魔王は聖女に憤る
「逃がしたのは、誰ですか? 事情を知りながら黙した者も、同じく我が前に跪きなさい」
誰も声を発せられぬ中、一組の中年夫婦がふらふらとティアリスの前に歩み寄った。
その瞳は恐怖と困惑に染まっている。
自意識は完全に残っていて、『誰が名乗り出るものか』と強く心に決めていたのに、足が勝手に動いたのだ。
【チャーム・ボイス】。
その美声は聞く者の意思にかかわらず、彼女の言葉に従わせる。対抗する恩恵や強固な精神力、あるいは魔法による防御なくしては抗えなかった。
夫婦に続いて、一人、また一人と集団から進み出る。最後にはこの難民キャンプを取り仕切る男も、奥歯を強く噛みしめながら重い足を引きずって出てきた。
みなが、ティアリスの前に跪く。
脂汗を垂らす面々に向け、
「誤解なさらないでください」
ようやく彼女は慈愛の笑みを浮かべた。
「神は寛容です。過ちを省みて、真に赦しを請えば、神はその罪を咎めることはありません。そのための、懺悔なのですから」
「わ、私たちは!」
緊張が解れたのか、最初に進み出た夫婦の夫が叫んだ。
「あの魔族の娘に、恩があったんです。隣町へ行った帰りに、妻が体調を崩してしまい、そこへあの娘が現れて――」
薬草を採取し、ひと晩看病してくれたと言う。
「正直なところ、厄介払いができるという考えも頭にありました。ですが当時はまだ十三、四の子どもだったんです。私たちには子どもがいませんでしたから、つい情が生まれて……。知り合いの伝手でトゥルスの街の通行証を作ってもらったんです」
その後、相手から手紙が何度か届いたが、返さないでいたら連絡を寄越さなくなった。
今はもう完全に無関係だと、夫は主張した。
「なるほど。恩に恩で報いた、とおっしゃるのですね?」
「そ、そうです。教義にもありますよね? だから私たちは――」
「いいえ。ございません」
ティアリスはぴしゃりと言い放つ。
「相手が魔族であるなら、恩を返すなどという発想自体、あってはならないことです」
「……いや、でも、あの娘は人と姿が変わりません。ただ恩恵が与えられなかっただけで――」
「恩恵が与えられなかった……それがすべてなのです。神が、お認めにならなかったのですから」
夫婦は跪いたまま、顔を蒼白にしてティアリスを見上げる。
「残念です。この期に及んで自身の罪を認めず、言い訳に終始しましたね。ダニオ――」
ティアリスの背後から、巨躯の剣士が歩み出た。背から二本の大剣を抜き、天高く振り上げて、
「ふさわしき執行を」
「…………承知しました」
斬、と。
夫の両腕が肩口から切断された。
「ぐぎぃぃぃ!」
「あんたーっ!?」
肩から吹き出す血を浴びながら、妻は膝立ちして夫を抱きとめる。
ティアリスが片手を前にかざした。
次の瞬間、夫の両肩に光が宿ると、出血がぴたりと止まった。
「ぐ、が、あぁぁああ!」
しかし夫の叫びは止まらない。止血はされたが、痛みは残った。それどころか、本来なら意識を失ってもおかしくないのに、無理やり意識もつなぎとめられていたのだ。
「お、お慈悲を、聖女様お慈悲をぉ!」
「貴女もまた、夫を止めず、今も庇い立てしています。同罪――」
斬。
妻の両脚、ふくらはぎが切り離された。またも止血されたものの、夫婦は倒れ、意識を失うことなく、地面でのたうち回る。
「くそっ! お前らいったいなんなんだよ!」
怒声を吐き出し、男が立ち上がった。この難民キャンプを取り仕切っている男だ。
「わたくしの恩恵を受けながら、立ち上がりましたか。なかなかの精神力をお持ちですね。いえ、感情が振りきれたのでしょうか。いずれにせよ、わたくしの力などこの程度ですね」
自嘲ぎみに笑ったのは一瞬。
「今のわたくしは神の代行者。懺悔中の貴方がたは対等ではありません。わたくしは先ほど、『跪きなさい』と命じましたよ?」
ティアリスは男に手を向けた。
「重罪――」
男の四肢が炎に包まれる。絶叫とともに膝を折り、地面を転がる。
「貴方の罪を、告白なさい」
「ぐ、ぎぃ……、お、俺は、相談された……。あの小娘は器量はよかったが、オーガの血が流れてるから、村で客を取らせるには危険すぎる。だから、厄介者を追い出せるんならって……黙認した……。何がいけないっつーんだよ!」
「自身の未熟を恥じるばかりですね。何度も言いましたのに……」
ティアリスはふぅとため息をついた。
「魔に連なる者を、生かして逃した。それが貴方たちの罪なのです。そして懺悔の場でも自己弁護に終始し、あまつさえ代行者を侮辱しました。ですが――」
またも屈託のない笑みになったものの、その場にいる者はみな戦慄した。
「神は寛容です。自らの罪を認め、祈りなさい。必ずや神は慈悲をお示しになるでしょう」
のたうち回っていた夫婦、その夫がかすれた声を絞り出した。
「神、よ……お赦し、ください……。私が、間違って、いました……」
妻も続く。
そして男も焼ける痛みに耐えきれず、心の底から祈った。
「神よ! 俺を、赦してください!」
「素晴らしい! その祈り、代行者たるわたくしが受け取りました。貴方たちは、救われるのです!」
恍惚とした表情でティアリスが告げた、次の瞬間。
ごきり。ごん。
夫婦は二本の大剣で、それぞれ頭をつぶされた。
「な、なんで……。神は罪を咎めないんじゃなかったのか!」
残った男が炎に焦げる手足をばたつかせた。
「ええ。神は下々の者にいちいち関与いたしません。ですが罪は贖うべきもの。ゆえにわたくしどもが代行するのです」
ティアリスは『何かおかしなことでも?』とでも言いたげな表情で答える。
「詭弁じゃねえかよ、ちくしょ――!」
ぐしゃ。
男の叫びは最後までは発せられることはなく、頭部が大剣につぶされた。
しん、と。
空気が凍るような静寂が訪れる。それを破ったのは冷ややかな美声だ。
「では引き続き、残りの方々の懺悔を」
跪いた面々は、震えながら声を出す。
しかし上辺だけの祈りは、【チャーム・ボイス】に侵された彼らからは出てこなかった。
けっきょく残る者たちも、ただ夫婦に相談されて黙っていたという理由だけで、先の三人と同じ末路を辿ったのだ。
十を超す死体に、聖女は祈りを捧げる。
まったく悪びれた様子もなく、ただ純粋に「安らかに眠りなさい」と告げたのだ。
続いての説法では、『魔族は絶対悪である』『存在そのものが許されない』と念を押した。
そうして、老神父に向き直る。
「皆様の亡骸は丁重に埋葬していただけますか?」
老神父は半ば呆然としつつも、疑問を口にした。
「殺す必要が、あったのでしょうか……? 罪を認め、神へ祈りを捧げたのに……」
ティアリスはきょとんとしてから、少女らしい笑みで答えた。
「彼らは死に直面し、ようやく罪を認めました。嘘偽りなき信仰心からの、祈りを捧げたのです。しかし残念ながらそういった方々は、死を免れてのち、同じ過ちを繰り返します。ですから彼らが地獄ではなく、天に召されるには――」
聖女は笑う。あどけない顔で、信仰に迷いも疑いもなく。
「今をおいてはありませんでした」
駆け出し、荷馬車へ近寄ると。
「さあ皆様、物資の配給を始めます。整列してください」
無邪気に大きく手を振った。
老神父は立ち尽くす。かすかに唇が動いて、知らず声が漏れていく。
「あの少女は……あの女は、本当に――」
聖女なのか? あれこそが魔に連なる者ではないのか?
疑問の声は、肩に乗せられた手に押しとどめられた。
びくりとして見上げれば、二本の大剣を背負った巨躯の老剣士。しわ深い顔でぎょろりと老神父を睨みつけた。
「お互い老い先短い身とはいえ、ろくでもない死に方は御免だろう? ならばその先の言葉は飲みこんでおけ。二度と関わらねば、いいだけの話だ」
老剣士は振り返り、数十メートル先の地面を見やる。
が、視線を外すと、荷馬車へ向け歩きだした。彼が守るべき、聖女の下へ――。
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映像が終わり、ガリウスは深く息を吐きだしてソファーにもたれかかった。
(予想以上に、イカレた連中だな)
端から話し合いは諦めていたが、あれはもう話が通じないどころか会話にならない。こちらがどんなに道理を並べようと、彼女らは教義と会話した結果を吐き出すだけだろう。
(さて、ああも一方的に断罪すれば、むしろ人心は離れていくものだが……)
難民たちの表情を見ていた限り、統一国家を目指すうえで障害になるどころか、実に効果的なやり方だった。
彼女らは『魔族を排除すべし』との主張を前面に押し出しているため、人族の共感は得られやすい。恐怖を畏怖にうまく変換する術を持っているのだ。
とはいえ、聖女ティアリスが狙ってやっているとは思えない。
教国が長年にわたり磨き上げてきた実践ノウハウだろう。
「であれば、やはりあの聖女をどうにかしたところで限界はあるか」
暗殺自体は不可能ではない。
護衛は三十人ほど。奇襲でどうにかなる数だ。
聖女の恩恵は対策なしでは危険だが、対策はそう難しくない。耳栓で簡単に防げる。魔法はかなりの使い手ではあるが、身のこなしからして接近戦には向いていないだろう。
情報が少ない中で油断は禁物であるものの、今のところの見立てでは苦戦する要素がなかった。
(しかし問題は、あの老剣士だな)
単純な戦闘力では、かつて王国最強の騎士だったゴッテ将軍を大きく上回る。
恩恵も不明。
彼が聖女を守っている限り、楽には近寄らせてもらえないだろう。
(ただあの男……)
刑を執行する際、躊躇いがあったように感じた。
老神父が聖女を批判しようとしたのを事前に止めてもいる。
(そしておそらく、密偵の存在にも気づいていたな)
なのに積極的な行動は起こしていない。
もしかしたら、あの中では唯一『話ができる』人物かもしれなかった。
現状はまだ彼女らの非人道的な行為が広く知れ渡っていないのもあり、下手に聖女を暗殺して亜人の悪評流布に利用されるよりも、時期を探るべきだろう。
「むしろ、まだ連中の本質が知られていない今の状況を、利用するか」
ガリウスは妙案をひらめいた。
都市国家群をこちら側に引きこみ、統一国家樹立を阻止する策だ。
床でぷるぷるしているピュウイに目を向ける。
「ぴゅい」
「すまないが、君にもまた働いてもらうよ」
立ち上がると、ピュウイがぴょんと跳ねてきた。
ガリウスは優しく抱き留めて、部屋を後にするのだった――。