魔王の新たなる敵
帝国駐屯部隊が滞在している屋敷は、街の有力者から接収したものだ。
歴代国王が宿泊してきた由緒ある建物で、玄関ホールには高価な調度品や美術品が客人を迎える。
青年兵を左右にずらりと配し、ケラは大扉の正面に立った。
扉が、ゆっくりと開かれる。
ケラは深々と頭を下げた。
「遠路はるばる、ようこそお越しくださいました。聖女ティアリス・ジョゼリ様」
「突然の訪問となりました非礼、まことに申し訳なく思います。にもかかわらず快くお迎えくださり、感謝の念に堪えません。これも父なる神のお導きなのでしょう」
蕩けるような甘い声に、青年兵たちがごくりと生唾を飲みこんだ。
ケラは苦笑いを噛み殺し、顔を上げる。
見目麗しい美少女がいた。
束ねた金髪は床にまで垂れ、神々しい光を湛えているかのようだ。慈愛に満ちた笑み、豊満な胸元、まだ十七歳の瑞々しい白肌は、世の男すべてを、いや女すらも惑わす魅力にあふれていた。
だが一方で、彼女の装いは『聖女』のイメージから逸脱している。
彼女は鎧姿であった。
銀の額当てはまだよいとしても、肩当てや籠手、胴回りにも重厚な銀色の防具。膝までのブーツも金属製だ。
(まるで戦乙女だな)
ケラの内心を見透かしたのではなかろうが、ティアリスは微笑みで応えた。
「武骨な出で立ちで驚かれましたか? このご時世、女が旅をするのに薄布だけでは心許ないですから。護衛の皆様の負担をすこしでも軽減できれば、と考えまして」
「いえ、無粋な視線を浴びせてしまい、申し訳ございません。私はマルギット・ドーレと申します。グスガー・ムスタイム将軍より、ジョゼリ様のお世話を命じられました。ご滞在中はなんなりと私にお申し付けください」
要するに監視役なのだが、聖女ティアリスはまったく疑う様子も嫌がる素振りも見せず、屈託なく笑った。
「ご丁寧にありがとうございます。早速そちらの代表者、ムスタイム将軍にご挨拶したいのですけれど、よろしいでしょうか?」
「はい。将軍は奥の部屋でお待ちしております。ところで――」
ケラはティアリスの背後に視線を送った。
鎧姿の大男が、無言で立っている。
老骨ながら眼光鋭く、首周りの筋肉を見ただけで相当鍛えていることが窺えた。背には二本の大剣を負い、居並ぶ青年兵たちでは瞬殺される未来が想像に難くない。
「彼はわたくしの護衛隊長です。ダニオ、貴方はここで待っていてくださいますか?」
「……承知いたしました」
同行は遠慮してほしいと願い出る前に、ティアリスは単身での面会を受け入れた。
ケラは拍子抜けしつつ、ティアリスを先導した――。
屋敷で一番広い応接室に案内すると、ティアリスの護衛隊長に負けず劣らぬ大男が待ち構えていた。
装飾過多の全身鎧に身を包む、強面の中年男性はグスガー・ムスタイム。この地の最高責任者である。
「ようこそ参られた! まさか当代の聖女殿にお会いできるとはなあ。が、期待していたのとは違うな。こんな小娘が現れるとは思わなかった」
派手なマントをひるがえし、大股で歩み寄ると、威圧するようにティアリスを見下ろした。
「こちらこそ、お目通りが叶い大変嬉しく思います、ムスタイム将軍」
ぎろりと睨みつけても、平然と微笑みを崩さない。
グスガーはそれがお気に召さなかったのか、苦々しく表情を歪めると、舌打ちをして身をひるがえした。鎧を擦らせ、乱暴にソファーに腰を落とす。
「貴様も座れ」
顎で促され、ティアリスは緩やかに歩いて対面のソファーに腰かけた。
ケラは部屋の隅に立つ。
ティーカップが二人の前に置かれ、侍女が部屋から立ち去ると、三人だけの空間になった。
「先に言っておくが、俺は口達者なだけの神官どもと慣れ合うつもりはない。知っているぞ、【チャーム・ボイス】。その甘ったるい声で俺を篭絡しようとしたなら、即刻その細首を刎ね飛ばすと覚悟しろ」
グスガーは足元にあった大剣を持ち上げた。
しかしティアリスは涼やかな笑みで応じる。
「わたくしは、この力をもって人を欺こうとは考えておりません」
「ぬかせ。貴様の恩恵は魅了効果を声に乗せ、聞く者を惑わすものではないか」
「いいえ。わたくしは父なる神の代弁者。わたくしの言葉は神の御心を表したものです。そこに嘘や偽りはありません。神はわたくしに、正しい言葉を、正しくみなに伝えるため、この恩恵を授けられたのです」
曇りのない青い瞳に見つめられ、グスガーは数瞬だけ放心した。
(くそっ……。これが【チャーム・ボイス】の力なのか。今すぐ叩き斬ってやりたいところだが……)
ちらりと部屋の隅に目をやる。ケラ――彼からすればマルギット・ドーレが、小さく首を横に振った。
(わかっている。今は教国を敵に回しても、なんの得もないどころか、追いつめられるだけだからな)
慣れ合うつもりがないのは本当だ。
グスガーが崇拝するのは皇帝ユルトゥスのみで、ユルトゥスは唯一神など毛ほどにも敬っていなかった。
皇帝の遺志は、自分が継ぐ。
そのために利用できるものはなんでも利用してやる。
「で、貴様らが俺を訪ねた理由はなんだ?」
おおよそ把握しているが、あえて問う。
「将軍は、大陸の情勢についてどうお考えでしょうか?」
尋ねておきながら、ティアリスは答えを待たずに滔々と語る。
王国を中心とした地域は、混迷を極めていた。
王国は帝国から王都を奪還したものの、有力貴族たちが勢力争いに没頭している。
取りまとめるべき国王はしかし、貴族たちからは『混乱の原因』として糾弾される立場に陥り、都市国家群に引きこもっていた。
ゆえに地位の高低にかからわず、覇権を握らんと貴族連中は躍起になっている。
都市国家群にも余裕がない。
魔族の奇襲に続き、帝国の飛空戦艦に都市がひとつ壊滅した。牽引する人物は見当たらず、復興すら遅々として進んでいない有様だ。
成り行きで保護している国王エドガーは、王国と衝突しかねない火種でもあった。
「そしてもっとも危ういのは、ここ帝国でありましょう」
ギリッと奥歯を噛むも、グスガーは怒声を飲みこんだ。
ティアリスの言う通り、帝国は瓦解の危機に直面している。
王都のみならず、王国東部のガルブルグ城は王国貴族の軍に強襲されて陥落した。現地の司令官によって早期に撤退したためその兵力はそっくりグスガー配下に収まったが、楽観はできない。
帝国は皇帝ユルトゥスが創り、彼のために在った国だ。
中心たる柱を失った今、崩壊は始まっている。
特に本土――旧南方諸国ではあちこちで内乱が起き、一部は独立を宣言する始末。
このままでは旧王国領内でグスガー率いる駐屯部隊は孤立してしまう。
「帝国の瓦解はなんとしても阻止しなくてはなりません。旧南方諸国の遥か南、異端の神に惑わされた者たちが、この地を踏み荒らそうとするかもしれません」
南の砂漠地帯の向こうには、別の文化圏がある。
ここ数百年はほとんど交流がないものの、この機に北上を企んでいるとの噂は絶えなかった。
「今こそ唯一神の御名の下、力を合わせる時ではないでしょうか」
甘い言葉だった。
このタイミングで教国が動き出したのは、つまりそういうことだ。
唯一神信仰を強固にし、宗教を主体とした統一国家を樹立する。
南方、西方の国々に加えて都市国家群も吸収し、かつて繁栄を極めた王国を上回る巨大国家を創ろうとしているのだ。
ティアリスはそのために各国の有力者を訪問し、協力を取り付けようとしていた。
(忌々しいが、この流れは止められん)
自分に限らず、権力を持つ者は宗教を利用こそすれ、傾倒する者は少ない。
だが民衆は違う。
混迷の時代に『聖女』が各地で説法すれば、大きなうねりとなって大陸中を飲みこむだろう。
目の前の女は、それに特化した恩恵を持っているのだ。
グスガーが打てる手は少ない。
表向きは協力し、内部でうまく立ち回るべきだろう。どうせ他の協力者も、統一国家が樹立した暁には中心的な地位に就くため、あれこれ画策するに違いないのだ。
(俺は、武勇だけで成り上がったのではない。陛下に認められた俺ならば、小狡いだけの連中に出し抜かれはしない。筋肉バカと蔑む奴らは油断させ、逆に出し抜いてやる)
グスガーの心は決まった。
「いいだろう。乗ってやる。だが俺は貴様らの部下になるつもりはないぞ?」
「もちろんです。神の前ではみな平等。わたくしどもは分を弁え、できることをさせていただきます」
「具体的な話は明日以降だ。将校たちに説明し、内部で協議も必要だからな」
「承知いたしました」
にっこり微笑むティアリスを一瞥し、グスガーは部屋の隅に声を飛ばした。
「マルギット、聖女殿を客間に案内してやれ。その後、貴様は俺のところに来い」
ケラは敬礼ののち、ドアを開いてティアリスに一礼した。
「ティアリス様、ご案内します」
「ありがとうございます」
そうして二人は、客間へと向かい――。
屋敷内でも特に広く豪華な部屋にティアリスとケラは入った。
国賓扱いであるが、護衛たちの部屋からは遠く離れているのがこの部屋を選んだ最大の理由だ。グスガーは何かあれば聖女を人質にするつもりだろう。
「それを承知で言いなりとは、危機意識が足りないのではないか?」
本来の口調でケラは肩を竦めた。
「将軍に信用していただくためには必要ですから」
「あの不信心者の信用を得る意味があるのか? 教国にしてみれば神を冒涜する不届き者ではないか」
「神は寛容です。今は俗世に迷い、欲に惑う盲目の子羊であろうと、死を迎えるその瞬間に祈りを捧げるのであれば、父なる神はお許しになるでしょう」
それに、とティアリスは悪戯っぽい笑みで言った。
「ケラ、貴女だって将軍と変わらないでしょう?」
「ふむ。我に信仰心はなくはないのだがな」
「相変わらずのようですね。教皇が嘆いておられましたよ。『神の御言葉を届けられない、我らの不徳である』と」
しゅんと肩を落としたものの、すぐさま屈託なく笑う。
「貴方は皇帝ユルトゥスに仕えながらも、わたくしたちに多くの情報を提供してくださいました。今もこうして力を貸してくださっています。お爺様も大変感謝していますのよ、【レコード・マスター】」
「我はただ〝記録〟したいだけだ。世界のありとあらゆるモノをな。そのためには『安定』は欠かせぬ。ユルトゥスならば一代で大陸を統一できると思うたのだがな。当てが外れた」
「でしたらやはり、わたくしたちに協力してください。教圏をひとつにまとめ、いずれは南方の人々にも唯一神の信仰を行き渡らせましょう」
「さて、そう簡単にいくものかな? いや、統一国家は実現可能とみておるが、南へ対処する前に、東に厄介なのがおるからなあ」
ティアリスはきょとんとするも、暗く目を伏せた。
「勇者ガリウス……ですね」
「今は魔王であるようだがな」
ティアリスは表情を険しくし、首を横に振った。
「いいえ。あのお方は真に人を救いし英雄です。いくつもの不幸が重なり、魔の者たちにかどわかされた挙句、利用されているのでしょう」
魔の者――ルビアレス教国においては唯一神から認められず、恩恵を与えられない〝人に仇なす者たち〟。
彼らは王国追放の憂き目に遭った勇者の心の隙に入りこみ、魔王に祭り上げて利用しているとティアリスは信じて疑わない。
「ほう。あの男も救済の対象である、と?」
「もちろんです。神が認め、恩恵を授けし者であれば誰であろうと、救われなければなりません」
苦悩を眉間に集めていたティアリスはハッとして、手のひらをポンと合わせた。
「そうです! あのお方は魔の者たちに騙され、利用されているのですから――」
まるで天使のような笑みで、自身の考えに微塵も疑いなく、これで万事解決するとの自信に満ちて、宣言する。
――魔の者たちを、根絶やしに致しましょう!
だって彼らは、〝神の敵〟なのだから――




