プロローグ
「あら、おはようございます、ゴローさん。今日もお早いですね」
台所に立つ僕の背後から声を聞かせてくれたのはお婆ちゃんである。
家族である僕に対してもきちんと一礼をする丁寧さだ。
僕も彼女に倣って、振り向いて頭を下げる。
「おはようございます、お婆ちゃん」
現在早朝六時過ぎ。
いつもの日課で、五時半に起きて家庭菜園の様子を見つつ、時間が余れば軽いランニングなどの運動を行う。
そして六時には朝食と弁当作りだ。
そこへお婆ちゃんが起きてきて、一緒に朝食を作るといった流れだろうか。
晴れていれば乾燥機を使わずに、洗濯物を干すのも一緒に行う。
「おやおや、今日も可愛らしいお弁当ですね」
お婆ちゃんが小さな弁当箱を見て頬を緩める。
「確か……キャラ弁……というのでしたっけ、ゴローさん?」
「はい、その通りです」
弁当箱に入れた白米の上に、卵やそぼろ、海苔やゴマなどを駆使して可愛らしいアニメや漫画などのキャラクターを描く。
俗にいうキャラ弁というやつで、小さい子供――特に女の子に人気だ。
当然僕の弁当は、ご飯に海苔だけを置いたシンプルなものであり、このキャラ弁は我が家の天使である妹の珠乃のものである。
前に彼女のお友達がキャラ弁をしてきて羨ましいと言っていたので、ネットや本などを購入して勉強してみた。
母親が傍にいないからといって、珠乃に劣等感などを味わってほしくない。
母親でなくてもキャラ弁くらい持たせてやるのが兄の務めだと思っている。
「これは何のキャラクターなのですか?」
「ロケットモンスターのテカチュウというやつらしいですね。元々はゲームでしたが、人気になってアニメや映画などにもなっています。珠乃もよく観ていますよ」
何でもロケット型のモンスターを駆使してレースを行い、技などを使って優勝を目指すものらしい。
モンスターのバリエーションも豊富だが、とにかく可愛いということで子供に絶大な人気を誇っている。
その中でもこのテカチュウというのはアニメの主人公が最初に仲間にしたモンスターであり、その見た目も愛らしいネズミ型をしており人気ナンバーワンだ。
「へぇ、最近のお弁当というものは、昔と違ってカラフルで楽しそうですね。何だか食べるのがもったいないくらいです」
僕のような素人が作ったものはまあまだ未熟だ。
本当に凄いものになると、明らかに芸術の域に入っており、まさにアート作品なので、食べるより飾っておきたいと思うこともあるだろう。
「そういえばゴローさん、二年生になって新しい男友達はできましたか?」
「…………いえ」
「そう、なのですか。ではお友達はももりちゃんくらいなんですね?」
「桃ノ森さんは友達というわけはないと思いますが」
「え?」
「え?」
互いに顔を見合わせて固まる。
何かおかしなことを言ったのだろうか。
「え、えっと……ももりちゃんは最近よく遊びにきますよね?」
「はぁ。仏壇にお線香をあげてくれますし、珠乃の遊び相手になってくれていますから感謝していますね」
「……それってお友達ではないのですか?」
「? ……珠乃のお友達には違いないと思いますが」
しかし自分の? と考えると首を傾げざるを得ない。
そもそもよく考えれば友達の定義が分からない。
コミュニケーション能力のバケモノだった、他界した兄である悟道くんなら即座に友達とは何ぞやと答えられるのだろうが、僕は今まで友達だと胸を張れるような存在はいなかった。
中学に入るまでは、ずっと傍に悟道くんがいてくれたし、彼だけで良いとさえ思っていたので、深く考えたことはない。
中学に上がってからは、成長期が爆発し、この見た目に拍車がかかることで極端に怯えられ距離を取られるので、親しい間柄の人物はいなかった。
「…………ゴローさん、私としてはもう少し学生らしいというか、楽しい青春を送ってほしいと思っているんですが」
「? 十分に楽しいですが?」
現状に不満など持っていないのは事実だ。
するとお婆ちゃんはやれやれと言った感じで深い溜め息を吐く。
「これは……良くないところがお爺さんや、母親のあの子にそっくりですね……はぁ」
何やら頭を抱えながら小声で呟いているようだが……。
「ゴローさん、高校時代は二度と来ないのですよ? 灰色の高校生活というものは、大人になると必ず後悔してしまうものです。私はゴローさんには、忘れられない思い出というものをたくさん作ってほしいのです」
「は、はい」
いつになく真剣なお婆ちゃんの言葉に思わず背筋がピンとなる。
こう見えても剣道家としてトップクラスに立った人だ。普段は穏やかで物静かだが、真面目に説教ムードになると威圧感は何倍にも膨れ上がる。
まるで今、戦場に立っているような錯覚さえ感じるのだ。
「別にお友達をたくさん作ってほしいと言っているのではありません。たった一人でもいい。一人でもいいから、互いに信頼し支えられるような人を持ってほしいのです」
「それは……どーくんのような人を見つけろと?」
「いいえ。ゴドーさんは家族でしょう? 親しくなれば境界線は曖昧になったりはしますが、他人をゴドーさんと重ねてはいけません。あなたがその曇りなき眼で見て、傍にいたい、いてほしいと思えるようなお友達を作ってもらいたいのです」
「……自分には難しいです」
「あなたが自分に自信がないのは分かっています。それにこれから作家としても忙しくなってくるでしょう。そうなれば学生として遊べる時間も削られしまうかもしれない。だからこそあなたのことを理解し支えてくれるようなお友達が必要だと思うのです。こればかりは女性では困難です。異性ということで話せないことはたくさんあります。ですから気心を許せる男友達が良いのです」
お婆ちゃんは「それに」と言って続ける。
「せっかくの学生生活、保護者としては目一杯楽しんでほしいですから」
ニッコリと優しさに溢れた笑みを浮かべるお婆ちゃんを見て思い悩んでしまう。
友達……ですか。
実際、中学時代のことだ。
どーくんがいなくなった悲しみは、僕の心にポッカリと穴を開けてしまい、何をしても楽しさなど皆無だった。
少しずつ時間と趣味、そして珠乃の存在が埋めてくれたのが幸いだっただろう。
そんな中、実は友達になろうと話しかけてくれた人物はいたにはいたのだ。
僕もそれを受け入れて、彼らと一緒に休日に出掛けたこともあった。
しかしある放課後、その彼らが僕に対して何かを話しているのを耳にしたのである。
『なあなあ、もうアイツ呼ばなくていいんじゃね?』
『ああ、巨人のことな。アイツ、遊んでても自分から喋らねえし、こっちの話にもリアクション薄いしな』
『まあ不良グループにも一目置かれてっから、傍に置いときゃ箔がつくって思ったけど、正直アイツがいるだけで空気重いしなぁ』
『それにアイツといるせいで、その不良に絡まれたりもしたし。アイツのこと聞かれたりほんっとウゼェ』
『つーか、あの巨人さ、この前手作りクッキーなんて持ってきてんの。作ったので食べてくださいって。乙女かっつうの! マジウケたわ』
『もうそろそろ切っていいんじゃね? 巨人とつるんでると周りに変な目で見られるし』
『そうそう。俺なんて彼女にヤクザと繋がってるでしょとか聞かれてたし。巨人、ヤクザに見られてて笑った』
僕はそれ以上聞いていられなくて逃げるように立ち去ったのを覚えている。
当然そのあとは、彼らと距離を置き、自然に疎遠になった。
それからは友達というものがどんな存在なのかよく分からなくなったのだ。
この見た目や噂があるせいで、たとえ友達を作ったとしてもきっと迷惑をかけるだけ。
ならばいっそのことそんなものはいらないと思った。
他人とはできるだけ距離を取ろう、と。
でも……。
授業の休み時間や放課後に友達同士で笑い合い、楽しそうに会話をしているところを見ると羨ましいと思うこともたまにある。
互いを信頼し支え合う友達。
本当に自分なんかが得られるようなものなのでしょうか。
僕はお婆ちゃんに申し訳ない気分を抱きつつ、不毛な考えを破棄して弁当作りを再開した。
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