10
いよいよこの日がやってきました。
そう、編集者さんが来る日なのです。
もしくは詐欺師……いやまあ、できればこっちの考えは当たってほしくありませんが。
朝早く起きて念入りに客間を中心に掃除はした。
お客様をお迎えしても失礼のない程度には綺麗だと思う。
僕は時計に視線を向ける。
約束ではあと十分ほどで、この家のチャイムが鳴るはずだ。
……ああ、いけませんね。まるでマラソンでもしたかのように心臓が高鳴っています。
すでに出迎えの準備は整っているので、あとは待つだけなのだが……。
「こらゴロー、そう忙しなくキョロキョロするな、鬱陶しいわい」
縁側に立ちそわそわしていると、ゆったりと茶を飲みながら新聞を読んでいるお爺ちゃんに注意を受ける。
「そうだそうだー、きょろきょろしゅるなー!」
お婆ちゃんの膝に座ってクレヨンで絵を描いている珠乃が、面白そうにお爺ちゃんの真似をする。
珠乃はいいですね、無邪気で。こっちは人生の分岐点を迎えている気分で落ちつかないというのに。
いや、ここは深呼吸ですね。
僕は縁側に正座で腰を下ろし精神集中をする。
「……………………あの、珠乃? 背中に乗るのは止めてほしいのですが?」
「にへへ~」
いえいえ、にへへではなく。……はぁ、これでは瞑想もできません。
僕は珠乃を右肩に乗せると、彼女も楽し気にキャッキャと声を上げながら僕の顔をペタペタと触り始める。少しくすぐったい。
そうですね。慌てたって仕方ありません。
僕も男です。不動の精神を以て待ち構えていようではありませんか。
――ピンポーン。
「こっ、こっ、こここここ来られたのですか!? ま、まだあと六分二十四秒もありますがっ!」
「だから落ち着けというに」
そう言われてもお爺ちゃん!
ああダメだ。やはり不動の心というのは難しいものだったようです。
お婆ちゃんが玄関へ出迎えに行くが、どうやら宅配便だったようだ。
詰まっていた息を吐き出し、再度深呼吸をする。
そうです。僕は虎です、虎になるのです。……ん? いやいや、虎になってどうするんですか。戦いにでも行くのですか僕は! というか僕は虎というよりは熊の方がしっくりくるというか……ああいえ、こんなくだらないことを考えてる暇などありませんね。
――ピンポーン。
……ふぅ。まだあと二分十三秒もあります。もう慌てませんよ。どうせまた宅配便かご近所さんのどちらかです。
僕は心を落ち着かせて、とりあえず縁側からテーブルへ移動し、用意した茶を一杯口に入れて――。
「ゴローさん、編集者さんが来られましたよー」
「ぶほぉぉっ!?」
「わっつ!? 何しやがるゴローッ!」
「げほっ、げほっ、げほっ! ず、ずびばぜん!」
まさか今度は本命だとは。
思わず口に含んでいたお茶を吹いてしまった。その犠牲になったのはお爺ちゃんだが。
「どうぞどうぞ、こちらが客間になっておりますので」
お婆ちゃんが編集者さんを客間へと通していく。
僕も急いでそちらへと向かわねばならない。
心を落ち着かせて、僕は珠乃を床に下ろしてから向かった。
和室になっている客間の前に立つと、中から軽く談笑している声が聞こえる。
さすが僕と違ってコミュニケーション能力に長けているお婆ちゃんだ。もう笑い声を交えた会話に発展しているらしい。
……よ、よし。行きましょう!
「ふ、不々動悟老、は、入ります!」
意を決して襖を開けて中に入った。
中ではグレーのスーツに身を包んだ女性とお婆ちゃんがいた……のだが、何故か二人とも僕の顔を見て時を凍らせたかのように固まっている。
……何故そんな驚いたような顔を? ……はっ! まさか挨拶の仕方を間違っていたとか!? 少し大きな声を出し過ぎましたか? いや、やはりこの見た目……あれ? でもじゃあ何故お婆ちゃんも?
この見た目で驚かれるのは理解できる。初対面なら尚更だ。
しかしお婆ちゃんも、というのが分からない。
すると……。
「「――フフフフフ」」
突如、二人して顔を背けながら笑い始めたのである。
………………はい?
「ほれゴロー、何突っ立ってんだ……って、何だお前その顔は!」
後ろからやってきたお爺ちゃんまで、僕の顔を見てギョッとなる。
「え? か、顔……ですか?」
「フフフフ、ゴローさん、はいこれ」
といまだ笑いながら手鏡をお婆ちゃんが渡してくれたので確認してみて納得した。
僕の顔には、それはもう誰かさんの芸術作品が刻まれていたのである。
まるで出来の悪いピエロのような仕上がり。
僕は犯人である人物に視線を向けた。
その人物は、お爺ちゃんの後ろでにんまりと笑顔を浮かべていた。
「やってくれましたね、珠乃」
「にへへ~。にぃやん、おもしろいの~」
思えば先程この子を肩に乗せて瞑想をしていた時、何やら顔を触っていたようだが、恐らく手に持っていたクレヨンで、僕の顔を画用紙にしていたのだろう。
確かに手鏡で見れば、クスッと笑ってしまうような化粧になっていた。
「…………はぁ。顔、洗ってきます」
「そ、その、お待たせして申し訳ございませんでした」
洗顔後、すぐに客間へと戻り編集者さんに謝罪をした。
現在この客間には僕と編集者さん、そしてお爺ちゃんだけだ。
「いえ、こちらこそ笑ってしまって申し訳ありません」
同様に頭を下げてきた。
丁寧な返しと同時に、この女性がとても凛としていて『デキる女性』をイメージさせる模範のように感じる。
顔を見ると、ナチュラルメイクではあるが非常に整った顔立ちをしており、ビシッと決まったスーツ姿もそうだが、背中に一本筋が入ったような佇まいは美しいとさえ思う。
少し目つきは鋭いが、大人の女性という枠組みにピタッと当て嵌まるような二十代の人物だろう。
「まずは自己紹介をさせて頂きます。私は株式会社KADOYAMA、激熱文庫編集部の日中縁里と申します」
そう言いながら僕だけでなく、お爺ちゃんの分まで名刺を差し出してくる。
見る限り、確かに今口にしたような肩書と名前が書かれていた。
コレが詐欺だとしたらずいぶんと手の込んだことだと思うが、こうして日中さんと相対してみて、他人を騙すような人物には思えない。
だとするとやはり今回の話は本物なのだろう。確信に近いものを感じると胸が熱くなってきた。
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