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「今忙しいから、さっさとどっか行ってほしいでござるよ」
「フンッ、何であたしがあんたの命令に従わないといけないのよ!」
「別に命令などしておらんでござる。邪魔だから消えてほしいと言っているのでござるよ」
「じゃ、邪魔ぁっ!? 言うに事欠いて邪魔って何よ! もーこのくせに! もーこのくせにぃぃぃっ!」
その場で悔しそうに地団駄を踏む嵐山先生。
そんな光景を見て、やはり面白そうに野次馬たちが見ている。本当にコミケでは名物と化しているようだ。
だがその時、サングラスとマスクをした人物がこちらを凝視していることに僕が気づく。
もしかしたらあの人、運営に携わる人で見周りをしているのかもしれない。
このままでは注意を受け、下手をすれば『モード:ルナ』さんたちにも迷惑をかけてしまう。
「あ、あのお二人とも、そろそろお静かにした方が良いかと」
「ん? ああ、すまぬでござるよ不動先生」
「はぁ? 何よあんた、いきなり出て……デカッ!?」
嵐山先生は僕を睨みつけたかと思うと、すぐにギョッとして後ずさった。
「な、なななな何よあんた! つーかダオシュ!? えっ、本物!?」
いえ、本物なわけがないでしょう。
「一応昨日もこの姿で、もこ姉さんの売り子をさせて頂いていたのですが」
「も、もこ姉さん……? あ、ああああああんた! い、いつの間に弟なんかできたのよ!」
「んなわけないでござろう。この方は……!」
何かを思いついたかと思うと、自身の頬に両手を当てて照れ臭そうに続ける。
「そう、この方は拙者の……旦那様でござるよ」
「「「「っ!?」」」」
いきなり爆弾を放り込んできたもこ姉さん。
その衝撃で、僕だけでなく多華町先輩や繭原さんたちも愕然とした表情を見せる。
「だ、だだだだ旦那様ぁぁぁぁっ!? う、嘘……お、男に興味なかったあのもーこが…………あたしよりも大人に……っ!?」
「フフン、どうでござる? 羨ましいでござろう!」
そう言いながらこれみよがしに僕の腕に抱き着いてくるもこ姉さん。
「ちょっ、もこ姉さん! 困りますよ!」
「えぇー、いつもしていることではござらんかー。あ、それとも二人っきりの方が良かったでござるかな?」
「い、いえ、そういう意味ではなく……!」
ダメだ。この人、明らかに楽しんでいらっしゃる。
「ちょ、ちょっともこさん! 彼から離れなさいっ!」
そこへ真っ先に声を上げて注意してくれたのは多華町先輩だった。やはり頼りになる。
「そ、そそそそうでしゅよ! こ、こんな場所で良くないというか、不々動くんも嫌だと思うし、それに旦那様なんて羨ま……じゃなくて、そういうことはまだ早いし……はぅぅぅ」
繭原さんは繭原さんで何が言いたいのかさっぱり分からない。どうも混乱しているようだ。
「はいはい、リア充リア充。ごっそさん」
何故か伏見くんはジト目のまま冷たく言い放つ。
「と、とにかくこれ以上騒ぐのはマズイです。運営の人に注意を受けてしまいかねないですよ!」
「おっと、それもそうでござるな」
そう言うと、もこ姉さんはあっさりと僕から離れる。
多華町先輩や繭原さんはホッとしているが、まだ衝撃が収まらないのか嵐山先生がもこ姉さんに噛みついてくる。
「ちゃ、ちゃんと説明しなさいよ、もーこ!」
「うるさいでござるなぁ。あまり騒ぐと、不動先生が言ったように運営に退室させられるでござるよ?」
「うっ……で、でもぉぉ」
何だか涙目を僕に向けてくるのですが……?
「いいからさっさと行くでござる。あとで説明してやるでござるから」
「…………絶対だかんね! フンッ!」
鼻息荒く、嵐山先生は大股で去って行った。
その名前の通り、本当に嵐みたいな人である。
僕はそういえばと思い出し、先程運営らしき人がいた場所を見ると、そこにはもう姿は見えなかった。
……運営の人ではなかったのでしょうか?
ただ単に騒ぎに注目していた人だったのかもしれない。
サークル関係者だった可能性が高いと踏み、注意されなかったことに安堵した。
それから各々に会場を回る時間をもらって、多華町先輩や繭原さんも昨日できなかったこともあり、率先して見学しに行った。
最後に僕の番が来たので、とりあえず昨日と同じルートで見回ってみようと歩く。
面白そうなゲームや小説なども売っており、衝動買いしてしまいそうになるが、昨日も結構買ったのでお財布がピンチだ。
今日は珠乃にお土産を買ってやろうと思っていたので、彼女が喜ぶようなものを巡って選別していく。
最終的に辿り着いたのはコスプレ会場だ。今日も今日とて大いに賑わっている。
しかし……。
「どうやら今日は三武さんはいらっしゃらないようですね」
身長を活かして周囲を確認してみるが、昨日たまたま縁を結んだ彼女は見当たらない。
一応昨日の夜に彼女から感謝メールが送られていたので返信はしておいたが。
今日来るかどうかも聞いておけば良かったですね。
僕は仕方なく踵を返そうとしたが、不意に視線を感じた。
……また、ですか。
実は見回っている際に、何度か強い視線を感じたのだ。
何気なく視線を送ると、先程運営の人と間違ったサングラスの女性がいる。だがすぐに彼女はその場からいなくなるのだ。
「……気のせい……でしょうか」
いや、これで四度目だ。気のせいにしてはおかしい。
これだけの人口密度で、たまたま四回も遭遇するのはかなりの確率ではなかろうか。
ただその手には高価そうな立派なカメラを所持している。もしかしたらいろんなところを撮影しに来ているお客さんで、本当に偶然遭遇しているだけかもしれない。
同じ場所で見つけたりはしないので、その可能性は高い。
それに……。
「この恰好のせいでしょうかね」
可能性として考えられるのは、ダオシュのファンだということ。
中には声をかけられずに、そのタイミングを見計らって後をつけてくる人もいたりする。
そしてようやく勇気を出して近づいてきて、写真と握手をねだられるのだ。
あの人もそういうタイプで、隠れてカメラで僕を撮影しているのかもしれない。
本当はあまり褒められた行為ではないので、注意すべきなんだろうが……。
しかしさすがに自分から声をかけるのは……。
間違っていたら、これほど自意識過剰はない。恥ずかし過ぎる。
ここはあの女性の行動に任せてこちらは待つことにしよう。
幸い実害というほどのものがあるわけではないからだ。
そう思い、僕は『モード:ルナ』のスペースへと戻っていった。
最大の同人誌即売会も折り返し地点を過ぎ、それでも一向に客足が減らないのはさすがである。
しかし『モード:ルナ』で売られている商品も残り少なくなってきた頃、こちらのお客さんはずいぶんと減ってきた。
そんな頃だ。僕と多華町先輩が、スペース内にある椅子に座り小休憩をしていた時、多華町先輩のスマホに着信が入った。
スマホに表示されているであろう名前を見た彼女は、一瞬眉をひそめたが、そのまま電話に出る。
「もしもし、お母さん?」
どうやら実家の母親からかかってきたらしい。
先日倒れてしまったこともあり、こうして定期的に心配して電話をかけてきているのかもしれない。
僕もこの前、お母さんと電話でやり取りをしたが、やはりまず初めて聞いてきたのは体調のことだった。
僕が他人よりも頑丈だということを誰よりも知っているが、それでも心配してしまうのが親というものなのだろう。
「――――えっ!? ど、どうゆうことなんそれ?」
隣に座っている先輩の声が一気に跳ね上がり、明らかに動揺している様子が窺えた。