第2話「王立魔法学園『ヴァルハラ』」
カチ・・・カチカチ・・・
ただひたすらに端末の中にある文章を読み進めていくのは、金髪の少女。
足を組みつつもすらっとした座り方で、その姿は遠目から見ればとても品のある一枚絵のように美しく、紅茶を啜ってついたため息には見た目相応の色気すら感じ取れる。
彼女が眺めているものは、学園のネットワークシステム。
学年やクラス毎のシラバス等が入っており、その日の連絡事項が毎日更新される。
新年度が始まる今日は特に確認事項や連絡が多く、既に読み始めて10分以上経っていたが、そろそろ最後に差し掛かるところ。そしてその最後の項目は、彼女たちアトランティスの人間にはあまり縁のない、しかし彼女にとっては重大な事が記載されていた。
「クラスに転校生・・・ッ!?・・・この名前は!」
コンコン。とドアをノックする音が聞こえると、ガチャリとドアが開く。
そこから出てきたのは、メイド服を着た小柄な少女。濡れたように艶のある紫色のポニーテールに、深く吸い込まれそうな真紅の瞳。そして見た目に似つかわしくない、耳から頬部分に伸びたインカムがある。
無表情ともいえる彼女は、静かにぺこりと頭を下げた
「失礼します。お嬢様、そろそろ登校のお時間です。」
「え、えぇ・・・わかった。5分以内に玄関まで行くから、よろしくね?」
「畏まりました」
もう一礼してメイドの少女が部屋から出て行くのを見送ると、残っていた紅茶を飲み干して心を落ち着かせる。
通信端末のモニターにもう一度目を通す。担任教師からの私信も見たのだが、自分で言うのもなんだが果たして大丈夫なのだろうか。と、ちょっとした疑問を覚えた。
カバンを抱えて廊下を歩くと使用人達が次々と「いってらっしゃいませ」と言ってくるので、適当な相槌を返しながら、表に停めてある車へと入っていく。正直な話をするなら、登校する際は車ではなく歩いて行きたいと彼女は思っていた。家の場所が山間なので、朝の空気は特別おいしいのだ。できるなら、その空気を目いっぱい吸いながら登校したい。
ドアを閉めて「お願いします」と一言添えると、車はエンジン音と共に屋敷から出て行った。少しだけ窓を透かして、外を見やる。
「まさか・・・本当に?」
登校時間ともなれば、学園に近づけば近づくほど見える人間の数が増えていく。ごった返すというほどでもないのだが、どこに誰がいるのかちょっとやそっとじゃ見分けがつかないほどには賑やかな状態となっている。
所々で「おはよう」「おはようございます」と挨拶する若い声が聞こえる中、ちょっとしたどよめきも聞こえ始めていた。
頭ひとつ抜けた状態で見えるのは、やはり黒い髪だった。
悠々と歩いている後ろで、小さい身体が更に小さくなったような、もう一人の黒い髪。ミズチはミカヅチの大きい背中に張り付きそうな勢いだった。
「お、お兄ちゃん・・・なんか、すごく見られてる気が・・・」
「同じ制服を着ていれば、大して気付かれもせず溶け込めると思ったんだがなぁ」
「やっぱり、髪質や顔立ちで分かっちゃうものなのかな・・・?」
それもそのはず。二人は船を下りて入国してから数日、自分たち以外で黒い髪を見た記憶が全くないのだ。暗い色の髪色などは見たが、それでも黒系統にはほど遠かった。
心なしかミカヅチの歩行進路に人がいないのは気のせいだろうか。端から見れば、誰も彼もが避けて通っているようにも見えなくもない。そういえばさっき女子生徒のペアと目が合ったが、すごい怯えながら脱兎の如く走り去っていったのを思い出した。
そんなことは知ってか知らぬか、ミカヅチは目線だけを動かす。
(しかし国唯一の学園なだけあって、目に見える生徒数が明らかに多い。
もうじき校門なんだろが、既に柵の向こうに見える景色がジパングで言うところの名門大学のキャンパスと差して変わらん気がするんだが・・・。見える建物からするに、本当はこれの数倍くらい敷地があるのかもしれんな。
渡された資料にも、生徒数は全学部合わせて三千は超えていると書かれていた。・・・果たしてこの中の何割が、魔法を使用できる人間なのか・・・。)
「お兄ちゃん、ダメだよ人を睨んじゃ・・・」
「周りを見渡しただけで何故そうなる?」
「だってなんか皆避けて行ってるような・・・」
無理もないのではないかと半ば諦めている節もある。
180センチを超え、隆々とした図体に、刃物のような眼が前髪から覗かせているのだ。本人は普通にしているつもりでも、(精神的に)年若い者たちが見れば怖いと思うのも当然だろう。ジパングに居た時は中等部の生徒に泣かれた記憶が悲しくも蘇る。
転校初日だというのに早くも先が思いやられる展開に直面し、ミカヅチは少し長いため息をついた。
そんな中、少し変わった車が横の道路を通り過ぎていったのが見える。
校門の前で停車すると、その色やフォルムから自分たちが普段テレビで見ているものということだけは分かった気がした。
「ふあぁ・・・あ、あれって・・・リムジン?」
「実物は初めて見るな」
「すごいね!さすが西洋だね!ぶるじょわじーだね!」
「『西洋=リムジン』なのかお前?王族云々という話で言えば理解できなくもないが・・・」
目の前には、ジパングでは確かにそうお見えにかかれない高級車である黒色のリムジンが止まった。流石は王国、学園がひとつしかない以上貴族の令嬢・御曹司等が通っていても不思議ではないだろうとミカヅチは思った。
一方で珍しいものを始めて生で見たミズチは、少しはしゃぎ気味となってミカヅチを追い越す。
どうしても近くで見たかったのだろう。一歩、また一歩と挙動不審気味に車へと近づいていくが、あまりジロジロ見るものでもないだろうとミカヅチが後を追う。そこそこで切り上げさせる魂胆だろう。
とは言っても自分もどんな人間がわざわざこんな高級車に乗って登校してくるのか興味がないといえば嘘になる。のを表面上は隠してようやくミズチの背中を捉えたところで、車の後部ドアが開いた。
果てさて出てくるのはどんな人間だろうか、なんて考えていると、小さなメイド服の少女が出てきた瞬間すぐに視線はミズチへと向けられ
「止まりなさい」
「ひゃぁっ!?」
「ミズチッ!」
「貴方もです」
一瞬の事だった。無機質な瞳を持った少女の両腕には、あまりに似合わぬ無骨な金属が顔を覗かせて兄妹に向けられている
(銃火器・・・。この嬢ちゃん、なんつー物騒なモン積んでやがる・・・!)
あまりに唐突かつ物騒な事に涙目になりながら尻餅をついてしまったミズチを庇うように膝を付き、左腕を広げる。隠した右腕の先にある拳は、少しずつだが確実に握りこんでいた。あいにく丸腰だが、弾丸の矛先がミズチではなく自分でさえあれば、あるいは。
この間わずか約十秒。外野が一気にどよめきはじめた時だった。
「ちょっちょちょっ!スティレットあなた何してるの!?」
素っ頓狂ともいえる声を上げ、リムジンからもう一人出てきた。
目に入ったのは鮮やかな金色。慌てながら出てきてもなお美しい、腰まで伸びた金色のロングヘアに透き通るような肌、それでいて華奢でも豊満でもない健康そうな肉つき。
ミカヅチ自身が思うに、これほどまで「綺麗だ」と思える人間は自分の母親しか見たことが無かった。今は亡き母親も、彼女のように透き通るような肌を持っていた記憶がある。ジパングの人間とは思えないくらいに・・・。
しかしメイド服の少女は一切表情を変えず、以前こちらにバレルを向けたままだった。
「ご安心下さい。このまま大人しく投降して戴ければ後は拘束するだけですから」
「投降も何も学園の生徒でしょう?とにかく腕を下ろしなさい」
「ですが網膜パターンに照合データがございません。それにご覧下さいお嬢様。この男性・・・学生と言うには余りに骨格や視線が出来すぎています。工作員の可能性を否定できません」
ひどい言われようだ。
たしかにミカヅチの肉体は年に似合わぬ発達をしているほうだが、工作員だなんてシパングですら言われた事がない。むしろ入国審査の厳しいこの国でどうやって工作員は潜入してくるというのか逆に興味が沸いてくる言いよう。
その「お嬢様」と呼ばれる彼女は何かを察してしまったのか、はぁっとため息をついてから少女の腕に手を添えた
「スティレット、今日は何月何日?」
「9月1日です」
「これ私の端末。・・・何日?」
「・・・・・あっ。」
ここで初めてメイド服の少女の表情が変わる。といっても端から見れば大して変わってないくらいに表情の硬い子だ。
笑顔のまま親指を車内に向けた金髪のお嬢様を見るや否や、背中を丸めていそいそと車内で戻っていく。パターンだのデータだのと言っていたがいったいどういうことなのか。リムジンの中には謎のハイテク技術でも積んであるのだろうか・・・?
「ごめんなさい。あの子、早合点する事がよくあって・・・。ちょっとドジなのよ」
「ドジで鉛弾を叩き込まれたら洒落じゃ済まんぞ」
「本当にごめんなさい!・・・貴女も大丈夫?立てる?」
未だ半べそのかいたミズチに手を差し伸ばすと、「ありがとうございます・・・」とミズチがおずおずと手を取ってふらふらと立ち上がる。
一件落着なのかと思いながら妹が立ち上がったのを確認すると、ミカヅチもようやく腰を上げる。だが180センチを超えた人間が立ち上がるや否や、金髪のお嬢様は少し驚いたように目を見開いた
ミカヅチの体重は90を超える。しかしそれは決して肥満というわけではなく、制服の上からでもわかるくらいに鍛え抜かれた肉体のおかげであるため、普通の人間・・・それも女性から見れば相当な巨漢にも錯覚する。加えて年相応ではない顔立ちが、その身体を一層引き立たせる。
「(この人が・・・。)も、もしかして、貴方たちは今年度から転校してくる人?」
「ん?あぁ、俺は魔法戦技科2年。浅・・・じゃなかった、ミカヅチ・アザイ」
「ま、魔法科学科1年の、ミズチ・アザイです・・・」
(兄妹なんだ・・・。で、でもあまり似ていないというかなんというか・・・)
無理もない。父親似のミカヅチと、母親似のミズチ。
何度も言うが親子と間違われるくらいミカヅチが老けて見られるため、初対面はだいたい決まってこのリアクションである。いい加減本人としては飽きてきたところではあるが。
「コホン、自己紹介が遅れました。私は魔法戦技科2年のアメリア。アメリア・L・エリダンヌと申します。よろしくお願いしますね」
アメリアと名乗るお嬢様は、気品漂いながらも仰々しく思わせない会釈をする。
魔法戦技科の2年ともなれば、ミカヅチと同じだ。クラスは何個にも分かれているハズだが、もしかすると同じクラスになるという事もあるかもしれない。そうなれば教室に入る前から知り合うというものはいかに心強いか。
しかし兄妹はそれよりも、どうも引っかかるのがあった。
「エリダンヌ・・・って」
「あはは、はい。私は現アトランティス・エリダンヌ王国夫妻の娘ですよ」
「ひ、姫様!?はぁあああああぁどうしようお兄ちゃん!姫様だよ!アメリア様だよ!」
大慌てでスカートの埃を払い、ぺこぺこと何度もお辞儀をするミズチをアメリアは少々困ったような笑顔で見る。
それを見てミカヅチにはすぐ理解できた。
姫様はまったく仰々しくない。国を担う重鎮の娘とは思えないレベルでフレンドリーに接しているのだ。いかにも普通に、このアメリアは学園に通っている。
注目の的になったり、慕われたりするのは致し方ない事だとは思うが、もしかすると立場だけで特別扱いされるのを嫌っているのではないかとも思える。
偏見だがお嬢様とか御曹司とか、とれもVIPな人間達はいち生徒として学校に通わず専属の家庭教師などを持って学問を修めており、英才教育と自分の立場にふんぞり返っているものだと思う。あくまで偏見だが。
「ミズチちゃん・・・でいいわよね?私は公務以外ではあくまで普通の生徒。いち青春を謳歌しちゃいたい一人の女子生徒として生きてるの。だから、『様』なんて仰々しいものはつけないで、普通の学校の先輩として扱ってほしいな?」
「ですが・・・」
「『郷に入れば郷に従え』だミズチ。・・・アメリア、礼を言う。」
「っ!・・・いえいえ!当然のことをしたまでです。」
少しアガってる気がするアメリアとそんな話をしていると、車からメイド服の少女が出てきた。
心なしかションボリしているようにも見えなくないが、あまりに無機質な表情だから分かりにくい。出てきて早々、アメリアに頭を下げる。
「お嬢様、申し訳ございませんでした。朝のデータ更新を忘れていました。」
「謝るなら私じゃなくてこの二人!」
「ミカヅチ様、ミズチ様、大変申し訳ございませんでした・・・」
「気にしないでくれ。間違いってものは誰にでもある・・・って、データ更新?」
人間における能力にしてはなかなか聞きなれないワードである。
二人で疑問に思っていると、アメリアは頭を下げる少女の肩に両手を乗せて
「改めて紹介しますね。この子は「スティレット」普段は私の家で身の回りのお世話をしてくれる、アンドロイドです」
「あ、アンドロイド!?」
「ちなみに学園内では魔法科学科1年として在籍しております。ミズチ様、よろしくお願いします」
「ほぇあー・・・」
そんなこともあってか。4人はようやく学園内へ入ることが出来た。
生徒の憧れである(らしい)アメリアが、どこの馬の骨とも分からない黒髪の東洋人兄妹と談笑しながら歩いているもんだから道中はプチ騒ぎにもなっていた。スティレット曰く「お嬢様が中等部にご入学された時は比にならないくらい大騒ぎでした」とのこと。
話によるとアメリアは中等部に入るまでは、それこそ家庭教師に学問を習っていたらしいが、本人たっての希望で途中から家庭教師のみでなく初等部に通う事になったらしい。最初は身分を隠していたらしいが・・・
アメリア先導で学園内を歩いていくと、やはり皆の見る目が同じである。
ミズチなんて校舎に入ってからずっとミカヅチの腕に引っ付きっぱなしだが、学び舎の場所が違う以上これが離れたらどうなるのだろうか。こればかりはどうすることもできないので、しばらくスティレットに頼む事になりそうだ。
アメリアが立ち止まり、そのままひらりと踵を返す
「到着です。ここが教員室ですから、私たちはこれで失礼しますね」
「あぁ、助かったよ」
「それでは、『また後で』。」
スティレットがぺこりとお辞儀をする後ろで、アメリアがウィンクをしてそのまま教室へ向かっていった。今更ながら国の姫君にずいぶんと世話になってしまったと心の中で思う。
校舎内を歩いていて分かったが、事前に渡された資料の通りこの学園の造りは凄かった。
神殿や城を彷彿とさせる外観とは裏腹に、中はかなり機能的に造られているのはこの国における家屋・施設建設のしきたりなのではないだろうか。
確かに大理石をはじめとした素材から石膏までもふんだんに使用されて高級感溢れているのとは裏腹に、その風景に全く見合わないカップ飲料の自動販売機があったり、ロビーやホールにシャンデリアがあるのに対して廊下などは普通のLED照明だったり、魅せるところは魅せ、抑えるところは抑えるといったとこだろうか。
何がともあれ、教員室を前にしているならば入る他ならない。
基本的にクラス委員でもやっているか、何か問題のある人間くらいにしか教員室に行く機会などないのだが、そういえば転校とかでもあったっけなと内心思う。そりゃあ勝手に自分の教室にシレっと座っているワケにも行かないだろう。
ノックをして扉を開ける。ミズチと一緒にくぐると、教員室独特のコーヒーやお茶の香りが鼻をくすぐる。この香りはどこの学校行っても同じなのだろうか。
ジパングの学校で見た光景よりも明るく整った造りの教員室は、なんというか「白」と「茶」の色が前面に出ている気がする。決して無骨ではないシックな机の茶色がなんとも壁の白とマッチして、いかに自分が今外国にいるかが分かりやすくなっているようなないような・・・
近くを通りかかった教師に声を掛けると、指を差して互いの担任教師の場所を教えてくれた。ミズチとはここで別れ、互いに歩を進めていった。
「ようこそアトランティス・・・そしてヴァルハラへ、ミカヅチ君。俺が魔法戦技科2年担任のひとり、アルバート・ブーンだ。」
立ち上がったアルバートと固い握手を交わしたミカヅチだったが、その姿に驚いた。
ミカヅチより僅かに高い身長、そして一回り近く大きい肉体。捲くってある腕から覗く逞しい二の腕と手の感触からミカヅチは直感した。この教師は幾度もの戦陣を潜り抜けて今を生きている。
ただただ鍛えただけではこのような感触にはならず、何年・何十年にも及ぶ研鑽を積んできたのだろう。
ますます予想がつかなくなったが、ミカヅチは同時に嬉しさもこみ上げてきた。アルバートは明らかに魔法で戦うような人間ではなく、己の肉体で真っ向勝負を挑む人間・・・是非手合わせを願いたいと心の中で思った。
ホームルームが始まる前なので、二人はそのまま教室へ向かう。
巨塔ふたつが並ぶ異様な光景のなか、静まり返った廊下でアルバートは一度周りを見てから口を開いた
「君たちは・・・やはりコンゴウさんを探しに?」
「ッ!?親父を知っているんですか・・・!?」
「・・・あぁ。あの人は数年前まで学園で剣技講師をしていたんだ。表向きでは休職扱いとなっているんだが、実際のところは誰も何処にいるのか、何をしているのか全く分からない状態でね」
(だから俺たちは此処に着たのか・・・)
「しかし君は若い時のコンゴウさんにそっくりだな!教員室で見たときはかなり驚いたよ。そうなると、妹さんは母親似になるのかな?」
「えぇまぁ、妹には親父の事は伏せているんですがね。・・・若い時?」
「俺は昔コンゴウさんや、まだ王位を継ぐ前の国王陛下と共に鍛錬に励んでいたよ。コンゴウさんも国王陛下もまだ20代だった頃の話さ」
「古き友・・・。あっ、写真の!」
まさかコンゴウがミカヅチの生まれる前から既にアトランティスを知っていたとは。となると放浪癖は昔からあったということなんだろうか?
ミカヅチは心の中で口端が釣りあがるのを止められなかった。これで近くなった、コンゴウに近づく道しるべは与えられた。これから過ごすこの国、この学園。すべてを辿っていけば絶対に辿り着くという確信があった。
――――絶対に探し出す。そして・・・。
「まぁまずは何よりも学園生活に慣れてくれないとな」
「・・・善処します」