第6話「兄として」
シャッシャッシャッシャッシャッ・・・・・
自宅の窓際で、同じリズムでの研磨音が黙々と響いている
やはり刀を持ち慣れていない他人が振ればそうなるのか、大丈夫だろうと思っていた刀身は少しばかり傷が入っていたのだ。それに続けバカみたいに丸太の輪切りをやらさせたものだから、流石に刀も悲鳴を上げてしまう。
真水で潤した大きい砥石でひたすらに刃を研磨し、砥石に染み込んだ水が灰色に濁れば水で洗い、またひたすらに刃を磨く。観賞用ではなく実用としている刀は、基本これでいい。
これでいい。と思いながらもやはり細部までこだわってしまうのは武人の性なのだろうか。腹についた傷を見つけてしまうとそこも磨き始めてしまう。もう砥石を何回洗ったか忘れてしまった。
「・・・っし。こんなもんかね。」
一度刀身全体を水に浸けて取り出すと、自分の目でその輝きを確認する。
上質な柔らかい布で水気を拭き取り、柄に差し込んで木杭をはめ込む。そうすることでいつも皆が見る刀の形となった。ジパングを出てからは一度も研いでなかったので砥石の状態が悪くなっていないか心配だったが大丈夫そうだ。さすがは天然石といったところか・・・。
ジパングから持ってきた刀のメンテナンス用品は砥石だけではない。
「鋼」といっても突き詰めていけば結局は「鉄」に辿り着いてしまう以上、「錆」からは逃れることができないのだ。いくら研いだあとに十分に乾燥させたとしてもどこからか錆びる事が稀にあるらしい。そういえばミズチが使っている包丁も少しでも手入れを怠ると錆びることがよくあった。
そこで使うのが「油」である。
古より伝わる錆止めの素材であり、刀剣用として売り出されている油も存在している。ジパングではこの刀に塗る油の種類を巡って論争が度々起こるとか起きないとか。中には塗らいない人もいるといえばいる。
ミカヅチが使用している油は最もポピュラーな植物性。長時間放おっておくと酸化を起こしてしまうというデメリットが存在するが、比較的安価だし刀の扱いに慣れた人間が使用するのなら保存状態が疎かになって酸化を起こしてしまうこともまず無い。大事なことなのでもう一度言うが、比較的安価なのだ。
布に染み込ませ、拭き取るように刀身に滑らせていく。端から見れば塗ってないのではないかと思うくらいに薄く。そうしないと鞘の中で詰まってしまったり、鞘の中の木材に染み込んでしまい大変な目に遭う。
ようやく刀のメンテナンスが終わった。予想していたより結構念入りに仕上げてしまったので、若干時間がかかってしまった。朝早くから作業をしていたので当然の如く腹が減っていた。
そんな事を考えていると、二階からトントンと階段を降りる音が聞こえてきた。
「あれ?お兄ちゃんだ。おはよー」
「おはようミズチ。ちょっとコイツをな」
「あぁー、こっち来てからやってなかったもんねぇ。お疲れ様、それじゃすぐ朝ごはんの準備しなきゃね」
パタパタとスリッパの軽快な音を鳴らしながら流れるような動作でエプロンを身に纏ったミズチがキッチンに入っていく。
ジパングにいた頃から愛用している山吹色のエプロンを纏ったミズチの姿といえば、それはもう見ているだけでも十分落ち着けるくらい心の清涼剤となり得る。無駄なフリルや絵柄がついてない質素な作りであるのが一番ポイントが高い。
鞘に納めた刀を袋に入れると、コキコキと首を鳴らしてそのままミカヅチもキッチンへと入っていった。それを見てミズチはちょっと驚いた表情を見せる。
普段ミカヅチは飲み物を取るか、作りおきした料理を温める時くらいしかキッチンに足を踏み入れることはない。キッチンは文字通りミズチの城のようなものだからだ。
というかミカヅチは料理ができない。米を研げば力が強すぎて砕けてしまうし、火力の調整なんて以ての外。フライパンの扱いどころか味噌汁だって作ることはできない。
幼い頃から刀と共に生きてきたので、親が二人共いなくなってからは当然ミズチが日々の食事を作ってきた。
しかし極稀にミカヅチがキッチンに入る理由をミズチは知っている。その理由のおかげでもあるのか、驚いた後のミズチの顔は嬉しそうに綻んでいる
「えへへ・・・。こっち来て初の『妹サービス』だね」
「ま、研ぎに時間ちょっとかかったとはいえ十分すぎる早起きだしな?」
通称「妹サービス」。
ぶっちゃけ「家族サービス」と同じなのだが、いるのはミズチひとりしかいないのでこの読み方が定着したミカヅチ式「お手伝い」である。
家事全般においてミカヅチはミズチに敵うことはないのだが、それでもほんの一つだけミカヅチがミズチに勝るものが存在する。それは「材料のカット」だ。
ミズチも当然包丁を使って食材をカットするし普通にうまいのだが、先程も言ったとおりミカヅチは幼いことから刀・・・つまり刃物と共に生きてきた。ミカヅチが包丁を使えば、ミズチよりも圧倒的に早く繊細な作業が可能となる。
といっても「それだけ」である。しつこいようだがミカヅチは本当にそれしかできない。
というか別にそんな朝から懐石料理なんて作るワケではないので、胡瓜で松を作るとか人参で花を作るとかする必要は全く無い。あくまでただ単にミカヅチが入ることで調理時間の超大幅短縮になるということだ。
ミズチはその間に米を炊いたり出汁を取ったりと別の作業に集中できるので、本人曰く「妹サービス」が起きた日は時間のかかる料理もおいしくできるそうだ。
それになにより、ミカヅチと一緒にご飯を作る。という時点で本人にとっては嬉しい出来事なのだろう
「いただきまーす」
「いただきます」
そうしてできたアザイ家の朝食。
土鍋で炊いた白米に、わかめと絹豆腐の味噌汁、そしてミカヅチとの合作は肉じゃがである。ミカヅチが爆速で仕上げた野菜はしっかりと皮目の旨味を残し、味の染み込みが早くなるよう隠し包丁まで入っている。
隠し包丁は当然ミズチもやることだが、皮むきの正確さはやはりミカヅチのほうが一枚上手らしい。いつもより煮込み時間が短いが、じゃがいもの旨味が普段の作りたての肉じゃがよりも強く、豚肉には筋張った部分が全く無かった。
「んぅ〜ふふふ〜」
目の前で肉じゃがを頬張る妹が幸せそうに顔を緩ませる。それを見るだけでも「妹サービス」を行った価値は十分にあった。
アトランティスに来てからは文化の違いや授業科目の違いに戸惑い、なにかとバタバタしていた。自分はまだ上手くやっていけそうな気もするが、元々がお兄ちゃんっ子で内気な妹だからちゃんと友達を作ってヴァルハラの、アトランティスの住民として溶け込んでいけるのかが不安要素として残っている。
(正直スティレットも「友達」として扱えるのか微妙なラインだしな・・・)
しばらくはスティレット頼みになるかもしれないと思ってはいたが、何分感情の乏しいアンドロイドだから、友達付き合いというよりはアメリアのようにお世話役となってしまうのではないか。
ちゃんとした人間の友達を・・・心から笑って頼ることができる友人を手に入れなければ、ミズチは間違いなく孤独に押しつぶされてしまう。
この笑顔を守りたいから、今まで血反吐を吐きながら鍛錬を積み重ねてきた。半ば無理やり連れてきたものだから責任は自分にあるが、できることならちゃんと一人で立ってもらいたい。
「なぁミズチ。・・・こっちでやっていけそうか?」
言葉を紡ぐのが下手くそすぎる。下手くそにも程がある。
でもそれでいい。変に気を使われるよりはいくらかストレートに言ったほうが相手側の負担もきっと減るだろう。それにその相手は自分の妹で、兄がどれだけ言葉を選ぶのが下手くそかだなんて分かりきっていた。
「初めはね、質問攻めとかにはされるんだけど・・・やっぱり物珍しさが一番の要因だなって思ったの。クラスの目が明らかに好奇心の色をしていたから。」
「まぁ、それはこっちも同じようなモンだな」
「うん。・・・でもね、だからといって奇怪な目じゃないのは分かるよ。」
いつも自分のや母の後ろに隠れていたが、ミズチは目がいい。
単純な視力という話ではなく、察しが良いという意味だ。おどおどと隠れて周囲の顔色を伺って生きてきたからなんだろう。だから仮に周りが自分たちを奇怪な目で見ようものなら、ミズチはこんな顔で話を続けたりはしない。
「『私達は生まれた場所が単に違うだけ。だから別に怖いとか、そういうものは感じてないよ。ただこれだけは言わせて欲しい、ようこそアトランティスへ。ヴァルハラの魔法科学科へ』って」
「ずいぶん粋な事を言う委員長じゃないか」
「うん。私それが嬉しくって、ちょっと泣いちゃったんだよね・・・」
えへへ。と照れ笑いをする最愛の妹。
なんだ、まったく心配ないじゃないか。ミズチはうまくやっていける。というよりはうまくやっていけるようになる。これから少しずつゆっくりと。自分とはペースが違うだけだ。そうわかっただけで安心した。
肉じゃがを豪快に白米に乗せて一気に頬張った。ただただ旨い。半分近く残っていた米は一瞬にして消え去った。それを見ているミズチは嬉しそうに笑うが、もっとミズチが嬉しがる一言を添えることにした。
「ミズチ、おかわり貰えるか?」
「うんっ。大盛りでね?」
・・・ミズチに親父の事は一切伝えてない。
それは俺に任せてくれ。俺には俺のやることが此処には残されている。
だけどこいつには、親父の事なんて一切気にしないでアトランティスでの、ヴァルハラでの学園生活を楽しんでほしい。それが兄としての願いだから。