16
生徒指導室に呼び出されるのは何も初めてのことではない。
校内に広がる噂が噂のため、その真偽を問い質す必要があり、何度か出頭を命じられている。
今回もまた何か新たな噂が出たのだろうと思い、辟易する思いで向かった。
ノックをすると、中から「入ってもいいよー」とフレンドリーさを感じさせる声が聞こえる。
「――失礼します」
一言添えて扉を開ける。
部屋の中央にはテーブルが設置されてあり、それを挟んで二つのソファが睨み合っている。
廊下から見て右側に教科書などを収めた本棚が置かれ、左側にはトロフィーや賞状などが飾られた棚があるのだ。
元々ここは囲碁部だったらしく、今では部員一人もいない過去の栄光だけが輝く部屋となっている。
そのまま放置するのはもったいないということで、数年前に生徒指導室として使用することになったという。
「やあやあ不々動くん、待ってたよー!」
「お久しぶりです、友枝先生」
黒のスーツ姿をした一人の少女、もとい女性がソファに座っていた。
――友枝ゆえ。
オレンジ色のショートヘアに、くりっと大きな丸い瞳と小粒の顔。にんまりと笑うとペコリとえくぼが浮き出てくる。
見た目は完全に中学生っぽい……いや、ともすれば小学生に匹敵する身形だが、これでもれっきとした成人女性だ。
本人も幼い見た目がコンプレックスのようで、せめての抵抗と言わんばかりにイヤリングやネックレス、大人びたスーツなどを着たりしているらしいが、絶望的なまでに似合っていない。
どちらかというと、可愛らしいリボンやピンク色のワンピースなどがピッタリの人物である。
「ほらほら、早く座って座ってー。お茶菓子用意しといたからね!」
「きょ、恐縮です」
友枝先生と対面するソファに座ると、彼女に熱い緑茶を入れてもらう。
茶菓子には小皿に豆大福がポツンと置かれている。
「ん、ん、ん……ふぅぅ~、やっぱり日本人はお茶だよねー」
美味しそうにお茶を飲みながら生温かい息を零す友枝先生。
「あ、あの、お話というのは?」
「あっ、そうだった! えへへ、ごめんねー、ちょっとまったりしちゃってたよー!」
いけないいけないと、舌をペロリと出す姿はとても愛くるしい。
「あのね、去年わたしってば不々動くんの担任だったでしょー?」
「はい。去年はお世話になりました」
「いえいえ、こちらこそだよー。最初見た時はおっきな子だなーって思ってビックリしちゃったしね。あ、そうそう、ビックリしたといえばね、昨日の夕方に出たんだよー。あのにっくきGがね。しかも二匹も! うぅ~、一匹見たら三十匹はいるってほんとかな? 引っ越した方が良い? でもなぁ、引っ越し代もバカにならないしなぁ~」
「友枝先生、いつものように脱線しています」
「はっ、おっといけねえぜぃ! ごめんね!」
こんなふうに友枝先生はお喋り好きだ。毎度脱線して本筋とは離れた話をしてしまい、結局本題に入れずに頭を抱えてしまうといったことも珍しくないのである。
「あのね、去年から生徒指導役も任されてて、こうやってよく不々動くんを呼び出してたでしょ?」
「はい。その節はいろいろご迷惑をおかけてしてすみません」
「ううん。不々動くんが良い子ってのは知ってるもん。だからわたしは何も心配してないよー。それは去年の一年間で、他の先生たちも理解してくれてるしね! 不々動くんは授業もしっかり受けてくれるし、成績だって良い方。特にわたしが担当してる歴史なんか学年トップだし! 鼻が高いよー」
「それは、ありがとうございます」
「うんうん。だからね、良くない噂とかあるのはすっごく残念。まあそれは、不々動くんがあまり他の子たちと関わらないっていう理由もあるかもしれないけどね」
少し困った感じで苦笑を浮かべる友枝先生に対し、申し訳ないと感じ僕は頭をボリボリとかく。
「不々動くんとちゃ~んと接すれば良い子だってみんな分かると思うけどなぁ」
「まあ、この見た目ですから」
「う~ん、でもね先生としては、やっぱり見た目で人を判断してほしくはないんだ。それに君にも、あまり自分のことを卑下してほしくないし」
「自分は自分を正当に評価しているつもりですが」
「はぁ。君はこれだからなぁ。わたしとしてはもっと他人と関わってほしいんだけど……」
「…………先生、また脱線している気がするんですが?」
「あーそだね。じゃあ本題に入ろうか」
友枝先生は諦めたように肩を竦めると、ようやく本題を口にする。
「不々動くん、君が今度プロの作家としてデビューすると聞きました」
「! ……その話はどこから」
「君のお婆様からだよ」
僕としては別にわざわざ教えなくとも問題はないと思っていたが、お婆さんやお爺さんは一応仕事をするのだからと学校に連絡をしておいた方が良いと判断したようだ。
そして去年世話になり、僕のことをよく知っている友枝先生に話がいき、こうして事実確認と今後の動きなどについて聞くために呼び出したという。
「そっかぁ、君の趣味が小説創作だったことは知ってるけど、まさかプロになっちゃうなんてなぁ」
「自分もまだ信じられませんが」
「あはは、未来の大作家の誕生かな?」
「そんな……自分はそんな偉大な人物にはなれないと思いますけど」
「もう! 激しい競争社会に足を踏み入れたんだよ! 少しくらいは自信を持たなきゃダメ!」
子供のように頬を膨らませて叱ってくるが、まったく威圧感がない。
「えっとぉ、ライトノベル……だっけ? 君の書くジャンルって」
「はい。縮めるとラノベですね」
「アニメ化とかもされるんだよね? 凄いよね。もしそうなったらわたしもちゃんと観るからね!」
「アニメ化……ですか」
もちろん自分の作品がアニメとして動く想像をしたことがないわけではない。
自分の書く作品が、もしアニメになったらと頭の中で楽しむのは、作家として誰もが通っているような気がする。
ただあまりにも現実感は乏しいのは否めないが。
「それで? いつ頃、本が発売されるとか決まってるの?」
「いえ、それはまだ。イラストレーターさんも決まっていませんし」
「あーそっかぁ。普通の文学作品とかと違って、ライトノベルって漫画みたいに絵がつくんだよね。可愛い女の子の絵とか」
「そうですね。どうしても需要が男性よりなので、美少女イラストが多くなっています」
ただ最近はカッコ良い表紙などが売れたりするとも聞く。僕もどちらかというと、カッコ良い系の表紙の方が興味をそそる。
時代時代で変わっていっているのかもしれない。
「じゃあほんとにプロの作家として仕事をしていくってことで良いんだね?」
「はい」
「うん、了解だよ。ただ学業もちゃんとこなさないといけないよ」
「分かっています。しっかりと両立させるつもりです」
「そだね。真面目な君だからそこも心配してないかな。でも二足の草鞋って思ったより大変だと思うし、何か辛いこととかあったら遠慮せずにわたしに話してほしいな」
「ありがとうございます。その時は是非」
「あはは、でもほんとに良かったねー。おめでとう。わたしも嬉しいよー」
友枝先生は、こんなふうに真っ直ぐ僕の眼を見て話してくれる。
見た目は確かに頼りなさそうに見えるが、生徒の視線に立って、間違っていたらちゃんと叱ってくれるし、嬉しいことがあれば一緒に喜んでくれる。
中学の頃は、僕の見た目だけで判断し、噂を信じて突き放してくるような教師が多かった。真実を話しているのに、言い訳はするな、と何度言われたことか。
だから本当に友枝先生は素晴らしい教師だと思うし、僕も人として尊敬している。
ただ少し残念な部分はあるが……。
「よし! これで不々動くんのお話は終わり! さて……次はわたしのお話なんだけどね……」
ただならぬ負のオーラを纏い始めた彼女を見て、僕は思わずまたか……と肩が落ちた。
「また…………ね、見合い相手に断られた……んだよ」
「は、はぁ……またですか」
「うぅぅ……何で? 何でいつも見合い写真を送ったら断られるの! わたしってばそんな見た目ダメダメなのかな!」
涙目で訴えてくる。
「ち、ちなみにそのお見合い写真は今手元にありますか? 差支えなければ確認させて頂きたいのですが」
「これだよ!」
そう言って携帯で撮った写真を見せてくれるが……。
「ね? ね? どこも悪くないでしょ? 着物だって綺麗だし! わたしもちゃんとおめかししてるんだから!」
……………………正直、七五三の上位互換にしか見えない。
子供が大分背伸びしましたよ、ってな感じの写真だ。
着物を着ているというより、着せられているといえばいいのか。
化粧も童顔の彼女に酷く似合っていない。まだナチュラルメイクの方が……というかそもそもスッピンでも良いような気もする。
「うぅ……もう二十五なのにぃ。四捨五入したら三十だよ三十。この間、同級生の結婚式だってあってね……」
「べ、別に焦る必要はないのでは? そのうち友枝先生を好きになってくれる男性も現れるはずですから」
「………………そのうちっていつ?」
「そ、それは……」
「いい不々動くん? 女はね、男と違って歳を重ねるだけ結婚が遠のいていくんだよ。特に出産とか難しくなっちゃうんだよ! わたしだって子供ほしいもんっ! 三人はほしいもんっ!」
そ、そんなこと言われても……。
これが友枝先生に対し、唯一といっていいくらいのめんどくさい部分である。
まあ確かに友枝先生の見た目は、いくら年齢的に大人といえど何か犯罪臭い。
そういう趣味でなければ、普通の性癖を持つ男性はやはり拒否してしまうのだろう。
「みんな口を揃えてわたしをロリだロリだっていうの。分かってるよ? 自分の見た目がロリ寄りだって」
いえ、寄りではなく絶対的にロリータだと思います。外見的に。
「胸だってBよりのAだし」
それは本当ですか? まったくもって膨らみが見当たらないのですが……とは口が裂けても言えない。
「でもねっ! わたしは尽くすタイプだよ! 家事だってできるし、彼氏が望めばSMだって許容範囲の女だよ! は、恥ずかしいけど露出プレイだって頑張れるから!」
「あ、あの、生徒の前でそんな話はどうかと……」
「何で!? わたしこのまま一生彼氏できないで終わりたくないよぉっ! 童貞は三十歳で魔法使いになれるかもしれないけど、じゃあ処女は何になれるのさーっ!」
知りません。というか魔法使いにもなれないですから。都市伝説ですから。
というより処女だったんですね。あまり知りたくはありませんでした。何だか悲しくなりますから。
きっともう興奮し過ぎて自分が何を言っているのか理解していないのだろう。
「ちょっとっ、不々動くん聞いてるの!」
「は、はい! ちゃんと聞いています!」
それからチャイムが鳴るまで延々と愚痴が続いた。
そして決まってその頃には、すっきりした顔で眠りこけるのである。
まったく、こういうところが子供みたいなのだが、何だかとても憎めない先生であった。
良かったらブックマーク、評価などして頂けたら嬉しいです。