手紙
自分の娘を嫌いになる父親、愛しく思わない父親、そんな父親は存在しない。
そんな父親の想いとは裏腹に娘は成長していくものです。
そして、父親が知らないうちに彼氏ができたり、大人の階段を昇っていくものです。
気がつけば、いつの間にか離れてしまっている、なんてことはありませんか。
成長とは響きが良いものですが、娘のその成長に淋しさを感じる父親もいるのではないでしょうか。
そんな父親も、妻の父親に同じ思いをさせていたのでしょう。父親とは因果なものです。
では、娘からしてみると父親とはどんなものでしょうか。
本小説は、父親が娘を思う気持ち、娘が父親に思う気持ちをテーマに、手紙とういう手法を用いて表現しています。
本小説を読んで、青春時代を思い返して頂くも、父親である今を感動して頂くも自由です。
お読み頂きました方の心に響く作品となることを願います。
前書きにお付き合い頂きありがとうございました。本編をお楽しみ頂けること願っております。
幸雄は、ひかり43号の博多行に乗り込み、棚にラルフローレンの旅行バッグをのせ、窓側の指定席に座ると目を閉じて大きく深呼吸をした。
ひかりが新横浜の駅を静かに走り出すと、しばらくして、音楽が流れ、停車駅と到着時刻の案内が始まった。
―― 福山には14時28分到着です・・・――
駅を降りてから、岬行のバスが来るまでは三十分も待たされる。あの時のように、駅前のコーヒーショップで時間を潰そう。岬まではバスで四十分程かかる。島に着くのは四時近くになるだろう。あの綺麗だった夕焼けが、自分を迎えてくれるだろうか。
幸雄は、車窓から列車が走り去る景色に眼をやった。二月の晴天の空は、どこまでも澄みわたっていて、冬枯れした畑が眩しかった。厚木の辺りを走っているのだろうか。
昨日、幸雄のもとに五センチ程の暑さの茶封筒の小包が届けられた。幸雄が急遽あの島に行くことにしたのも、その小包のせいであった。幸雄は、今朝、職場に電話をして、友人の葬式を理由に、三日間の休暇をもらった。友人の葬式など本当はないのだが。
自分が今こうして、あの島に向かっているのは、十年も前から、或いは自分がこの世に生まれてきた時から、定められていたのだろうか。あの島の出来事なんか、ずっと昔に、記憶の底に埋没していたはずなのに。
そういえば、あの時も友人の葬式を理由に会社を三日間休んだような気がする。そして、このまま会社にも、いま住んでいる家にも戻ることはないかもしれないという思いを秘めて。
幸雄は、棚の旅行バッグから昨日送付されてきた厚手の茶封筒を取り出した。幸雄の隣の座席は空席になっている。隣にはだれにも座って欲しくなかったので、幸雄は二人分の切符を買っていた。通路の向こうの座席では、中年の女性たちが、持ち寄った食物を頬張りながら大声で世間話をしている。
幸雄は、差出人欄に黒いマジックで書かれている ―― 吉田仁平 ―― という文字に目をおとし、暫くながめると、おもむろに茶封筒から便箋を取り出した。
前略、突然の郵便物に、さぞ、貴殿は驚かれている事とお察し致します。貴殿にとって小生は見知らぬ他人であり、ましてや小包など送られる間柄ではないという事は十分承知しております。そういう小生も、貴殿の存在を知ったのは、つい一ヵ月程前の事ですから。その時の貴殿に対する小生の驚嘆と怒りは、貴殿には分かりますまい。貴殿の処に押掛けて、何度なぶり倒してやろうかと思ったか分かりません。小生みたいな少しばかり古臭い人間から見れば、貴殿は男の屑であり、人間としての価値もない大馬鹿野郎でしかなかったのです。正直言って、この一ヵ月間、悩み、苦しみ、本当に辛い毎日でした。酒の力を借りてみても、貴殿の事が脳裡から離れた事はありません。
いきなり小生の恨み辛みを書き立てて、貴殿には意味も分からず大変迷惑な話だと思います。しかし、この約一ヵ月間の小生の心の葛藤を、少しでも貴殿に理解して頂きたく、敢えて書かしてもらいました。今にしてみれば、恨むべき他人など誰もいなかったのだろうと思います。ましてや、貴殿を恨むことなど、見当違いも甚だしい事に気が付きました。むしろ、恨むべきは、この小生自身にあるのかも知れません。今また、少しだけ取り乱しかけていますが、このまま筆を続けさせてもらいます。何故なら、もう二度と貴殿に筆を執ることはないし、聡明な貴殿なら、小生のこの切ない思いを理解して頂けると信じているからです。
貴殿は、「吉田真紀子」という名前に記憶がある事と思います。小生は、その真紀子の父親です。貴殿に、こうして筆を執っているのは、彼女から依頼を受けたからなのです。父親なんていうものは因果なものだとつくづく嫌になります。どんなに娘に裏切られても、また、その結果勘当しても、最後には全てを許し、頼み事まできいてしまう。
真紀子は、もうこの世の中にはいません。先月の七日に山崎次郎という男に殺されました。A紙にだけ新聞記事として小さく載りましたが、たぶん貴殿の目には触れなかったでしょう。小生にとって、世界中の何よりも重大な事件であっても、世間では、大した出来事ではないのです。山崎があっさり殺人の自供をし、事件は解決しました。間もなく彼の刑も確定するでしょう。しかし、小生には割り切れる筈がありません。今でも真紀子を殺した山崎という男が憎く、自分の手で彼を殺してしまいたいと思う気持ちは残っています。だが、それでも彼を許さなければならないのです。それが、真紀子の頼みなのですから。
小生は親として、そして男として、真紀子に対する貴殿の本当の気持ちを知りたい。何故なら、彼女の人生を変えてしまったのは貴殿だと思っているからです。もし、あの時、男として、人間として、きちっとしたけじめをつけていてくれたら、このような事件は起こらなかったのではないかと、残念に思えて仕方がありません。今更悔やんでみても仕方のない事だとは分かっています。
貴殿と出会った僅か三ヵ月ばかりの事が、否、たった三日間の出来事が、人ひとりの人生を変えてしまったのです。変えたというより、真紀子の人生そのものになってしまったのかも知れません。貴殿は、本当に彼女を愛してあげてくれたのですか。だとしたら、その後、彼女に何をしてくれたというのですか。
少しだけ真紀子のことについて書かしてください。
彼女は十年程前、幸子という女の子を出産すると、すぐに大学を中退しました。その時の小生の怒りと悲しみは、貴殿には分かりますまい。ただ、真紀子が孫の幸子をいとおしそうに愛撫する姿に免じて耐えていました。幸子の父が誰であるかも分からずに。彼女は決して父の名を明かそうとはしませんでした。その当時、真紀子は小さな書店に勤めにでて、一生懸命働いていました。まるで幸子だけが自分の人生みたいにして。
それから三年が経ち、真紀子は何の前触れもなく、理由も告げずに幸子を残して、突然我が家を飛び出ていってしまったのです。幸子は小生にとって可愛い孫です。それからずっと小生が育ててきました。しかし、真紀子はその後も時々幸子にだけは会いに帰って来ました。人生とは皮肉なものです。真紀子の母親も(小生の前妻です)真紀子が三才の時に、小生に離婚届と真紀子を残し、五才も年下の大学生と駈落ちしたのです。ですから、孫の幸子のためにもと、真紀子が我が家を出入りすることを認めていたのです。小生は、何度も真紀子の暮らしぶりを問い詰めました。彼女は決まって淋しそうな顔をするだけで、何も話してはくれなかったのです。いつしか、小生も諦めてしまいました。殺される前日まで、幸子に会いにきた真紀子も、一緒に我が家で正月を楽しんでいたのです。今になって考えてみると、帰り際に涙を浮かべながら ―― お父さん、どうもありがとう ―― と言ったのが何かを暗示していたのかも知れません。幼い頃から小生の前では涙など見せたことのない娘でしたから。
孫の幸子の部屋に残された真紀子の遺品を整理していたら、オルゴール付きの木箱から、小生宛の手紙と貴殿宛の手紙とA5サイズの薄いアルバム、そして珊瑚の指輪がでてきました。その木箱とは、真紀子が小学校を卒業した記念としてプレゼントしたものです。オルゴールのねじを巻くと、あの時と少しも変わらない音色で、〝 乙女の祈り 〟の曲が流れてきました。
小生宛の手紙を読んだ後、封を切って、何度、貴殿への手紙を読もうとしたか。貴殿ならお察しして頂けるものと思っています。
真紀子に頼まれたとおり、アルバムと珊瑚の指輪と未開封の貴殿宛の手紙を同封いたします。また、合わせて小生宛の手紙のコピーも同封いたします。本物は、将来、孫の幸子に読ませるつもりです。
長々と纏りもなく駄文を書き綴りましたが、一人娘を失った親父の戯言と、ご容赦願いたく小生の筆をおきます。貴殿のご多幸を心より祈念致します。
尚、蛇足ながらこの郵便物の扱いについては、貴殿の裁量にお任せいたします。 草々
お父さんならきっとこの手紙を見つけてくれると信じていました。私の身に何が起ころうとも決して驚かないでください。いつも貴方(私の父として、また、良き理解者としてこう呼ばせてもらいます)には気苦労ばかりかけてきたことを、そして、悲しい思いをさせてきたことを心からお詫びいたします。何よりも、私の娘の幸子を貴方の手に委ね続けてきた子不幸な私に、呆れ果て、嘆き悲しんできたことと思います。幸子の母親として失格である私を寛大に受け入れてくださった貴方に敬意さえ感じています。幸子を出産したときも、私の無節操さに怒りさえしたものの、貴方は私の身体を誰よりも心配してくれたことを、今でも鮮明に覚えています。私の血液はRHマイナスO型で、輸血を必要とするときは、いつも貴方の血液を頂いてきました。私の身体中、貴方の心温かい優しい血が綿々と駆け巡っています。もちろん親子ですから当たり前のことだと言われるかも知れませんが、私の言いたいことは貴方から二回も血を分けて頂いたということです。一回目は私が高校二年のときでしたね。手首を切って自殺を図った私の横のベッドで、昏々と寝ている貴方の姿をいまだに忘れたことはありません。
あの時も貴方は、自殺未遂の理由を深く追及することはしないでくれました。私には、大変ありがたいことでしたが、辛抱強く、何事も自分自身の中で消化してしまう貴方の生き方を垣間見たような気がしました。貴方は、本当に強い人です。だから、私の母を引き止めることも追いかけることもしなかったのでしょうけど。
私の自殺未遂の理由は、ひとつには貴方のそんな生き方にあったのかも知れません。誤解しないでください、決して貴方を責めているわけではないのですから。
あの頃の私は少しどうかしていたのかも知れません。誰もが経験することなのか、或いは、私だけのことなのか、とにかく、およそ人間を信頼する気にはなれなかったのです。もちろん私自身を含めてですが。
男を経験したのもそんな時期でした。学校が終わった後、渋谷の道玄坂にある店に通い、ジャズを聴くのが楽しみになっていました。スイングもあればブルースもあり、ピアノもサックスもドラムもベースも、みんなごちゃ混ぜになって私の身体に飛び込んでくる。私にとって何とも言えない快感でした。私が顔馴染みのようにして店に通うものですから、或る日その店に勤めるバイトの大学生に誘惑され、初めて女としての体験をさせられました。その男の名前も覚えてはいませんが、苦痛ばかりが印象に残っています。それ以来、自分を傷つけるために、様々な男と関係を持ちましたが、虚しさだけが私自身を包むだけでした。むきになって読んだ哲学書も私に刺激を与えるだけで、何ら指針を示してはくれませんでした。
生きることへの執着を教えてくれたのは、私を死の淵から救ってくれた、ベッドに横たわっていた貴方の姿でした。貴方の寝顔を見ながら、私は自らの命を断ち切ることはやめようと決心いたしました。
しかし、私の心のどこかで、人間に対する不信感は、相変わらず残っていたのです。
大学に通うようになっても、色情狂のように男との関係は断ち切ることができませんでした。というのも、男と女の関係の中で、一時的に全てを忘れることができるんですもの。貴方は、その時分の私の素行に随分とお悩みになったことと思います。
そんな時、巡り会ったのが幸雄でした。大学二年の十二月のことです。貴方もよく覚えていらっしゃることと思います。無断で遅くなった私をこっぴどく叱りつけたんですものね。どんな男と寝るときも、女友達と遅くなると嘘をついて電話をすれば、たいがい貴方は許してくれました。
あの日、初めて家の近くのキャビンという小さなバーに立ち寄った時、五人の仲間と一緒に飲んでいるうちに幸雄に出会いました。いつしか幸雄達と意気投合し、その晩は随分遅くなり、幸雄は、酔い潰れた私をおぶって家まで送ってくれました。その時の彼の背中の暖かさは今でも私の身体に残っています。貴方に叱られることなんて、あの幸雄の温もりに比べれば、どうということではなかったのです。訳もなく、本当に訳もないんだけど、幸雄を好きになってしまいました。私にとってこんな気持ちは生まれて初めての経験でした。
その日から、私は、幸雄と逢えるのを楽しみに、毎日のようにキャビンに通いました。そして、その日以来、他の男との関係は全て断ち切ったのです。私は、幸雄に貴方の後を姿を感じていたのかも知れません。でも、よく考えてみると貴方よりもっともっと大きい存在だったのです。彼は、私より五才も年上ですし、考え方も私よりずっと大人でした。いくら彼を誘惑しても、幸雄は決してのってきませんでしたし、婚約者に申し訳ないというのが彼の口実でした。
幸雄と知合って、三ヵ月が経った二月のことです。私を何処か遠くにさらっていってと彼に頼んだところ、彼は暫く目を伏せて考えた後、淋しそうに〝 いいよ 〟と言いました。私は、よっぽど冗談だよと笑ってごまかそうと思ったけど、言葉を丸ごと飲み込んでやめました。
幸雄は、約束通り、瀬戸内海に面した岬に私を旅に連れていってくれました。岬から少し離れた島に、定期船で渡り、その島のホテルで二泊しました。島の夕焼けは、とても綺麗でしたし、浜辺には、というより、島は私たちだけしか存在を許さないというように、誰もいない二人だけの本当に素敵な世界でした。幸雄は、その浜辺で初めて私を求めてきました。二月の海水の冷たさと、彼の暖かく優しい愛撫とが混じり合って、生まれて初めて女として、また、人間として生きていて良かったと心底思いました。その島の三日間は、ホテルの部屋はもちろん、浜辺で、瀬戸内海を一望できる見晴らし台で、自然林の中で、何度も唇をかさね、身体を重ね合いました。最後の日に、幸雄はその島のホテルの土産物売り場で私たちの愛の証にと、珊瑚の指輪を買ってくれたのです。その旅行以来、幸雄はキャビンに顔を見せなくなりました。私は、自分の気に入ったあの時の写真だけをしたためて、毎日キャビンに通いました。
私は、今でも幸雄を愛しています。あの三日間は、私の人生の全てだったような気がします。私は幸雄を恨んではいません。
私が、山崎次郎と付き合いだしたのは、それから三ヵ月経ってからのことです。彼は暴走族あがりで、私より二才年下の可愛さだけが取り柄の男です。幸雄と逢えなくなって、また、渋谷の街をふらついているときに、軟派されました。幸雄の記憶を全て消したくて彼と付き合ったのです。それでも幸雄のことを忘れることができませんでした。それどころか、ますます幸雄の存在が大きくなるだけでした。すぐに、次郎との間に幸子ができてしまったのです。その時は、とても悲しくて一晩中泣いてしまいました。幸子が生まれた時、心に決めたのです。この子は幸雄との間に生まれた子なのだと、決して次郎の子なんかじゃないのだと。それから、次郎とは会うのをやめたのです。でも、人生って意地悪なんですね。三年が経ち、偶然、女性と一緒にいる幸雄に出会ってしまいました。彼は私に気が付かないようでしたけど。気が付いてみると、私は二人の後をつけていたのです。二人はレストランで食事をしていましたが、何か悲しい話でもしていたのでしょうか。相手の女性は時々涙を流していましたから。幸雄の住居は日吉の駅から歩いて十分位のところにある1DKのマンションでした。
その日からのことは、貴方がご存知の通りです。私は、次郎と同棲するようになったのです。今、次郎は、かなりひどい麻薬中毒にかかっています。私と生活をしたのが原因なのかもしれません。幸雄と離れていれば離れているほど幸雄が私に大きくのしかかってくるのと同じくらいの速度で、彼の麻薬は進行しました。
幸雄は、以前、あれほどまでに婚約者のことを気にしていたのに、未だに独り身です。なぜ私がそんなことを知っているかというと、今でも時々、彼が会社から帰るときを見計らって、後をつけているからです。
幸雄の優しさは誰にも真似はできません。幸子の出産の間際に、一度だけキャビンに立ち寄った時のことです。幸雄は、私と次郎の関係を知ったらしく、キャビンのママに私あてのメッセージを預けていてくれていました。
〝 ぼくをまだ愛していてくれるなら、自分を大切にしてほしい 〟という文字が、私の脳裡に焼き付いて離れません。
お父さん、私はまもなく次郎に殺されるかも知れません。それでも次郎を恨まないでください。だって、次郎は幸子の父親でもあるし、私の人生の犠牲者なんですもの。私は次郎が、幸子の父親として届け出ることを拒みました。幸子は、私と幸雄の子供ではないのに、どうしても、二人の子の化身として位置づけたかったのです。
次郎は、あくまでも私と幸雄の愛のかたちを帰結するための媒体役でしかなかったのかもしれません。
次郎は、私を愛すれば愛するほど、その虚しさを感じ、麻薬に奔ったのでしょう。
私は、次郎に確実に殺されます。でも、私は次郎に感謝こそすれ、恨むことはありません。だって、愛することの息苦しさから解放されるんですもの。
お父さん、幸子が大きくなって、もし愛に迷ったら、こんな生き方をした女がいたと、私の話をしてあげてください。それからもうひとつお願いがあります。幸雄への手紙と、あの三日間で特にお気に入りの写真と、珊瑚の指輪を幸雄に送ってください。幸雄からは何もかも、もらうばかりで、私からはあげられるものは何もなかったのですから。 真紀子より
ひかり四十三号は京都を離れスピードをあげ、西に向かって走っていた。幸雄は、未開封の封を切った。
本作品をお読みいただき誠にありがとうございました。
皆さまの心に響く作品になれたでしょうか。後悔だけはしないで頂けていればと願っております。
本編には、幸雄、真紀子、吉田仁平(本編での小生)の三人が登場しておりますが、皆さまには、三人がどのような人物に描かれたのでしょうか。
本編に登場する幸雄とは、結局、どんな人物なのでしょうか。
俗にいう女ったらしではないと思われますが、『婚約者に申し訳ないという口実』の真意とは、何だったのでしょうか。私も不明です。本当に婚約者がいたのか、それとも女性の誘いを断る台詞だったのか、はたまた最愛の人を亡くし恋することができない男なのか。
皆さまは、どのように感じられたましたでしょうか。
また、吉田仁平(本編での小生)に、娘を取り巻く環境に悩まされている父親としての自分を重ね、共感された読者様も少なくないのではと思います。父親からみれば娘というのは、最後にはすべてを許してしまう存在なのかもしれません。そこには、父親から娘への深い愛があるからなのでしょう。
そんな父親の娘の真紀子ですが、生と性について考えさせられる女性だったと思います。父親からは生きる意味を、恋した幸雄からは、快楽だけの性でなく本当の意味の性を知ったのではないでしょうか。
娘の恋愛には疎い父親も、かつては恋をして最愛の人に出会い、娘を授かっているのですから。娘をもつ父親の因果なのかもしれません。
いずれ息子は父になり、娘は母になるのでしょうから、そのとき、どんな自分が待っているのでしょうか。
後書きにまで、お付き合い頂きありがとうございました。