思うくらいに美しい容姿で、アタシもそこそこルックスには自信があるが、一目見て圧倒されたのを覚えている。
まるで神が自分で直接創ったかのような、まさに時代に選ばれた女性だ。
ついそんなふうに思ってしまうほどに多華町紗依は別格であり、その人気はアタシよりも上である。
同じ女性として悔しいとも思うし、いつか超えてやりたい。
そしてもう一人――。
彼とは今日初めて対面した。
学園では『巨人』と呼ばれている人物である。
本人は知ってか知らずか、彼の認知度もまたずば抜けているのだ。
まあ彼の外見を一目見れば忘れもしないだろう。
あの驚愕の巨体は、多華町紗依とは別の意味で圧倒される存在感を醸し出している。
きっと今年入学してきた新入生たちにも瞬く間に彼の存在が広がったことだろう。
『アイドル声優』の桃ノ森ももり。
『完璧な生徒会長』の多華町紗依。
『巨人』の不々動悟老。
この三人が、学園で人気を三分している。
ただ巨人くんの場合はポジティブな人気じゃないでしょうけどねー。
そこには畏怖や忌避感みたいな負の感情も含まれていることだろう。
まあそんなこといったらアタシや生徒会長だって、他の女子に嫉妬とかされてると思うけどね。
でもそんな人気のあるアタシのことを巨人くん……不々動くんは知らなかった。
それに……だ。
『すみません。ですが興味ないものはさすがに知らないので』
今まで生きてきて初めて言われた言葉である。
これでもアイドル声優なのだ。いや、たとえ声優をやってなくても、この見た目は少なからず自信がある。
実際一目惚れをしましたと何度告白されたかも分からない。
男子なら多分アタシのような外見がタイプというのは多いと思う。
それは今まで過ごしてきた学園生活でも明らかになっている。
なのに興味ないときたものだ。
しかもアタシが接近しても表情筋一つ動かさなかった。
女子に興味無い? ……そんな男子っているの?
高校男子という生き物は、エッチでバカな存在だってのは知っている。見た目が良い女子が近寄っただけでドギマギしたり、そうでなくとも意識してしまうものだろう。これもまた今までの経験だが。
実際今までの男子は胸やお尻とか絶対に見てきたし。
しかし不々動くんは本当に興味ないものを見るような眼差しでアタシを見つめていた。
あんな態度を取る男子は彼が初めてた。
「……ちょっと悔しいし」
誰にも聞き取れないほどの小声で呟く。
すべての男子の視線はアタシのものなんてことは言わないし、そんなのはいらない。鬱陶しいだけだから。
だけどああも興味を示されないのも何だかムカつく。
アタシの言動で照れたり動揺するところを何となく見たいと思わせる。
こんな感情もまた初体験だけどね。
でも……と窓の外を眺めていたら、通りかかった公園で遊ぶ二人の子供に意識が向く。
男の子がブランコに乗っている女の子の背を押してあげていた。
直後、過去の記憶がフラッシュバックする。
それは幼い頃の自分と、ある少年との思い出。
ブランコの傍で泣きじゃくるアタシと、額から血を流して倒れている少年。
アタシのせいで酷いことになっている少年が、それでも健気に笑みを浮かべながらこう言う。
『だいじょーぶだいじょーぶ』
その時、怪我を負ってもなおアタシのために浮かべる笑顔に、アタシの心は奪われた……んだと思う。
残念ながら彼は数日後、この街からいなくなった。
何でも親が実家に帰省するということでついてきただけとのこと。彼は自分の住む街へと戻っていたのだ。
…………あの額の傷。
気になったのは不々動くんにもついていた大きな傷痕である。
あれだけの血を流したのだから、一生傷になっていてもおかしくはない。
ただ……。
あの子は不々動くんみたいに不愛想じゃないもんね。
どちらかというとよく笑う少年だった気がする。確かに身体の大きさは普通の子とは大きかった気もするけど……。
ある公園で知り合って、それから一緒に遊ぶようになったのだ。
そしてあれがアタシの初恋。
あの子とアタシは、事件が起こる前にある誓いを立てた。
あの子との誓いがあるから今のアタシがある。
いつかまた再会した時に、ある言葉を伝えたいから。
…………あー、何かちょっとセンチメンタルになっちゃってたわ。とにかく今は不々動くんよ。待ってなさいよ不々動くん。アタシの名前と存在をキミの脳に刻み付けてあげるから。
「……フフフ、フフフフフフフフ」
突然笑い出したアタシを、柊さんがバックミラーで見ながら明らかに引いていた。
良かったらブックマーク、評価などして頂けたら嬉しいです。