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授業中も教室の空気はどこか緊張感が漂い、クラスメイトたちの多くはチラチラと僕や桃ノ森さんを見ては、何かを書いた紙を回し読みをしていた。
また休憩に入る度に繭原さんが僕の方を見て寂しそうな表情をしていることにも気づく。
だから彼女にはメールで「先程は不快な思いをさせて申し訳ございません。いずれお話させてもらいますので、よろしかったらお待ちください」とだけ送った。
たとえ嫌われたとしても、不快にさせた分は謝らなければ筋が通らない。
するとそれを見たのか、繭原さんは何やらホッとした様子を見せてくれたので、こちらとしても対応は間違ってなかったのだと思い安堵したのである。
そして昼休憩になった時のことだ。
僕は桃ノ森さんとの約束を果たすべく、あそこに向かおうとした矢先、僕のスマホがバイブする。
見ると多華町先輩からメールが来ていた。
『よくない噂を耳にしたのだけれど、その真実を知りたいので良かったら生徒会室に来てはくれないかしら?』
恐らくは朝の騒ぎを聞いた他の生徒がいて、面白半分で吹聴したのかもしれない。
もしくはクラスメイトが口を割って、それが歪んで伝わっていき『よくない噂』に繋がった可能性もある。
まあ、良くも悪くも桃ノ森さんを泣かせてしまったのは事実ですからね。
これは真実だ。このことだけでも広まれば、もともと悪い噂しかない僕と、皆のアイドルである桃ノ森さんのどっちが正しいかなどすぐに決定してしまうだろう。
とはいえまずは多華町先輩だ。
僕は『すみません、先約があります。事情はまたいずれ』とだけ送り、桃ノ森さんを待たせないように向かう。
到着した先は、屋上の一角。
以前桃ノ森さんと二人で会話をしたあのベンチである。
「あ、良かった。来てくれたんだね。アタシが教室を出る時、スマホ触ってたからまた先約とかでドタキャンされるかもってドキドキしてたし」
「安心してください。今回はこちらが先約なので」
桃ノ森さんは「えへへ、そっかー」と持っていた小さな弁当箱を膝の上に置きながら、両腕を高く上げて大きく伸びをする。
「う~ん、ここって気持ち良いよね。巨人くんが何でここでお弁当を食べてるのか分かったかも。……何突っ立てるの? ほらほら、横に来て」
ポンポンと自分の隣を軽く叩く桃ノ森さん。
「……失礼します」
短く応えて、少し距離を開けて座る。
そしてすぐに……。
「あの、あの時はすみませんでし――」
「待って」
「え?」
「……謝っちゃダメだし。あれは完全にアタシの勘違いというか自爆で、うわぁぁ~今思い出しても恥ずかしいし~」
両手で顔を覆っている桃ノ森さんの表情は確かに紅潮している。
「はぁぁぁ~。……だからね、巨人くんは巻き込まれただけ。謝るのはこっちだから」
「いえ……」
今、そのことを言おうかどうかタイミングを見計らっていると、先に桃ノ森さんが口を開く。
「ちょっと聞いてくれていいかな?」
「? ……はい」
桃ノ森さんは大きく深呼吸をすると、顎を軽く上げ青く晴れた空を見上げて語り出す。
「アタシはね、小さい頃から引っ込み思案で人見知りで……ものすごーく地味な女の子だったのよ」
それは……とても信じられない。
僕から見ればコミュ力が限界突破したような人物だから。
「それは本当ですか? 桃ノ森さんは気さくで人懐っこいというか、明るくて誰からも好かれるような印象があったのですが」
「う~ん……それは表向きの顔……みたいなもんかな」
「表向き?」
「だってアタシ、家の中とかもうめっちゃ暗いよ? 弟とかに話しかけられてもすぐに会話とか終わらせたりするし」
「暗い……想像もつきません」
「あはは……でも地味だった時よりは良かったって思ってる。友達もいなくて、いつも一人っきりだったもん」
ふぅ……と微かに溜め息を吐いたあと、彼女は続けて言う。
「そんなぼっちで地味だったアタシをね、変えてくれた子がいたの」
「…………」
「それが――昨日話した思い出の子」
「……!」
「小学二年生の頃ね、いつものように一人でブランコに乗って、他の子たちが楽しそうに遊んでいるのをぼ~っと眺めていたの。ああ、羨ましいなぁ、楽しそうだなぁって。でも自分から声をかける勇気とかなしヘタレっ子だったし見てることしかできなかった」
そこへね、と桃ノ森さんが続ける。
「ある一人の男の子が近づいてきて、アタシに手を差し伸べてこう言ったの。『いっしょにあそぼ!』って。嬉しかったなぁ」
桃ノ森さんは懐かしいような表情を浮かべ、本当に嬉しかったのか自然な笑みを浮かべている。
それは心からの笑顔のような気がした。
「その子は夏休みにこの街にやってきていた他県の子でさ、アタシはその子のことを『どーくん』って呼んでた」
「!? どーくん……」
それはとてもとても聞き覚えのある名前だった。
しかし口は挟まずに、彼女の声に耳を傾けていた。
※
「どーくんは、ほんっとーに強引でね。知り合ってからは毎日アタシの家まで来て、アタシを家から引っ張り出しいろんなところに連れ出された。最初は戸惑ってたけど、アタシは…………とっても楽しかった」
たった数日の、幼い頃の記憶だというのに鮮明に覚えている。
それだけあの出来事は、アタシの中では人生で最高の思い出なのだろう。
どーくん――彼と一緒にいった場所は全部記憶にある。もちろんそこで何をしたかも、だ。
よく笑い、ハキハキと物を言う子で、それにつられてこっちも笑顔になる。
まるで太陽のような、傍にいるだけで心がポカポカする子だった。
「あ、昨日の清掃活動だけど、それも一緒に参加したんだ。どーくんってばはしゃぎ過ぎて池に落ちちゃって大変だったんだから」
ああ楽しい。こうして思い返しているだけで笑みが零れてくる。
「お互いの夢も語り合ったかなぁ。どーくんの夢は『サッカー選手』。あはは、子供っぽくて良いよね。そしてアタシは…………『アイドル』になること」
どちらも子供が抱く夢としては普通だ。ありふれた可愛らしい夢だろう。
アタシのはただ、キラキラしているアイドルが可愛くて、自分も一度はあんな素敵な舞台で歌ってみたいなぁという幻想だった。
「それでね……もうすぐどーくんが実家に帰らなきゃって日がどんどん近づいてきたの。それを聞くとね、やっぱり……悲しかった」
初めてできた友達。いつまでも一緒に遊びたいと思っていた。
でも夢のような時間はもうすぐ終わる。
だから寂しくて帰らないでって何度も泣きながら言った。
「けどどーくんは約束してくれたの。また会おうって」
「…………」
巨人くんは余計な言葉を入れず、真っ直ぐアタシの話を聞いていてくれる。
ただ少し彼の表情も懐かしそうなのが気にはなったけれど。
「そんでね、二人である誓いを立てたんだ」
それは――。
『今度会う時は、夢が叶うように頑張ってる姿を見せ会おう』
夢は人を強く逞しくする。
どーくんは、それを父親から教わったのだと言う。
何でも祖父は、『剣道家』になってほしいらしいが、父親は好きな夢を叶えろと背中を押してくれていたとのこと。
だからどーくんは、自分が凄いと思ったサッカー選手を超えるような選手になりたいと思ったらしい。
「アタシもどーくんみたいに頑張ろうって思った。でも子供の時の何気ない約束だから、あまり重くは受け止めてなかったかな。その時はね」
「本当にお二人は仲が良かったのですね」
「うん。……でも、誓いを立てた翌日に、ある事件が起きた」
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