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「こんばんわ、繭原さん。不々動です」
「あ、ああああの! お忙しくなかったでしょうか?」
「問題ありません。相談したいとのことでしたが?」
「あ、はい。実はですね……うちには弟がいまして」
「弟さん、ですか。会ったことはありませんね」
彼女の実家は本屋を営んでおり、僕もしょっちゅうお世話になるが、彼女の弟らしい子と会ったことはなかった。
「えと、まだ五歳で、いつも家の中でゲームばかりしてるので。できればお店の手伝いとかしてくれたらお母さんたちも助かるんですけどね。あ、でもすっごく良い子なんですよ! 私の誕生日には手作りのプレゼントまで作ってくれるので!」
「なるほど。繭原さんと一緒で、とても心根の優しい子なんですね」
「そ、そんな……優しいなんて……ぁう……」
「? 繭原さん? どうしました?」
「い、いえ! 何でもありません! 私、不意打ちには負けませんから!」
不意打ち? 何のことを言っているのだろうか?
「そ、それでですね! その弟が通ってる幼稚園で、近々お遊戯大会が行われるんですけど」
おや、お遊戯大会? どこかで聞いた話ですね。
「そのお遊戯大会で弟の組は演劇をやることになっていて、それが少し問題が起きていまして」
またまた既視感溢れる言葉が飛び出てきた。
「演劇……ですか。問題とはどういったことですか?」
「何でも女の子たちは『マッチうりの少女』をやりたいと言っていて」
……ん?
「男の子たちは『泣いた赤鬼』をやりたいらしくて。あの、ご存知でしょうか『泣いた赤鬼』のお話は?」
「はい。何て言うか少し悲しいお話ですよね」
「そうなんです。でもそこはその……原作を書き換えて、ハッピーエンドにするらしくて。悲しくて泣くのではなく、嬉しくて泣く、みたいな」
内容は確かこうだ。
とある山の中に、人間と遊びたいと願う一人の赤鬼がいた。いろいろ仲良くなるために画策するが、ことごとく失敗してしまう。
そんな赤鬼を不憫に思った親友の青鬼が、こう提案する。
『自分が暴れ回るから、それを赤鬼が倒す。そうすれば人間たちは感謝して、赤鬼のことを認めてくれる』
そして実際に青鬼は大暴れをして、赤鬼が人間たちを守るために戦う演技をする。
見事策略は成功し、赤鬼は人間たちと楽しい日々を暮らしていく。
しかしふと気になるのは、青鬼がそれから姿を見せないことだった。
赤鬼が、彼の家を尋ねると一通の貼り紙が。
そこには要約してこう書かれていた。
『自分が傍にいれば、せっかく仲良くなれた人間たちが怯える。それは君にとって邪魔になってしまう。だから自分は旅に出る。いつまでも友達だよ。元気で』
その言葉を見た赤鬼は、失った心優しい親友の大きさに嘆くという話だ。
だが繭原さん曰く、青鬼も一緒に人間たちと遊べるようになり、ハッピーエンドな物語として劇を行うとのこと。
「なるほど。……ちなみにですが、一つお聞きしてもいいですか?」
「あ、はい。どうぞ」
「弟さんが通ってらっしゃる幼稚園のお名前は?」
「名前ですか? それは――――【おおわかば幼稚園】です」
――翌日。
本日は少し早めに学園へ行き、その足で動物たちが飼われている飼育エリアへと向かう。
そこにはすでに竹ぼうきで小屋の周りを掃除する繭原さんがいた。
「おはようございます。今日も早いですね、繭原さん」
「あ、お、おはようございます! 今日も大きくてすっごく良いと思います!」
「は、はぁ、ありがとうございます」
それは誉め言葉なのだろうか……うん、きっと彼女にとってはそうなのだろう。
僕たちはともに飼育委員で、毎週金曜日を担当し、掃除や餌やりなどを行っている。
慣れた手つきで僕たちは動物たちの世話をしていく。
そして一通り終わったところで、僕は学園に来る前に買っておいたミルクティを彼女に手渡す。
「あ、あのあの! 悪いですよ!」
「いいえ、受け取ってください。いつも面白い本を紹介して頂けるお礼でもありますし」
「…………ありがとうございます」
自分の分も買っていたので、二人で一緒に喉を潤す。
「そういえば例の話なんですが」
「ああはい。えと……幼稚園でもどっちの演劇にするかまだ確定はしていないようでして」
「なるほど。珠乃からそんな話は聞いていなかったものですから」
「そうだったんですね。でも私も驚きました。まさか珠乃ちゃんが弟と一緒の幼稚園に通ってたなんて」
「本当に奇遇ですね。この界隈には三つほど幼稚園があるのでまさかと思っていましたが」
「あはは、そうですよね。……それで演劇のお話なんですけど、先生たちもどうしようか困っているらしく、それで保護者の方たちにもアンケートをと聞いたみたいなんですけど、それが見事に……」
「半々だったわけですね」
珠乃が所属する『いちご組』は、男女ともに七人ずつ均等に分かれている。
男子は『泣いた赤鬼』、女子は『マッチうりの少女』と綺麗に意見が分かれ、親たちもやっぱり自分の子供の意見を尊重したいということで、結果的に五分五分になっているとのこと。
ちなみに不々動家はお婆ちゃんがアンケートに答えたそうで、やはり珠乃の意思を受け入れた。
お婆ちゃんもそのことを言ってくれていれば良かったのにと思うが、大したことではないと黙っていたらしい。
「それで今、どっちの劇にするか保護者も交えて議論していると?」
「はい。うちのお母さんも数日前に行われた保護者会議に出たらしくて。でもやっぱり決まらなくて」
特に子供らは、自分たちが主張する劇をやりたいということで譲らないので、親も先生方も悩んでいるという。
「何か良い案があればなって不々動くんに相談したんです」
そう言われても難しい問題である。
子供たちの意見を尊重したいという考えは大事だ。
けれどそれを重視した結果、今のような事態に落ち込んだのである。
ただここで親や先生が勝手に決めるというのも、今の時代ではこれまた難しい話。
そんなの一部の子供たちが我慢することになり、それはみんなで仲良くという精神が崩れていると指摘され、下手をすれば我慢をすることになった親に逆切れされることもある。
中には幼稚園にまで殴り込んできて、子供たちがいる前で怒鳴り声を上げた親もいたという。
いわゆるモンスターペアレントという奴だ。自分の子供を何よりも優先し、まるで王子様やお姫様のように扱ってもらわないと気が済まない。
教育現場では、こういう親たちの存在には本当に困っているらしい。
「今度の日曜日にも保護者会議が行われるんですが、その時私も一緒に来てほしいってお母さんに言われてて。それで……その、ご迷惑かもしれませんけど、もし良かったら不々動くんにもついてきてほしい……なと」
上目遣いで嘆願してくる繭原さん。
長い前髪からチラチラと見える瞳は濡れたように動いていた。
「……そう、ですね。自分も他人事ではありませんし」
何よりも大事にしている珠乃のためでもある。
このままでは結局決まらず、最悪お遊戯自体ができなくなる可能性だってある。
それは一部だけではなく、『いちご組』の園児たちやその家族全員が悲しむ事態を招いてしまう。
何としてもそれだけは避けなければならない。
「自分に何ができるか分かりませんが、珠乃たちが楽しんでお遊戯を披露できるように尽力します」
「ほ、ほんとですか! ああ、やっぱり不々動くんに頼んで良かったぁ。えへへ」
本当は時間があれば執筆作業に当てたいが、身内が関わっている以上、そしてこうして頼まれた以上は無下にできない。
とりあえず良い案を互いに考えようということで、飼育委員の仕事を終え一緒に教室へと向かっていった。
そこで普段と変わらぬ日常を過ごしたのだが、気になったのは伏見くんの姿がなかったことだった。
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