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「すみません! スケブ、良いですか?」
「はーい、全然OKでござるよー!」
「あの、これを二部、クリアファイルを二枚くれますか?」
「畏まりました。合計で二千二百円になります」
「次の方、どうぞ。……はい、新作ですね、こちらになります」
「すみませーん! 列を乱さないでくださいでしゅ!」
まだ開催して十分足らず。
それなのにもうサークルの前には長蛇の列ができており、僕たちは忙しなく動いていた。
ちなみにスケブというのはお客さんが持参したスケッチブックに、作者がイラスト等を描くサービスのことである。
人気のあるサークルは、忙しくて手が回らないので断っている人もいるが、もこ姉さんは速筆ということもあってスラスラと描いてお客さんを喜ばせていた。
「おい不々動、そろそろ品出しをしとかなきゃヤベえぞ」
「もうですか? さすがはもこ先生、大人気ですね!」
もこ姉さんのことは、この業界でも大先生という肩書を持っており、『ザ・テイルズ』ファンもそうだが、ネットで知ったファンも多く来ている。
また初見の人たちも、もこ姉さんの魅力的なイラストや漫画の表紙に惹かれて集まっているのだ。
これは確かに売り子は必要だ。一人じゃとてもではないが回すことなどできない。
僕たちがいるからこそスケブも描けると彼女は喜んでいる。
ただ男性のほとんどが多華町先輩や繭原さんに目を奪われているようだ。
二人とも可愛い女性ですから当然ですよね。それに伏見くんも……。
「わー可愛い子がいるわよ!」
「マジで!? うっわ、あれって男の子? いやむしろ男の娘!?」
「写真撮ってもらってもいいかなー!」
伏見くんの愛らしいルックスにうっとりとする女性がいる。しかしその中で、彼を女子だと思って顔を赤く染めている男性もいることが少し残念だが。
「すっげっ、マジでダオシュじゃん! ヤッベ!」
「はぁぁ~、こんなそっくりなダオシュがいるなんて。あのセリフ言ってほしいな」
「あのあの! ダオシュが最後に言ったセリフ言ってもらってもいいですか!」
僕のところにもダオシュファンなのか大勢の人たちが詰め寄ってくる。
最後のセリフといえばあのセリフ……ですよね。
そんなに時間もかからないので、覚えているセリフを口にする。
「これで……ようやく終わることができる。平和は――――すぐそこだ」
「「「「きゃーっ!」」」」「「「「うおーっ!」」」」
男女ともに感激して声を上げる。
……物凄く恥ずかしい。やってみて分かったが顔から火が出そうだ。
僕には演技は向いていないかもしれない。
それでも拙いセリフをこんなにも喜んでくれることは結構嬉しいものである。
そのあとからもセリフやら写メやらの要求に加えて、途切れることのないお客さんに目が回りそうになる。
何せそんな感じが二時間近くずっと続くのだ。体力のある僕がこうなので……。
チラリと列整理と呼び込みをしている繭原さんを見ると、顔を真っ赤にして限界ギリギリそうになっている。
元々人見知りの彼女が、コスプレまでして注目を浴びながら声を上げているのだ。精神的にもかなりキツイものがあるだろう。
「繭原さん! 少し休憩していてください」
「え? えっと、ま、まだ大丈夫ですよ!」
「いいえ、もし倒れでもしたら大変です。そろそろお昼ですし、一人ずつ休憩に入りましょう。もこ姉さん、それでいいですか?」
「無論でござるよ! 拙者もそろそろ休憩を入れようかと思っていたところでござるからな!」
もこ姉さんの許可も出たことで、さっそく繭原さんには休憩に入ってもらうことにした。
スペースの奥の方にある椅子にぐったりと座る彼女。
やはりギリギリだったようだ。
この熱気に慣れないことをしたこともあり汗もかなりかいている。
水分補給は多目に行うように伝え、彼女の分まで僕たちが踏ん張ることにした。
ただ昼を過ぎる頃には、お客さんたちも昼食タイムなのか忙しさは少しマシになってくる。
「次、多華町先輩が……ん?」
彼女に休憩に入ってもらおうと思ったが、自分のスマホを見て少し物憂げな表情をしている。
「あの、どうかされましたか?」
「え? ああ、少しね」
「少し?」
「……ほら、先日私が倒れてしまったでしょう? その時の報告が家族の耳にも入ってね。父と母は『私らしい』って笑ってたのだけれど、妹たちがその…………『帰ってきてほしい』と言っててね」
どういうことか詳しく聞いてみると、妹さんたちはお姉さんである先輩のことが心配になったらしい。
やはり遠く離れた場所で、一人で過ごす先輩を思うと気が気でないのだろう。聞けばこっちに出てくる際にも、最後まで反対していたらしいから。
そして先日の件だ。やはり一人で生活するのは止めてほしいと、帰ってきてほしいと言われているとのこと。
「まあ、帰ってこいってあの子たちに言われるのは初めてではないしね。それよりも何か用だったかしら?」
「あ、そうですね。そろそろ休憩に入ってください」
「あなたは大丈夫なの?」
「はい。自分は体力には自信がありますので」
「ふふ、では少し休ませてもらうわね。あ、お釣りが足りなくなっているから、そっちの準備をしてからにするわ」
復活した繭原さんと代わって多華町先輩が離脱していく。
休んだことで顔色も大分マシになっている。繭原さんがまた奮起して頑張ってくれる。
それにしてももこ姉さんは僕たちよりも動いているというのに疲れをまったく見せない。
彼女はひっきりなしにスケブなども描いて手を動かしているのに笑顔を絶やさない。
これがプロの作家さんの姿なのかと、彼女を見て感嘆した。
そして大分お客さんも減り余裕が出るようになった頃に、初めてもこ姉さんは休憩を挟んだ。
「う~ん! この梅干し入りおにぎり美味いでござるよー!」
彼女は僕が作って持ってきたおにぎりを美味しそうに頬張っている。
伏見くんたちにも好評だったようで、作った甲斐があるというものだ。
「んぐんぐ……ごくん! あ、そういえば時間帯も落ち着いてきたでござるし、一人ずつ会場を見回ってきても良いでござるよ」
この格好で? ……と思わず心の中で尋ねてしまう。
ただ着替えるにはまたトイレかどこか人気のない場所を探すしかない。トイレはひっきりなしに列が作られているし、他の場所を探している時間ももったいないだろう。
ここは諦めてこの姿で回るしかない。
幸いこの会場でコスプレをしている人たちは多いので、変に思われるようなことはないのは助かる。
「わ、私はここで休んでいますぅぅ」
繭原さんは体力と精神力の限界がきたのか、もう出歩く気力もなく椅子にもたれかかっている。
まだコミケは明日もあるので、別に急いで回る必要はないとのことだ。もう少し慣れてから時間をもらって楽しむらしい。
「先輩はどうされますか?」
「そうね。私も少し興味があるけれど、お金を使う余裕はないし、それに繭原さんのケアもしてあげたいわ。だから私も明日に時間をもらうことにするわよ」
「そうですか。伏見くん……」
「俺は行くぜ。それが楽しみで来たとこもあるしな」
「分かりました。ではお先に伏見くんからどうぞ」
「いいのか? じゃあお言葉に甘えて先に行ってくるわ」
そう言うと彼は一人でスペースから離れていった。
その間にもちらほらとお客さんが来ては、まだ体力的に余裕がある僕が率先して対応する。
余裕が出てきたことでゆっくりと周りを観察することができたので見回していると思う。
それにしてもこれだけの活気は本当にお祭りみたいですね。
またよくよく見れば日本人だけでなく外国人の方も大勢見受けられる。
やはりアニメや漫画というのは日本が誇る最高の文化の一つだということを知る。
毎年これだけの人が集まるのだから本当に凄い。
一種のテーマパークに来ているかのような錯覚さえ感じる。
するとそこへ一人の女性が近づいてきたので反射的に「いらっしゃいませ」と口にした。
だがその人物は僕の前を通り過ぎ、もこ姉さんの方へ歩いていき目の前に止まる。
「あ~ら、ここはまだのらりくらり営業してるのねぇ」
何だか嫌みったらしい含みをもたらせた声音が女性から発せられる。