勇者は稽古をつける
王都脱出から三日目。
昼前に、初日以来ようやくの水場を見つけた。
生きていくには水が必須。しかし持ち運べる量は限られる。ゆえに長旅には定期的な水場の確保が欠かせない。まさしく死活問題だ。
ガリウスは勇者時代、常に前線で戦ってきた。『魔の国』の近くならまだしも、王国内の地理には詳しくない。
ここで役立ったのはリッピの嗅覚だ。
ワーキャットの嗅覚は人よりもずっと優れていたので、水の匂い(正確には水場近辺の独特の匂い)を嗅ぎ分け、どうにか森の中の泉にたどり着けた、というわけだ。
泉のほとりで簡単に昼食を済ませてからは、のんびりすることにした。
急ぐ旅でもない。追っ手は警戒しなければならないが、人里を避ければさほど心配はいらないだろう。
なので、さっそく水浴びでもして旅の汚れを落とそうと考えたものの。
ガリウスはひとつの、重大な疑問を抱えていた。
(はたして、リッピは男なのか女なのか……)
猫そのものの顔から性別は判断できない。これまで話題に上らず、いつしか『今さら感』が生まれため、確認もできていなかった。
「どうかしたの? ボクの顔に何かついてる?」
「ああ、いや、なんでもない。さ、さあて、水浴びでもするかなあ」
わざとらしかっただろうか?
とにかくこれで恥ずかしがれば、女説が濃厚となるのだが……。
「水浴び!? ボクもやる! ずっと洗ってなかったから、気持ち悪かったんだよね」
ガリウスが上着を脱ぐより早く、リッピは服を脱ぎ去った。すっぽんぽんになりはしたが、当然ながら毛むくじゃらだ。
仮に同性であろうと大事な部分を凝視するのはいかがなものかと躊躇してしまい、肝心なところは確認できなかった。
しかし、服を脱いでもリッピはまったく恥じらう様子はない。
(男……なのか?)
だがよく考えてみれば、自分とリッピは完全なる異種族。
たとえばエルフ族のようにほとんど人と変わらない姿でもないから、仮にリッピが女だとしても、恥じらいが生まれないのかもしれない。
パンツ一丁になったガリウスにも、リッピは気にした様子がなかった。
パシャパシャと泉の中ほどまで泳いでいく。
(猫は、水嫌いだと思ったが……)
腰まで泉に浸かり、体をごしごししていると、なんかどうでもよくなってきた。
性別など些末なこと。
こうして出会い、ともに旅をすることになった仲間だ。今はそれでいいじゃないか。
「おーい、ガリウスー。一緒に泳ごうよー」
遠くからリッピがぶんぶん手を振っている。
「すまない。泳ぎは得意じゃない」
「ならボクが教えてあげるよ」
すいーっと寄ってきたリッピに手をつかまれ、その後しばらく水泳の手ほどきを受けたのだが。
「ごぼごぼごぼ……」
「泳げないどころか、浮かないんだね……」
もはや得手不得手の話ですらなかった。
昼はウサギを狩ることにした。
泉を囲む森には小動物が多く生息しているらしく、茶色い毛の愛らしいウサギが茂みからガリウスたちを覗いていた。
もふもふしたいところではあるが、生きていくためには食べなければならない。
貴重なたんぱく源である彼らは、狙うべき獲物なのだ。
細い枝を削って棒状にし、丈夫そうな蔓を結んでしならせた。簡単すぎるが弓だ。まっすぐな枝で矢も作る。
シルフィード・ダガーで十分狩りはできるが、あれは特殊効果を使うのに精神力を使う。弓矢なら大した手間もかからず疲れない。
茂みに潜んで警戒しているウサギに狙いを定め、矢を放った。矢は奇妙な軌道を描くも、狙いは違わず、ウサギの首に命中する。
「すごいね。そんな雑な弓で、どうして当たるのさ」
「【アイテム・マスター】は俺自身を道具に合わせてくれるからな」
ウサギは捌いて串焼きにすることにした。
味付けは塩と、取り置きしてあった香草に加え、とっておきの胡椒を振りかける。
焼いている間、リッピは涎をすすりながら期待に目を輝かせていた。焼き上がると、一心不乱に貪り食う。
「美味しい! 新鮮なお肉なんてずいぶん久しぶりだなー♪」
幸せそうに目を細めるリッピを見て、ガリウスは嬉しくなった。
本来なら一人で南を目指していた寂しい旅。食事くらいはまともにしたいと高価な香辛料を買っておいて、本当によかったと思う。
誰かと一緒に食べる。それだけでも、人生で一番の食事に思えた。
昼食を終え、満足そうにリッピはごろりと転がった。泉のほとりは短い草が敷き詰められていて、そのまま眠ってしまえそうだ。
リッピはしばらく横になってぼんやりしていた。
やがて、何か決意めいた表情でガバッと起き上がった。
「ねえガリウス、ボクに剣とか弓とか、教えてくれないかな?」
唐突、とは思わなかった。血気盛んな若者が、武器を自在に操る様子を何度も目撃すれば、自然にそう考えるだろう。
「だが君は、どちらかというと魔法使いタイプだぞ」
「えっ、そうなの?」
「特殊効果を持つ武具は、貴重なものであるほど扱いが難しい。シルフィード・ダガーをあれだけ使えている君は、魔法の才能があると思うがね」
「うーん……ピンとは、こないなあ。【風】属性を持ってるから、そのせいじゃない?」
「へえ、君は属性が【風】なのか。ワーキャットは【土】が一般的だと思っていたが」
「うん。ボクは【土】以外に【風】と、あと【水】を持ってるんだ」
「み、三つも……?」
人に限らず亜人たちにも共通して、魔法にかかわる性質――『属性』を各々が持っている。
基本四元素である【火】、【水】、【風】、【土】に加え、珍しいところでは【光】と、人族は持ちえない【闇】がある。
ただし属性を持たない『無属性』も稀にいて、ガリウスがそうだった。
その人が持つのと同じ属性の魔法なら高威力、低魔力消費とのメリットがある。半面、相克する属性(たとえば【火】に対する【水】、【土】に対する【風】)だと逆に扱いが難しかった。
リッピは相克する【土】と【風】、さらに両方と相性のよい【水】の三つを持つ。
なかなか珍しく、これだけでも魔法の才に恵まれていると言えた。
「でもボク、魔法ってそんなに得意なほうじゃないよ?」
「ふむ。おそらくだが、自ら魔法を行使するのではなく、特殊効果を持つアイテムの扱いに長けているのかもしれないな」
「ガリウスみたいに?」
リッピは嬉しそうに尋ねた。
「俺は恩恵がそれに特化したものだからな。同列には語れない」
「そっか……」
ぺたんと耳がうな垂れる。
「だが今まで感覚的に扱えていたのなら、今後はいろいろ考えて試していけば、飛躍的に技能が向上するだろう」
「ほんと!?」
耳が立ち上がり、ぴこぴこと動いた。
(くぅ、もふもふしたい……!)
ガリウスは必死に衝動を抑え、続きを語った。
「ああ。そのうえで、剣や弓といった直接の攻撃手段を持つのは悪くない。種族の特徴として素早さが際立っているし、感覚も鋭利とくれば、万能タイプになり得ると思う」
「えへへ~♪ それは持ち上げすぎじゃないかな~♪ でもでも! じゃあやっぱりボクに剣とか弓を教えてよ!」
「残念だが、俺は【アイテム・マスター】に頼りきりだから、技術的なことは基本すら知らない。だから教えるのは無理だ」
「そっか……」
またもしゅんとしてしまうが、ガリウスは微笑みながら言った。
「何も指導を受けるだけが学習ではないよ。俺の剣や弓の技術は、それこそ【アイテム・マスター】で最適化されたものだ。見て、考え、吸収する。そういった形でよければ、いくらでも相手になろう」
ぱあっと、リッピの表情が明るくなる。
「うん! それでお願い!」
「なら、ちょっと体を動かすか」
ガリウスは木の棒を二つこしらえた。
そうして夕方まで、剣の稽古に付き合うのだった――。